メインディッシュは嘘

文字数 4,995文字

 番組の収録が終わって、舞台をはけた二人が相次いで戻ってきた。
 石沢花心(いしざわかしん)羊田(ひつじた)セバス、芸人二人によるトーク番組「Say洋館」は深夜枠の割に高視聴率で、業界人気も高い。
 石沢は高学歴で知識もある頑固者、羊田はほわっとした愛されキャラと意外性の持ち主。この組み合わせががっちり噛み合い、受けたようだ。
「お疲れ様でした!」
 木多八太(きだはった)は舞台裏で深々と頭を垂れて、大先輩を迎える。
「君、今日もよう受けてたな」
 石沢が立ち止まらず評すのへ、木多は再度、深くお辞儀した。
「ありがとうございます」
「たまには違うとこ見せてな」
「は、はい」
 このままではすぐ飽きられるぞという警鐘だ。立ち去る石沢の背中に、木多は三度(みたび)、直立姿勢からのお辞儀をした。
「ええなあ、誉めてもろて。石沢さんに付くか」
 背後からの羊田の声に、木多はくるりと踵を返し、勢いよく頭を深く深く下げた。
「滅相もない。自分は一生、羊田さんに着いていきます」
「気色悪いこと言いな」
 薄ら笑いを浮かべた羊田は、足を止めて木多の真正面に立った。
「でもま、前説のおかげで、今日も三回ともよう温まっとったわ。最初んころ、それはそれはひどかったもんなあ」
「思い出させんでください。顔から火が出て、涙で消さなあかんなります」
 下げた頭のうなじ付近に片手をやりながら、哀願調で言った木多。実際のところ、こういった番組の前説で観覧客を温めることにはだいぶ自信が持てるようになっている。今日は、大先輩二人から曲がりなりにもお褒めの言葉を頂戴したからではないが、満足の行く出来映えだった。
 木多が前説をやるのは、羊田の出演する番組がほとんどである。それも当然で、羊田と同じ芸能事務所に所属しており、いまいちぱっとしなかった木多に大先輩が浮上のきっかけにでもなればと、与えてくれた役目だった。
「木多、このあと暇か」
「羊田さんから聞かれたら、どんなに忙しくても暇です」
「奇遇やな。俺も暇や。飯食いに行こう」
「お供させていただきます。ご飯もいただきます」
「おまえ、それやと白米しか食わんことになるぞ」
「師匠が、飯食いに行こうっておっしゃいましたので。ササニシキとコシヒカリとあきたこまちの混ぜご飯が楽しみです」
「ふふ。ちょっとおもろいやん。今度つこうたろ」
 メモを取る仕種をして、羊田は控えの間に向かった。

「いいんですか。松本(まつもと)さんや田鶴浜(たづるはま)を帰らせて、僕だけって」
「かまへん」
 羊田の車を木多が転がし、羊田の指示で着いたのはうなぎ専門店だった。個室を予約済みだったので、木多は何事かと緊張していた。
 それでもマネージャーの松本や付き人の田鶴浜がいれば、まだどうにか平静でいられたろうが、羊田と二人きりとなると、緊張の度合いが格段にアップする。
 おかげで、好きなもん頼めと言われても決められない。結局、羊田が一番よいコースを選び、木多には次に高いコースを取らせた。
「飲まないのですか。運転なら僕します」
 禁煙してから酒の量が増えたはずだが。
「しらふできちんと話したいんでな。飲むとしてもその後や」
 いよいよ恐ろしい。バラエティ番組のドッキリであることを願ったが、今いる店は老舗中の老舗で、とてもテレビ局に撮影許可を出しそうにない。
 程なくして料理が運ばれる。手違いなのか品数の関係で仕方がないのか、木多の分が先に届いたのには参った。少し待って羊田の分も揃ったところで、「食べよか」となった。
「木多、早速なんやけどな」
「ははいぃ」
 一口食べたタイミングで言われて、急いで箸を戻す。正座した膝に両手を置いて言葉を待つ木多。羊田の優しげな声が届いた。
「おまえ腕あげよったよな」
「――へ? あありがとうございますっ」
 厳しい第一声を覚悟していただけに、思わず拍子抜けしてしまう。俯きがちな姿勢のまま、上目遣いで羊田の顔を窺う。柔和な笑みを広げていた。
 ほっとしが、完全な安心はまだ早い。羊田は俳優としてもそれなりに評価されている。この笑顔がころりと豹変する恐れ、充分にあり。
「間とか緩急の付け方、ほんまうまなった。計算してるとこと、その場その場の勘で動いてるとことがあって、ちょっと前まではその二つがはっきり分かれとった、丸分かりやったけど、最近は見分けが付かんぐらい渾然一体、ええ具合に混ざっとる。――と思うんやが、あれ全部計算やったら別の意味で凄いわ」
「計算じゃないとこもあります、もちろんです。そんな風になれたのは、師匠のおかげです。勉強させてもらって……」
「待て待て。こっちを持ち上げるのは早い。一応、悪いとこも言うとかんとな。飯がまずくならんよう、簡潔に言うで。耳の穴かっぽじって、よう聞き」
「はい」
「……こんなこと言うようになるとは、夢にも思てなかった。木多、ここ三回ぐらいのおまえの前説、面白過ぎるんや」
「え……っと。ご冗談、ですよね?」
「違うわっ、本気や」
 否定の台詞に、今日一番びびってしまった木多。
「過ぎるっていうのは、誉め言葉やないときもある。今のがそうや。おまえの前説は、面白すぎて、客席を温めすぎとる。温度設定間違えたサウナや」
「すみません、自分は頭が不自由なもんで、仰る意味が……」
「噛み砕いて言うたると、前説の段階でおまえに笑わされた客は、大半が疲れてしもうとる。そのあと出て来る俺や石沢さんが頑張っても、再沸騰さすんはしんどいくらいな」
「はあ」
 返事しながら、頭の片隅ではまだ、師匠が冗談を言っている可能性を探る木多。だが、そんな気配は微塵も漂ってこない。
「で、迷たんやけど。木多に匙加減いうもんを覚えさせようかって」
「ぜ、ぜひ、お願いします」
「話は最後まで聞け。迷ったのはもう一つの選択肢があるっちゅうこっちゃ。もう一つは、今の勢いのまま伸びるだけ伸ばしたれっていう選択。要するに、俺の前説から卒業さそかと思った」
「……何て言うか、その、困ります。僕他にまともな仕事ほとんどないですし」
「うん、事務所の方針で言うとらへんかったけど、ちょっと前からちょっとずつ打診が来とる。いきなりレギュラーとかいきなり全国ってのはさすがにないが、悪うない話ばっかりや」
「ほんとですか」
「嘘や!って言うてほしいんやったら、なんぼでも言うたる。残念ながらほんまやけどな」
「……」
「何や、感激しとるんか。もっと感動さしたろ。実はな、俺の考えではそれでも勿体ないと思ってるんや」
「ど、どういうことです?」
 うなぎ料理がどんどん冷めていく。勿体ないとはこのことではないか。
「おまえの才能なら、一発目からドカンと行けるはずや。ただ、そのためには何かいる。才能や実力以外の売りがな」
「資格を取るとか、キャラ付けするとかですか」
「ちゃうちゃう。そんなもんインパクトない。安心せい、俺が考えといた。ここまでしてやるんは、おまえの才能が今まさに開花してるのを実感しとるからやで」
「勿体ない言葉です」
 また勿体ないだなと思いつつ、平身低頭する木多。
「感謝するのは、計画を聞いてからにしい。まずは機会を見て、テレビ局の廊下かどこかで俺がおまえを殴る」
「な?」
 何を言ってるんですか、という続きが全く出て来なかった。
「俺はおまえの才能と実力に嫉妬し、恐れをなして殴るんや。今日の前説みたいなことを理由にしてもええ。ちったあ加減せえ!って。んで、おまえはその場では黙って受け入れる。だが放っておいても周りの者が訳を知りたがる。これまたタイミングを見て、俺が殴ったきっかけを公にし、おまえに謝罪もする」
「な何でですか? 狙いがいまいち……」
「木多八太に箔を付けるためや」
 羊田の表情が、全体ににやりと歪んだ。
「下り坂に入ったとは言え、あの羊田セバスが嫉妬して殴ってもた若手芸人となったら、誰もが注目間違いなしや。違うか?」
「違わないです。下り坂は違いますけど」
「世辞はいらん。ピークは自分がよう分かってる。何年か前に役者業に手出したんは、力落ちたのを肌で感じたから、目先を変えよう思てのこと。あれはあれで成果あって、笑いにも新たな気持ちで取り組めたけどな。結局は延命治療みたいなもん。下がっていったのは同じやった。でまあ、無様に落ちぶれるのは嫌やし、老害と陰口を叩かれるのも我慢ならん。すっと身を退けんかと考え始めた頃に、おまえが伸びてきた。どうせ退くんなら一回こっきりの騙し、有益に使うたろ思てな。まだ誰にも話しとらん。おまえが受ける言うたら、準備進めとくわ。まあ、最初の内は誰にも言わんとく。敵を騙すにはまず味方から言うし、周りが信じんかったらしゃあない」
「話が大きすぎて……」
「そんなこたないやろ。どんなに威張って師匠やら先生やら呼ばれよっても、たかがお笑い芸人の一人、その引退を使うて次の世代のスターを送り出す。簡単なこっちゃ。ここで決断できんかったら、この話はなし。迷った果てに決断しても、将来は高がしれてる」
 この言い種には、木多も発憤せざるを得なかった。客観的に見て、千載一遇の大チャンスなのは間違いないのだ。
「分かりました。ありがたくお受けします」
 畳に三つ指つかんばかりに、丁寧に頭を下げた。

 およそ二週間後、木多と羊田の密かな計画は実行に移された。
 さらに二週間後、羊田が表舞台から姿を消したのと同時に、木多は新聞の一面を飾るくらいの存在になっていた。
「あんたもしぶといねえ」
 刑事の追及に、木多はほとほと疲れ果てていた。血走った目をこすりこすり、眠らぬように努力しつつ、反論を試みる。
「ですから前にも別の刑事さんにお話しました。僕は」
「はいはい、全部芝居だってね。聞いてるよ。だけど、あんたが羊田さんにぶん殴られて吹っ飛ぶところを、大勢が目撃してる。あれは本気だった、とてもじゃないが芝居じゃ無理って証言が山とある。歯も折れたとか」
「だからリアリティですよ。本気で殴ってもらいましたもん。歯は予定外でしたが、それも真実味を与えるにはちょうどいいって」
「だけどね、事務所の誰もそんな計画、聞いてないって言ってるよ。マネージャーさんも社長さんも」
「最初の段階では周りも信じ込ませる必要があるからと、羊田さんが伏せた、それだけです。近しい人達には明かす予定だったのに、その前に羊田さんが死んでしまって」
「うん、信じられないな。羊田セバスなら俺らだって知ってる大物芸人だ。そんな大物が、あんたみたいな無名の若手に道を譲るような大芝居を打つ?」
「ですからそこも秘密に……僕の実力が上がっていたことは、色んな人が見てきたはずです」
「無論、証言はあった。でも、羊田セバスの域にはまだまだほど遠いってのが百パーセントを占める」
「そんな」
 木多は頭痛のやまない頭を抱え、恐怖で叫び出しそうなのを何とか耐えていた。

 木多、すまんな。計画は嘘や。
 俺がおまえを認めとんのは真実や。道を譲ってええとも、ちらっと考えた。三年はあとやろけどな。
 俺な、無頼漢を気取って煙草やめへんかったせいか、医者に肺がんや言われてん。ついでに血管ボロボロ。いつブチってなってもおかしないらしい。でも病気で衰えて痛い痛い言うて死ぬんは嫌や。ほやから自殺しょう思う。
 ただ、嫁とちびがおるやろ。知らんか。まあええ。家族に金を残してやりたい。けど若い頃の散財が祟って財産思うほどあらへん。生命保険はそれなりにどでかいのをかけとったけど、自殺やと出えへんやつや。自殺する訳ないやろあほかと思っとったからな。
 しゃあないから殺されたと見せかけて死ぬことにした。殺す役がおった方が保険屋も潔く払うやろ。それで動機のある奴こさえよ思て、おまえを抜擢したんや。スケジュール知っとるから、おまえにアリバイないときに死ぬの簡単やし。羊田のスケープゴートも悪ないやろ。
 ま、心配すな。おまえの力やったら、お務め後でもお笑いで食うてけると保証する。おまえの無実はこのメールが証明してくれるやさかい、堪忍な。送信されるの百年後やけど。

 終
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