シュレッダーの男

エピソード文字数 4,029文字

 これまでの数十年間、矢口三郎(やぐちさぶろう)は、綺麗に除雪することが自慢の種だった。ポンダ社製の真っ赤な大型除雪機を持っていて、彼はそれを押し、近所の男の子が、雪かき用のスコップを持って除雪を手伝ってくれるたびに、一回につき五百円玉を一枚支払っていた。
 生涯孤独の彼にとって唯一の楽しみが、缶ビールを片手にビック・バン・セイバーのいる新世界プロレスのテレビ中継に、年甲斐もなく熱中することであった。これまで新世界プロレスに来日した数多くの巨漢の外国人レスラーたちは、柔よく剛を制するような感じで、小柄な日本人選手に攻略され敗北を喫していた。しかし、このビック・バン・セイバーだけはデカい者が小さな者をパワーで圧倒し、日本人選手をことごとく粉砕していた――このシンプルな強さに、彼はこの上なく痛快感を覚えた。明日もまた近所の男の子を頼りに、綺麗に除雪ができれば良い――矢口はそう思った。

 翌朝、午前五時に起床を済ませた矢口は、玄関のドアを開けたと同時に驚いた。なんと彼の愛車であるジムニーが、ひと晩でスッポリと雪で覆われていたのだ。そして、彼は必死になって車の雪をはらっていると、新聞配達の男が声をかけた。
「おはようございます。朝刊でーす」
「どうも」
 彼は朝刊を受け取った。
 車の除雪が中途半端な状態であったが、このままでは新聞紙が降りはじめた雪に濡れてしまうと思い、仕方なく玄関先へと向かった直後、彼は氷の表面に足元を滑らせ、したたか腰を打った。あまりの痛さに声にならなかった。
 数分後――彼はゆっくりとした動作で、腰をおさえながら起きあがると、雪まみれになった新聞紙を拾いあげた。
「朝っぱらから、踏んだり蹴ったりじゃ……」
 彼はヨロヨロと玄関のドアを開けた。玄関先で新聞紙を開くと、ふと案内広告欄に目が留まった。


【除雪作業代行いたします。納得の低価格! 電話666―9918】


 しんと静まりかえった部屋で電話の呼び鈴が鳴った。
 こんな朝っぱらから、いったい誰じゃと、矢口は受話器を取った。
「はい、こちら矢口ですが……」
「あっ、おじさん、おはようございます。ボクです、ゴホッ、ゴホッ」
「おぉ、健太君じゃないか。おはよう――こんな朝早くからどうしたんじゃ?」
「おじさんごめんなさい。ゴホッ、ゴホッ、なんか風邪ひいちゃって――今日は雪かきのお手伝いできそうもないよ。ゴホッ、ゴホッ」
「そうか、無理せんでえぇ。お大事に……」
 矢口はガチャリと、受話器を下ろした。
 台所でトントンと沢庵(たくあん)を包丁で切り刻み、大声を張り上げて息子を呼ぶような主婦がいるだろうと想像しながら、矢口はその番号をダイヤルした。意外にも、なんともハキハキした、いかにも人慣れした声が応答した。
「お電話ありがとうございます。こちらはスノースワット除雪作業代行社でございます」
 矢口は用心しながら、除雪を頼みたい仕事があると言った。高齢化社会にピッタリな会社であろうか。除雪作業員たちが営業を始め、事務員を雇うほどの大きな事業にまでのし上がったのかな? 彼は、電話相手に値段について質問した。すると、相手は妥当と思われる金額を答えた。
 矢口は、電話なんかかけなければよかった……まったく情けないわい、と悔やみたい気持ちとなって電話を切り、また屋外へ戻った。しんしんと降りしきる雪、彼は銀色の空を眺めた。矢口は左手で腰をおさえながら、車の除雪を黙々とはじめた。

 五分ほどした頃、矢口は目の前に立ちはだかった大男にぎょっとして驚き、スノーブレードをぽとりと落とした。
 車の油で汚れた作業服のつなぎを着た大男が一人、ガムをくちゃくちゃ噛かみながら立っていた。ただの大男ではない。全身鋼のように鍛えこまれた肉体のために、作業服のつなぎがはち切れんばかりにびりっと音がして、両腕は丸太ん棒のように太く、矢口は、こやつはプロレスラーか、と本気で思ったぐらいである。
「なっ、なにか?」
 怯えた表情のまま、矢口は訊いた。
 男はニヤリと笑うと、囓っていたガムをごっくんと飲み込んで、服の襟を引っ張り、それから、かぶっていた赤と白と青がまじった野球帽を額の上のほうへ少し押し上げた。
「スノースワット除雪作業代行社から来たんだ、旦那」
 頬をかきながらその男は陽気に言った。
「あんた、電話くれたんだろ? な、旦那」
 男はニヤニヤしている。
「ああ、除雪を頼みたいんだが。あんたがやるのかい?」
 矢口は馬鹿みたいに相手を見つめた。
「そうさ、おれだよ」
 除雪をする男は、動揺を隠しきれない矢口の顔に、吠えるような笑い声を浴びせかけた。
 あっけにとられて立っている矢口を尻目に、男はのしのしと雪の上を歩きはじめ、軽トラに積んだ除雪機を降ろそうとしていた。だんだん頭がはっきりして、矢口にもその男が誰で、何のためにやってきたのかが理解しはじめた。こんな奴はどこの職場でもいるタイプだ。ちょっとシャベルに寄りかかって、ハイライトやホープをたしなむゆとりを忘れず、俺こそ“器の大きい男”で社会に必要不可欠の人間だと言わんばかりの顔をして、鷹のような目つきで、自分のやるべきことを、ちゃんと心得ている。
「すまないが、除雪はわしの除雪機を使ってくだされ」
 矢口は申し訳なさそうに声を低くして、その男に言った。
「せっかく用意してきたんだぜ、旦那」
「わしはポンダ社製の真っ赤な大型除雪機じゃないと気がすまんのじゃ」
「旦那の頼みは素直に聞くとするか――で、旦那の除雪機はどこにあるんだい?」
「そこの物置の中じゃ」
 矢口は鍵を男に手渡した。
「オーケー」
 男は鍵を受け取り物置の扉を開けた。
「さっき転んで腰を打ってのぉ。結構雪が積もってしまったわい――それであんたを呼びつけたわけだ」
 矢口は言い訳するような口調となってしまっていた。
「大したことないぜ。ちょろいもんさ」
 男は除雪機のエンジンをかけ、にっこりと営業スマイルをした。
「雪が高けりゃ高いほど、闘志満々となるぜ。じっちゃんの名にかけて間違いない。これは、おれの口癖なんだが」
 じっちゃんの名にかけてじゃと?
 除雪機の男は矢口の方を見た。
「もしかして、旦那は往年のプロレスファンかい? おれの好きなレスラーは“地獄の墓掘り人”ことローラン・ボッシュさ。シュツットガルトの硬いマット上で、受け身のとれないボディースラムとぶっこ抜きスープレックスを連発し、対戦相手の背骨と頭蓋骨をバラバラに破壊する。あの残忍な表情がたまらねえぜぇ」
「――な、なぜわしがプロレスファンだとわかったんじゃ?」
 矢口はひきつった顔で訊いた。
「旦那のことなら、なんでも知ってるぜ」
 男は不気味な笑みを浮かべ、凄まじい除雪機の轟音とともに矢口の目の前で、クロスオーガ刃を高速回転させはじめた。
「あんた昔、中学校の国語教師だったろ。よく生徒たちに読書感想文の宿題ばっか出しやがったよな。あんたの口癖、よく覚えてるぜ――駄作はこの世から完全に消去しろってな。そこであんたは生徒が必死になって書き上げた原稿用紙を、なんの躊躇することなくシュレッダーにかけて、威張り腐った顔で書き直しを命じたもんさ――生徒たちに心底嫌われてたことも知らず」
「だっ、黙れ!」矢口は怒鳴った。
「おっと、まだ続きがあるぜ。孤独なあんたにとって、唯一の楽しみがこの除雪作業だろ。肝心な作業する人間が怪我をするとは、どういうことを意味するかね、旦那」
「うるさい! じつに不愉快じゃ。もうとっとと帰ってくれ!!」
 除雪機の男は、まぬけ面のまま小指で耳糞をほじくった。
「先生よ、あんたって他人(ひと)に対して厳しく、自分に対してはチョー甘いようだな――つまり、おれが言いてえのは、除雪すら満足にできねえ中途半端なクソ(じじ)いは、この世から完全に消去するってこった」
「やっ、やめろォ!」矢口は絶叫した。
 除雪機の男は、冷酷な表情で本体を前進させた。


「まったくとんでもない事件だな」
 写真を撮り終えた時、吉田警部補が言った。白衣を着た男は頷きかけて、そそくさとこの場から去った。
「近所の住人から、酷い死体があると連絡が入ってから一時間も経っていないんだ」
「そうですか」と、パトロール警官の加藤が訊いた。
西湖舞也(さいこまいや)という男だが。ひょっとして西湖舞也は、矢口本人だったかも知れない。ひょっとして」
「といいますと?」
「この寒さでここがイカれたんだよ」 
 吉田警部補は真顔のまま、自分のこめかみに人差し指をあてた。
「あの糞忌々しい、精神病という奴さ」
「ええ、そうですね」
 加藤はうやうやしく言った。
「バラバラの死体は大型除雪機の中にある。まるでミンチ化状態――生きた人間をまるごとシュレッダーにかけたようなもんさ」
「ホント吐き気がしますよ」
 加藤はスーっと血の気が引いた。
「躁うつ病だったんだよ」吉田警部補が言った。「きっとな」
「足跡の確認は?」
 加藤がこもった声で言った。
「必要ないだろう」
 吉田が言った。
 吉田警部補は、両手をポケットに突っ込んだ後、あったまった手で雪玉をつくると、平凡なゴロでも鮮やかに一塁手に送球する三塁手を演じてみせた。
「この世の中には」と、真面目な口調で言った。「頭のおかしい奴が腐るほどいるんだ。それを忘れるなよ、加藤」
「はい、心得ました」
 加藤が答えた。
 吉田警部補は、矢口家の、真っ赤に染まった雪を見渡した。
「とにかく、こいつはキチガイじみた事件だったな」
 吉田は家の周りをぶらぶら歩き、加藤は後ろからついていった。

 二人の後ろの空気は、まだ生々しい血の香りが鬱陶(うっとう)しい感じで漂っていた。

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