第15話妻が癌になってしまった

文字数 2,172文字

それから北杜市へと戻って来てから3日後のことであった。
寮の食堂で夕食を済ませ、部屋で寛いでいた時である。
突然、携帯電話に妻からの着信があった。
その発信元を見た瞬間に俺は嫌な予感がした。
それと言うのも妻は最近体調を崩しており、町医者の薦めで大学病院にて精密検査を受けてくると聞かされていたからである。
俺は心の中で
「大丈夫だったよ、心配することは無いって先生に言われたよ」
という言葉を妻、真知子から聞きたいと思った。
しかし現実は違ったのである。
妻からの第一声は
「あなた、わたし癌になっちゃった」
であった。
俺はその言葉に動揺した。
姉に続いて妻までもが癌に侵されてしまうとは。
そして続けて妻は言った。
「だけど先生からは、初期の肺癌なので患部を手術して摘出してしまえば大丈夫ですから、と言われたの」
妻のその話し方は気丈に振る舞っているようにも思えた。
しかし実際には、どれだけ心細く不安に感じていた事であろう。
俺は居ても立ってもいられなくなり翌日、会社には休暇届けを提出し、夏休みと合わせて約半月間の長期休暇を取ることにした。
そしてその日のうちに特急あずさに乗り帰京し、自宅へと戻ってきた。
玄関を開け、妻真知子と顔を見合わせた瞬間に、お互い涙が止めどなく溢れて出てきた。
俺は真知子の体をそっと引き寄せ、抱きながら言葉も無く、ただ頭を撫でることしか出来なかった。
そして二日後、真知子と一緒に大学病院へと向かい、今後の治療について主治医と外科医より説明を受けたのであった。
それによると8月6日に入院をして手術前検査を行い、8月10日に腹腔鏡手術による患部の摘出をする事となった。

そして手術当日となり、俺は娘たち二人と一緒に朝早く病院へと向かい、真知子のいる4階の病室へと入っていった。
そこで、これから行われる手術の緊張感を和らげる為に、意図的に4人で他愛もない話を長々と続けた。
その後、真知子は8時からの手術に備えて、ストレッチャーに乗せられ麻酔室へと運ばれる事となった。
俺と娘たちは前日、執刀医からの説明をこう受けていた。
「今回の手術での危険度は高くなく、大丈夫ですから安心して下さい」
そうは聞かされていたのだが、もしものことを考えてしまうと不安で不安で堪らなかった。
暫くの間、3人で真知子の手をギュッと握っていたのだが、真知子を乗せたストレッチャーは看護師さんに押され動き出し、握っていた手は自動ドアの手前で自然と離れていった。

その後、俺と二人の娘たちは3階にある談話室で待つこととなり、その間、なんとも不安な時が流れていった。
そして終了予定の11時を過ぎてもなかなか手術は終わらずに、それからの時間がとても長く感じられたのであった。
俺と娘たちは、新聞や雑誌に目をやり続けてはいたのだが、まったく内容は入ってこずに、ただページをめくる音だけが狭い部屋に響いていた。
その後も静寂で不安な時が流れていったのだが、午後1時をまわった頃ノックと共に看護師さんが部屋へと入って来てこう言ったのである。
「手術の方は長引いていますが、患者さんの容態は安定しておりますので安心して下さい」
俺はその看護師さんの一言に、そっと胸を撫で下ろした。
そして娘たちの方を見てみると週刊誌の活字から視線を上げ、ホッとした表情で互いに頷きあっていた。
それから1時間ほどが経過してから正式に、手術が無事に終了したとの連絡が入ってきた。
その言葉に俺と娘たちはジッとしていられなくなり、2階にある手術室の扉の前へと向かったのである。
そしてそこのベンチシートに座り待っていると、程なくしてストレッチャーに乗せられた真知子が手術室の中から出てきた。
その様子を窺っていた俺ら親子3人はそっと腰を上げ、目の前を通り過ぎて行く真知子の穏やかに眠る顔を見て、やっと安心することが出来た。
そして知らず知らずのうちに3人して、音のしない拍手をして喜びを分かち合っていたのである。
その後、看護師さんからの説明があり、本日は集中治療室で様子を見ることにして明日、一般病棟に移される見通しであるという事を聞かされた。

それから真知子は順調に回復してゆき、一週間後には退院する運びとなった。
そして俺の会社の夏休みも終了し、娘たちに
「お母さんのことを頼んだぞ」
と言い残してから北杜市にある研究所へと戻っていった。

しかし通常の業務に戻っても、俺は仕事に集中する事が出来ないでいた。
不思議なマリモの検査結果も気になるし、妻真知子の容態も気になってしまってしょうがない。
特に今回の真知子の病気発覚は、予想だにしていなかった事でもあり正直驚かされた。
幸いにも肺腺癌の初期であった為、除去手術を行うことが出来た。
そしてその手術を担当していただいた外科医の先生にも
「もう大丈夫ですから」
と太鼓判を押してもらい本当に感謝している。
もし今回の件が手遅れになっていたとしたら、
そう考えただけでもゾッとする。
しかしである。
病気に絶対は無い。
妻の場合に於いても、将来再発する危険性がゼロであるとは言い切れないのである。
そのもしもの時の事も考え、すべての癌に効く完治薬を一刻も早く完成させておかなくてはとも思った。

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