【6】
文字数 1,900文字
数日間で、物が増えつつあった。
火をたくためのガスコンロ、水をくむためのバケツ、電気を作るための自家発電とガソリン、冬をしのぐためのストーブと灯油。
検針に誰かが来るのを嫌い、水道、ガス、電気の契約はしなかった。
妻と娘には、言語の勉強から始める。
簡単な『あいうえお表』を使って、根気よく言葉を学習させることにした。
娘を私の太ももにのせて、
「これは『いぬ』だよ」
「いーむー」
「『い・ぬ』って言うんだ」
「いーぬー」
図鑑を見せたりして教えてやる。
妻に言葉を教えるのは難しかった。
顔の半分がないので、そもそも発音できない。
舌がうまくまわらず「あーうー」が限界だった。
娘のほうはまばたきしない瞳で、表や図鑑を見ておぼえている。
生前の年齢は幼稚園を卒業する前だったか。
私の太ももがお気に入りで、よくのってきたものだ。
「これはなんて言う?」
「『ぱーぱー』」
私が父親の絵を何気なくさすと、娘は反射的に言った。
私のほうを見上げている。
正解かどうか、確認しているのか。
「あっ、ああ、賢いね。あってるよ」
私は不意に涙がこみあげ、手で慌ててぬぐった。
小さかった娘は、太ももにのると、笑って顔を私の胸にこすりつける癖があった。
よくパパって言ってたな。
私は今いる娘を壊れないように抱きしめていた。
夕方近くになると、妻と娘を川に連れていきタオルでぬぐってやった。
水の中に直接入れると、皮膚が溶け出し、内蔵が出てしまう。
洗ってて気づいたのだが、ふたりとも毛がはえてきている。
頭だけでなく、体からも。
妻にいたっては、口から毛がのぞいている。
それで、バリカンとハサミを買ってきて、のびた毛をカットしていった。
最初はバリカンの機械音に反応していたが、なれてくると無反応になっていった。
食事はシンプルだ。
地下の池に生息している魚を釣ってきて、食べやすいように切る。
そしてふたりの口に入れる。
さすがに私は生では食べられないので、ガスコンロで焼いて食べていた。
味は普通の魚だ。
ふたりは寡黙に生魚を食べる。
家族と一緒に食卓につけるだけで満足だった。
運動は軽いウォ―キングから始めた。
太陽の光が嫌みたいなので、夜の散歩になっていく。
運動能力はあるのか、歩きから走りをおぼえ、夜行性の動物みたいに走り回っていた。
足が折れないか心配になるぐらいだ。
妻は口の中に、よくカエルやクモを入れて帰るので、私は苦笑しつつも、刻んで喉に入れてやった。
ある日の夜。
私と妻がろうそくに火をともし、くつろいでいると、娘が帰ってきた。
「ぱーぱー」
娘はそう言って、背中に何か隠した。
いたずらっ子が芽生えたようだ。
またムカデかなんかかな?
「それはなんだい?」
私はほほ笑みながら聞いてやる。
「ねーこー」
娘が片手で差し出したものは、子猫の首だった。
胴体がなく、体をつなぐ骨が飛び出している。
目玉は小枝で突き刺していた。
泥だらけということは、捕まえて、遊んだあとか。
私は顔を一瞬引きつらせたが、
「ああ、子猫か。かわいいね。パパにくれるのかい?」
「あーいー」
娘は無表情、いや、笑顔でそう言った。
私は素直に子猫の首を受け取る。
娘は喜んで、ママの太ももにのった。
妻は口から粘っこい液体を流していた。
私はふたりに見つからないように、子猫の首を持って、外の庭に埋めてやる。
猫の鳴き声がした。
子猫を失った親猫か。
すまない。
私は悲しそうな鳴き声に謝っていた。
次の日。
不動産屋の中年の社員が訪ねてきた。
様子を見にきたか。
私は妻と子を地下に隠し、外に出て対応した。
社員は私を見るなり、驚いた表情になった。薄い髪の毛から、一本の髪が抜けて、風に運ばれ海に落ちていく。
社員は雑談をそうそう切り上げて、「何かあったらここに電話してください」と、タウンページを渡された。
家の様子を聞かず、さっさと営業車に乗っていってしまった。
タウンページの端には折り目があった。
精神科病院の案内図がそこにはあった。
夜。
ろうそくの明かりで、タウンページを見ていると、娘がまた背中に何か隠してやってきた。
私が喜ぶと学習したのか。
小さな娘が持って帰るものだ。
子猫、子犬、カエル、蛇、ムカデ。
その程度の大きさだろう。
成人になったら、持って帰る物もでかくなりそうだから、対応を考えねば。
「何を持ってきたのかな?」
私が積極的に聞くと、娘は照れつつも出し渋ったりする。
幼い行動に、また涙が出そうになる。
だが、差し出されたものを見て、私は血の気が引いてしまった。
それは、人間の腕だった。
火をたくためのガスコンロ、水をくむためのバケツ、電気を作るための自家発電とガソリン、冬をしのぐためのストーブと灯油。
検針に誰かが来るのを嫌い、水道、ガス、電気の契約はしなかった。
妻と娘には、言語の勉強から始める。
簡単な『あいうえお表』を使って、根気よく言葉を学習させることにした。
娘を私の太ももにのせて、
「これは『いぬ』だよ」
「いーむー」
「『い・ぬ』って言うんだ」
「いーぬー」
図鑑を見せたりして教えてやる。
妻に言葉を教えるのは難しかった。
顔の半分がないので、そもそも発音できない。
舌がうまくまわらず「あーうー」が限界だった。
娘のほうはまばたきしない瞳で、表や図鑑を見ておぼえている。
生前の年齢は幼稚園を卒業する前だったか。
私の太ももがお気に入りで、よくのってきたものだ。
「これはなんて言う?」
「『ぱーぱー』」
私が父親の絵を何気なくさすと、娘は反射的に言った。
私のほうを見上げている。
正解かどうか、確認しているのか。
「あっ、ああ、賢いね。あってるよ」
私は不意に涙がこみあげ、手で慌ててぬぐった。
小さかった娘は、太ももにのると、笑って顔を私の胸にこすりつける癖があった。
よくパパって言ってたな。
私は今いる娘を壊れないように抱きしめていた。
夕方近くになると、妻と娘を川に連れていきタオルでぬぐってやった。
水の中に直接入れると、皮膚が溶け出し、内蔵が出てしまう。
洗ってて気づいたのだが、ふたりとも毛がはえてきている。
頭だけでなく、体からも。
妻にいたっては、口から毛がのぞいている。
それで、バリカンとハサミを買ってきて、のびた毛をカットしていった。
最初はバリカンの機械音に反応していたが、なれてくると無反応になっていった。
食事はシンプルだ。
地下の池に生息している魚を釣ってきて、食べやすいように切る。
そしてふたりの口に入れる。
さすがに私は生では食べられないので、ガスコンロで焼いて食べていた。
味は普通の魚だ。
ふたりは寡黙に生魚を食べる。
家族と一緒に食卓につけるだけで満足だった。
運動は軽いウォ―キングから始めた。
太陽の光が嫌みたいなので、夜の散歩になっていく。
運動能力はあるのか、歩きから走りをおぼえ、夜行性の動物みたいに走り回っていた。
足が折れないか心配になるぐらいだ。
妻は口の中に、よくカエルやクモを入れて帰るので、私は苦笑しつつも、刻んで喉に入れてやった。
ある日の夜。
私と妻がろうそくに火をともし、くつろいでいると、娘が帰ってきた。
「ぱーぱー」
娘はそう言って、背中に何か隠した。
いたずらっ子が芽生えたようだ。
またムカデかなんかかな?
「それはなんだい?」
私はほほ笑みながら聞いてやる。
「ねーこー」
娘が片手で差し出したものは、子猫の首だった。
胴体がなく、体をつなぐ骨が飛び出している。
目玉は小枝で突き刺していた。
泥だらけということは、捕まえて、遊んだあとか。
私は顔を一瞬引きつらせたが、
「ああ、子猫か。かわいいね。パパにくれるのかい?」
「あーいー」
娘は無表情、いや、笑顔でそう言った。
私は素直に子猫の首を受け取る。
娘は喜んで、ママの太ももにのった。
妻は口から粘っこい液体を流していた。
私はふたりに見つからないように、子猫の首を持って、外の庭に埋めてやる。
猫の鳴き声がした。
子猫を失った親猫か。
すまない。
私は悲しそうな鳴き声に謝っていた。
次の日。
不動産屋の中年の社員が訪ねてきた。
様子を見にきたか。
私は妻と子を地下に隠し、外に出て対応した。
社員は私を見るなり、驚いた表情になった。薄い髪の毛から、一本の髪が抜けて、風に運ばれ海に落ちていく。
社員は雑談をそうそう切り上げて、「何かあったらここに電話してください」と、タウンページを渡された。
家の様子を聞かず、さっさと営業車に乗っていってしまった。
タウンページの端には折り目があった。
精神科病院の案内図がそこにはあった。
夜。
ろうそくの明かりで、タウンページを見ていると、娘がまた背中に何か隠してやってきた。
私が喜ぶと学習したのか。
小さな娘が持って帰るものだ。
子猫、子犬、カエル、蛇、ムカデ。
その程度の大きさだろう。
成人になったら、持って帰る物もでかくなりそうだから、対応を考えねば。
「何を持ってきたのかな?」
私が積極的に聞くと、娘は照れつつも出し渋ったりする。
幼い行動に、また涙が出そうになる。
だが、差し出されたものを見て、私は血の気が引いてしまった。
それは、人間の腕だった。