熱に壊される
文字数 1,731文字
機械音に促されるままに四角い箱を開ける。
カチリと少しだけ固い感触があるのは、途中で何かあっても中から開かないようにという配慮なのだろうか。
この中で卵が爆発しても扉が割れたという話を聞かないのだから、その程度の耐久度の為に用意された仕掛けなのかもしれない。ちょっだけ試してみたいものの、その後の惨事を思えばもちろんそんな機会が来たことはなかった。
昔は中でくるくる回っていた気がするが、最近は回らないものが主流、らしい。
去年買い換えたレンジは、前のそれより非常に高性能なもの、の筈だが、家電の機能を細かに使う人間のいない我が家においては飲み物を温めるか冷凍食品や食事を温める程度にしか活躍の機会がなかった。
「遙、何温めたの」
「牛乳」
音が聞こえたのか、カウンターの向こうからやってきた春翔が尋ねてくる。それに端的に答えて中に手を入れた瞬間、春翔が言ったのと私が言ったのがほぼ同時だった。
「ちょっと待って」
「……っつ!」
高性能になっている筈なのに、あたためという機能において大抵飲み物が丁度いい温かさになっていた記憶がない。
が、毎度忘れて触れてしまうのだった。
一応取っ手つきのカップを使用して取っ手の部分を触っているのに触れられない辺り、問題は機械ではなく私自身の手の方にあるのかもしれないが。猫舌ならぬ猫の手。
「毎回やってるんだから覚えなよ」
引っ込めた指先を見る私に、春翔の呆れた声。
一緒に暮らして一年もない相手にすら言われるくらいには同じ失敗を繰り返したので、さすがに私も返す言葉がない。
ここにもし父がいたら、多分私が手を入れる前に布巾を差し出すか、父自身が何も言わず取り出してくれていただろう。春翔の言葉が間に合ってないのは、単に経験の差だと思われた。つまり幼少の頃から飽きず繰り返している失敗である。情けない。
それでも父と二人きりの時は、父が不在時は誰も見ることがない場面だった。
そのせいで私は何度繰り返してもこっそり苦笑いして再度準備してカップに向かうだけだったので……要はこの愚かな習性を直す機会がなかったのである。
将来こんな同居人が出現することを知っていれば、さすがに私だって過去のどこかで全力で直した、と思う。
この点は、普通の生活をする普通の人間の家庭において、ほぼ他人のような相手がある日突然同居するような未来を想像できる方がおかしいだろう、と弁明するしかない。
「ここで飲むの?」
言いながら春翔がレンジからカップを取り出した。
何のためらいもなく持っている。熱くないのだろうか。
「向こうで」
「了解」
カウンターの向こうに続く居間を視線で示せば、勝手に持っていくので、それを飲みたい私はついていくしかない。
低いテーブルにことんとカップを置いて、その少しずれた横に春翔が座る。
カップの前に座れということらしい。
大人しく座ったものの、直ぐに牛乳を飲める訳でもない。
「丁度いい温度に温まるように時間調整すれば?」
「熱い方が甘いじゃない」
「あぁ成る程」
気のせいかもしれないが、一度熱々になった牛乳は、飲める程度に温いそれより甘い気がする。それを告げれば、曖昧に春翔が頷いた。
「でも、遙、膜は好きじゃないよな? いつも残してる」
「苦手だもの」
熱々の牛乳に発生する膜は、毎回避けて液体だけを飲んでいる事までもう知っているらしい。
そんなに春翔の前で熱い牛乳を飲んでいただろうか。
別に責められているわけでもないのになんとなく悪いような気がするのは、たとえ膜でも食物で、粗末にしてはいけないという教育の成果なのかもしれない。
「じゃあ貰っていいんだよね」
何を、と言う前に横から伸びた手がカップを攫って、なんとなく追った視線の先でそれは春翔に飲まれていた。
声を上げる間もない。
熱くないのだろうか。
「はい、どうぞ」
そして戻されたカップにはもう膜はない。
指先で口元を拭って、その指をテッシュで拭きながら春翔が笑う。
「今後飲むときは言って」
まさか毎度毎度、熱い牛乳を飲む為だけに声をかけろと言うのだろうか。
そう思いながら触れたカップは濃い湯気がもくもくと上がっている。見るからにそれはまだ熱くて、触れられそうになかった。
カチリと少しだけ固い感触があるのは、途中で何かあっても中から開かないようにという配慮なのだろうか。
この中で卵が爆発しても扉が割れたという話を聞かないのだから、その程度の耐久度の為に用意された仕掛けなのかもしれない。ちょっだけ試してみたいものの、その後の惨事を思えばもちろんそんな機会が来たことはなかった。
昔は中でくるくる回っていた気がするが、最近は回らないものが主流、らしい。
去年買い換えたレンジは、前のそれより非常に高性能なもの、の筈だが、家電の機能を細かに使う人間のいない我が家においては飲み物を温めるか冷凍食品や食事を温める程度にしか活躍の機会がなかった。
「遙、何温めたの」
「牛乳」
音が聞こえたのか、カウンターの向こうからやってきた春翔が尋ねてくる。それに端的に答えて中に手を入れた瞬間、春翔が言ったのと私が言ったのがほぼ同時だった。
「ちょっと待って」
「……っつ!」
高性能になっている筈なのに、あたためという機能において大抵飲み物が丁度いい温かさになっていた記憶がない。
が、毎度忘れて触れてしまうのだった。
一応取っ手つきのカップを使用して取っ手の部分を触っているのに触れられない辺り、問題は機械ではなく私自身の手の方にあるのかもしれないが。猫舌ならぬ猫の手。
「毎回やってるんだから覚えなよ」
引っ込めた指先を見る私に、春翔の呆れた声。
一緒に暮らして一年もない相手にすら言われるくらいには同じ失敗を繰り返したので、さすがに私も返す言葉がない。
ここにもし父がいたら、多分私が手を入れる前に布巾を差し出すか、父自身が何も言わず取り出してくれていただろう。春翔の言葉が間に合ってないのは、単に経験の差だと思われた。つまり幼少の頃から飽きず繰り返している失敗である。情けない。
それでも父と二人きりの時は、父が不在時は誰も見ることがない場面だった。
そのせいで私は何度繰り返してもこっそり苦笑いして再度準備してカップに向かうだけだったので……要はこの愚かな習性を直す機会がなかったのである。
将来こんな同居人が出現することを知っていれば、さすがに私だって過去のどこかで全力で直した、と思う。
この点は、普通の生活をする普通の人間の家庭において、ほぼ他人のような相手がある日突然同居するような未来を想像できる方がおかしいだろう、と弁明するしかない。
「ここで飲むの?」
言いながら春翔がレンジからカップを取り出した。
何のためらいもなく持っている。熱くないのだろうか。
「向こうで」
「了解」
カウンターの向こうに続く居間を視線で示せば、勝手に持っていくので、それを飲みたい私はついていくしかない。
低いテーブルにことんとカップを置いて、その少しずれた横に春翔が座る。
カップの前に座れということらしい。
大人しく座ったものの、直ぐに牛乳を飲める訳でもない。
「丁度いい温度に温まるように時間調整すれば?」
「熱い方が甘いじゃない」
「あぁ成る程」
気のせいかもしれないが、一度熱々になった牛乳は、飲める程度に温いそれより甘い気がする。それを告げれば、曖昧に春翔が頷いた。
「でも、遙、膜は好きじゃないよな? いつも残してる」
「苦手だもの」
熱々の牛乳に発生する膜は、毎回避けて液体だけを飲んでいる事までもう知っているらしい。
そんなに春翔の前で熱い牛乳を飲んでいただろうか。
別に責められているわけでもないのになんとなく悪いような気がするのは、たとえ膜でも食物で、粗末にしてはいけないという教育の成果なのかもしれない。
「じゃあ貰っていいんだよね」
何を、と言う前に横から伸びた手がカップを攫って、なんとなく追った視線の先でそれは春翔に飲まれていた。
声を上げる間もない。
熱くないのだろうか。
「はい、どうぞ」
そして戻されたカップにはもう膜はない。
指先で口元を拭って、その指をテッシュで拭きながら春翔が笑う。
「今後飲むときは言って」
まさか毎度毎度、熱い牛乳を飲む為だけに声をかけろと言うのだろうか。
そう思いながら触れたカップは濃い湯気がもくもくと上がっている。見るからにそれはまだ熱くて、触れられそうになかった。