第109話

文字数 2,880文字


源三郎江戸日記109

翌日は源蔵と別れて薩摩周りで高鍋まで行き物産方や薬草園等を見て周り順調に行っている事を確認したのです、祖父、祖母も元気で物産方の指南をやっており、色々と楽しい話を、
聞かせてくれたのです、お律は祖父、祖母に会うのは初めてです、二人はこの孫にとても優しくしてくれて、お律は感激していたのです、二日程滞在して、その間七衛門は店の様子、
を聞き、

出店は豊後から薩摩にも増えた事を番頭から聞き、よく薩摩が鑑札を出したなと言うと、薩摩の国家老が高鍋藩の物産方の成功を聞いて、薩摩も抄録の藩士が多く財政難に陥ってい、
るそうで、何とか早く大阪、江戸に鰹節に黒砂糖を運びたいので玄海屋の高速船に載せて欲しいとの依頼があり、積荷を引き受けてくれたら鑑札を出すとの事で積荷を引き受けたの、
です、

薩摩からは千石船で高鍋に運び、積み替えて大阪、江戸に送っていますと言うので、そうかよくやったなと褒めると、薩摩でも古着は沢山売れています、又竹刀、ハム、も好評で、
物産方に増産を頼んでいます、高鍋藩の微禄の藩士も奥方だけでなく旦那様も働いて給金を貰っていますので、暮らし向きは随分楽になったそうです、又原料を供給している農民、
も副業で生活は豊かになっているとの事です、

3万石ですが実収は6万石を越して蓄え金も増えておるそうです、藩の上役は源三郎様に感謝しているそうで、御隠居が鼻が高いと言うておられましたと言うので、そうか、それは、
良い事じあな、あんまり無理するなよと言うと、ハイ、楽しんでやっておりますと笑ったのです、お峰とお律にわしは上杉の主席家老ゆえゆつくり出きぬが、お前たちは少し残っ、
てはどうだ、

2日おきに船は出ているのでいつでも江戸に戻れるぞ、もう直ぐ正月じあここで年を越すといいと言うと、お峰が旦那様が宜しければそうさせてもらいますと言うと、お律も私も残、
りますと言うので、お婆様宜しくお願いしますと言うと、ハイ、引き受けましたよ、色々なところに連れていきましょうと言うので、二人は喜んだのです、源三郎は七衛門と船に、
乗り、

一路大阪に向かい、大阪から京都に行き近衛公に面会したのです、おう源三郎か大石達の討ち入りの模様は瓦版でつぶさに見ておる、禁裏では大変な評判で、幕府に一泡吹かせたと、
公家共が喜んでおる、まろもはながたかいぞえと言って、赦免されれば良いがと言うので、それはありませぬ、又大石殿達は赦免されようなどとは思うておりませぬし、この名誉、
は永遠に語り継がれなければなりませぬと言うと、

そうか残念じあが致し方ないのうと言ったのです、近衛様が従一位の宣下の確約をして下されたので、幕府に邪魔をされず本懐を遂げたのです一番の手柄でしたなと言うと、わしも、
一緒に討ち入った気分じあよ、そなたもご苦労であったと言うので、高鍋の物産を少しお持ちしました、ご賞味くださりませというと、それはありがたいと受け取ったので、屋敷を、
下がり大阪に戻り、玄海屋に一泊して江戸に戻ったのです、

元禄15年がくれて元禄16年になり松の内が開けると、お峰とお律が高鍋から帰って来たのです、本家にお土産を持って年賀の挨拶に行くと、母上が大変喜び源三郎殿は大変じあな、
治憲様を助けて奉公してくだされと言うので、ハイ、何とか財政再建のめども立ちました、4月には参勤交代で米沢に行きます、一年は国元ですので、暫くは顔を出せませぬが息災、
になさりませと言って、

お峰は根岸に返し源三郎は桜田門外の米沢藩上屋敷に出仕したのです、勘定奉行が天満屋が利子だけでも払って欲しいと今来ておりますというので、そうかやっと来たかと言って、
わしが会おうといって、部屋に入ると、挨拶が遅れてすみませぬというので、此方の方こそ顔出しもしなくてすまぬ、なんせ財政は破綻状態じあと言うと、大変なところおそれ入、
りますすが、

手前共も4万両からの貸付で利子も滞っている状態です、利息を含めて5000両くらい返していただけないでしょうかと言うので、今は出来ぬのじあと言うと、この状態では評定所、
に訴えなければならなくなりますと言うので、それは困ったなあ、仕方ない全額返すので利子は免除せいと言うと、4万両を一度にですかと言うので、そうじあと言うと、一度に、
返してくださるのなら免除いたしますと言って、

そんな大金都合がつくのですかと聞くので、後3日待ってくれ、3日後にここに取りに来てくれ、4万両じあ千両箱で40個もあるぞ、多くの大八車が必要じあなと言うと席を立ち、
部屋に戻ったのです、天満屋はどうせ出来ないくせにとぶくさ言うと屋敷を下がり、稲葉の屋敷に行きこの話をすると、何全額返すと言うたのか、どこから持ってくるのじあ、
と言うので、

どうせはったりですよ、3日後には5000両を何処からか借りてお茶を濁すつもりですよと言うと、全額返すと言うたのであろう、3日後には約束が違うと怒って帰って来て、評定所、
に訴えでるのだ、わしが仲を取り持ってやるので、どこかの賦役をやらせよう、さすればこれ以上借りられないので年貢の取り立ててを厳しくするであろう、一揆でも起きれば、
まずは減封にしてやる、

まあそうなれば藩士共が騒ぎを起こすだろう、次は高鍋藩共々改易にしてやると言つたのです、源三郎は七衛門に言うて船で4万両を運び上屋敷の蔵にいれてくれと言うと、ついに、
来ましたか、分かりました明日中に内密に運び、夜に屋敷に運びいれます、多分上屋敷には陸路でなにも運び込まれないのではつたりだと思いますねと言うと、何もないと怪しむ、
ので大八車に5千両を積み、

御用金の札を立てて運び見込めば量の少なさで少し返してお茶を濁すつもりと思うだろうと言うと、そうですねそれでは5000両分を大八車一台で目だつように運びますと言うので、
頼むと言ったのです、翌日七衛門は昼間陸路で大八車に5000両を載せて目だつように御用金の札を立てて上屋敷に運びいれたのです、これは直ぐに天満屋の耳に入り、大八車一台、
との知らせなので、

ヤツパリ5000両を玄海屋から借りてお茶を濁すつもりだと、稲葉に連絡すると、そうかやっぱりな、予定通りやるのだと言ったのです、七衛門は日が落ちると川船に3万5000両を積、
み外堀をとおり、桜田門外の船着場から上屋敷に運び込んだのです、何も知らない天満屋が3日後に大八車8台を引いて米沢藩上屋敷に行くと、庭で待てと言って待たして、出て行き、
よう来た、

勘定奉行、金蔵にあんないして、引き渡してやれと言うと、大八車を金蔵の前に並べ、金蔵を空けて勘定奉行が、持っていけと言うと、人足が蔵にはいり運び出すと、4万両あります、
中を改めなくいいのかと聞くと、適当に箱を開けて確かにありますと、絶句したので、証文を貰おうかと言うと、証文を渡したので受け取り、これで借財は無しだな、ならばそなた、
との義理はなくなった、

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