(三)

文字数 1,610文字

 富が沼を出てその足で金魚屋へ向かうと『黒猫喫茶にいます』の札が掛けられていた。
 金魚屋はいつ来ても客はおらず、大体の場合叶冬は黒猫喫茶にいる。黒猫喫茶の店員は紫音のみのため、紫音が出られない時は叶冬が出るらしい。
 だが黒猫喫茶はメニューが非常に高額で、飲み物はアイスストレートティのみで一杯千円。おかわり割引のような制度はなく都度注文。食事はカレーのみで二千円。デザートも存在するが、ケーキは必ずアイスティがセットで三千円。そのケーキというのも『黒猫の気まぐれケーキ』とやらで提供は一律ではない。
 何故こんな高額なのかと言うと、叶冬と紫音目当てでやって来ては安いメニューで長時間居座る客ばかりで営業にならないためだという。
 ならやらなきゃいいのにと言ったら、叶冬としては何かこだわりがあるらしく絶対に閉店はしたくないらしい。目的はよく分からないが、この高額メニューでもちらほらと客がやって来るのが恐ろしい。
 だが秋葉は注文せず叶冬に会うためだけに入店することを許可されていた。もちろん金魚に関する話をするためだ。
 しかしその黒猫喫茶にも『今は営業していません』という手書きの紙が貼ってあった。せめて休業中という市販のプレートでもかければ良さそうなものだが、メニューの金額からしてまともに営業する気はないのだろう。

「店長。いますか?」
「おおアキちゃん! よくぞ参った! 僕はここだよ!」
「今日もお店やらないんですね」
「面倒くさいんだよ。開けて欲しいならアキちゃんバイト店員やりたまえ」
「時給と勤務時間によります」

 叶冬は本来客が座るであろうソファ席でごろ寝をしていた。このやる気の無さでアルバイトを雇ってどうするというのか。
 そんなことより、と秋葉は富が沼の報告を始めた。佐伯の金魚イベントは怪我人が出たため中止になったこと、金魚の塊が小さくなっていたが新たに金魚を吸収していた様子。
 叶冬はふぅん、と真面目な顔をした。

「どういう現象なんだろうねえ……」
「自然現象じゃないような気がします。前に本能なら一斉に同じ行動を取るはずって言ってたじゃないですか。でも特定の数匹なんですよ。何かしらの意思があるとしか思えないです」
「だとしたらそれは金魚の意思だと思う?」
「そうじゃないですか? じゃなきゃ動かないでしょう。きっとそういう行動パターンがあるんですよ」
「けどアキちゃんが二十年間見たこともないのはパターンと言っていいか微妙だよねえ」
「でも俺は世界各地見てるわけじゃないし」
「まあねえ。じゃあ金魚の行動パターンの一つだと仮定しして、それはどういう目的だと思う?」
「わざわざ行くならそこに用があるんだと思いますけど……」
「そうだよね。でも移動する金魚は他にもいるよね。人間に付いて行くのが。となるとその人間に対して用があるってことになる」
「店長は執着した対象に付いて行くと思ってるんですよね。じゃああの場所に執着してるってことですか?」
「僕はそうだと思う。殺されて悔しい、とか」
「それなら犯人に付いて行きませんか?」
「犯人が分からないのかもしれないよ」
「それなら探し回る気がしません?」
「そういう意思はないんじゃないかなあ。だって留まってるか人に付いて行くかの二択なんだろう?」
「じゃあ生前に自分が認識した範囲に限られますよね。地縛霊みたいなものなのかな」
「あ、でも既に犯人に付いて行っていて、あそこにいるのは全く別の目的の可能性もあるよ」
「となると事件は全く関係無くあの土地に意味があるってことですよね。それじゃあ金魚は執着した場所に行く魂って説は崩れますよ」
「うーん。可能性は無限大だねえ」

 それは良いのか悪いのか。
 けれど秋葉はこの議論ができるのは楽しかった。親にも否定され続けた金魚について向き合うだけでなく、一緒に考えてくれる人間などいなかったからだ。
 自分を抑え込んでいた枷が取れたようでとても気分が良かった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み