秀則への手紙

文字数 2,365文字


 敏子ちゃんが死んじゃった。
 泣きはらして真っ赤になった美代子の瞳から、また大粒の涙がこぼれ落ちた。
 別れる時に抱き合った彼女の肌の感覚がまだ残っている。彼女の遺体は右腕がちぎれて無くなっていた。それでも顔は綺麗なままだった。聡一は……聡一の遺体は母が見せてはくれなかった。父親も焼け焦げて遺体の判別が困難だったという。
「ねえ、どうして、どうしてみんな死んじゃうの? どうしてお父さんや聡ちゃんが死ななきゃいけないの? どうして敏子ちゃんが死ななきゃいけないの? どうして戦争なんてしなきゃいけないの……」
 美代子は泣いた。声を荒げて泣いた。
「なんで、なんで日本の飛行機は来なかったの? ここは日本でしょ? ねえ、そうでしょ? なんで? なんで? 日本の軍隊は世界一だって、ねえ、お母さん違うの? いったいどこで何をしていたの? どうして助けてくれなかったの? ねえ、誰か教えてよ。私だって、もう死んじゃいたいよ」
 美代子は泣き続けた。父親が死んだ時も、聡一の死が告げられた時も歯を食いしばって耐えた。泣き崩れる母の肩を抱き、自分がしっかりしなきゃと言い聞かせた。でも、もう耐えられない。
 和子はぐっと美代子を抱き寄せた。「美代子、お前は生きている。進も生きている。頑張ろ。美代子、頑張ろ。もう少しだけお母さんと進と頑張ろ。死にたいなんて言っちゃだめ」
 泣き崩れている美代子を抱きながら和子も涙を流した。
 和子の父、隆三は静かに立ち上がり、仏壇の引き出しから一枚の紙を取り出した。
「和子、このままここで子供達と暮らしなさい」
 そう言って隆三が差し出した紙は兄、川島隆志の死亡告知書だった。
「つい先だって届いた。丁度お前に報告しようと思うちょったんだが、幸成君と聡一があんな事になってしまったから……」
 和子の兄、隆志は海軍士官として巡洋艦に搭乗していたが、今年五月ペナン沖の海戦で戦死したというものだった。
「兄さん……兄さんも逝かれてしまったのですね……」言いながら和子は美代子と進を強く抱きしめた。「絹子さんはなんて? 登紀子は? 武は?」
 絹子は和子の兄、隆志の嫁で、12歳の節子と10歳の博という二人の子供がいる。登紀子は和子の妹で武は弟だ。
「登紀子は宮島家の嫁だし、武も独立しているから心配ない。絹子さんはここで、この川島家で子供達を育てると言ってくれた。そして、お前達の同居を提案したのも絹子さんだよ。和子、ここで暮らしなさい」隆三が言った。
「ありがとう……ありがとう……」

 美代子はその晩、秀則に宛てて手紙を書いた。
 前回、彼から届いた手紙。今生の別れとも受け取れる手紙を手にして以来、諦めるよう努力してきた。もう手紙も送ってはいけないのだと自分に言い聞かせてきたが、今日はもう我慢が出来なかった。
 美代子が初めて秀則に会ったのは四年前だった。饅頭屋を営んでいた松野家は、金物問屋である相良金物店と昔から付き合いが深かった。当時、相良金物の当主は手広く商売を展開していて、大豆や小豆、小麦粉、米粉なども取り扱っていた為、松野家はお得意様だった。
 その日、頼まれていた修理が終わったといって、鍋を届けにきたのは秀則だった。
 和子は、秀則がW大学の学生だと聞くや、彼に美代子と聡一の家庭教師を頼んだのである。
父母共に学は無かったが、美代子は学校の成績が良かった。当時は商売もうまくいっていた為、少しばかりの余裕はある。なので、子供達には上の学校まで行かせてやりたいという思いが和子にあったのだ。
 もちろんお給金は支払うし、休日などの来れる時で構わないという条件だった。和子の申し出に対して秀則は快く、しかも無償で引き受けてくれたのだ。
 今思えば、父親の商売の取引相手のお宅だからだったのかもしれない。しかし、秀則は思った以上に松野家を訪れ、二人に勉強を教えてくれた。
 最初は恥ずかしがっていた美代子だったが、回を重ねる事に聡明で優しい秀則に惹かれていった。
 美代子と秀則は六つ離れていたが、美代子が早熟であった為、街では恋人同士に間違われる事もしばしばであった。
 二人の仲は急速に進展した。とは言っても戦乱の世の中である。恋人同士のように交際をしていた訳ではない。せいぜい二人で公園の椅子に座って話しをする程度であった。それでも美代子は嬉しかった。とても幸せだったのだ。しかし、そんな僅かな幸せの時をも戦争は無情に切り裂いた。学徒出陣である。
 昭和18年、それまで徴兵猶予されていた大学生にも入隊や出征が義務付けられたのである。
10月。美代子は、明治神宮外苑競技場(現在の国立競技場跡地)で開かれた出陣の壮行会を見に行った。そしてその日の夜、初めて秀則と口づけをした。
 あれが、最初で最後の口づけになるなんて……
 あの時は嬉しくて飛び上がりそうだった。初めて秀則さんの気持ちを確かめる事が出来た。軍隊に入ったからと言って死ぬわけではない。学徒出陣で入隊した士官候補生が、いきなり前線に飛ばされるはずはない。そう聞いていたので美代子は安心していた。
 美代子は戦地の彼に手紙を書いた。何通も、何十通も、その度に秀則は必ず返事をくれた。軍隊での日常や初めてできた親友の事。時には家庭教師の延長で、歴史や数学の問題を書いてくる事もあった。
 幸せだった。離れていても繋がっている。そう感じることができた。ところが、半年前、突然、あんな手紙がきたのだ。もう終わりにしよう。手紙のやり取りもこれが最後だと……
秀則さん。何があったの? 何をしているの? 先日の空襲で相良金物店は美代子の家と同様、燃え尽きてしまったと聞いた。ご家族はどうしたのだろう? 無事なの?
 返事はもらえなくてもいい。それでも美代子は手紙を書かずにはいられなかった。
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