河内音頭 vs 江戸神輿 ③

文字数 2,786文字

 亀戸天神の大祭(本祭り)は四年に一度あり、鳳輦(ほうれん)渡御(とぎょ)と神輿の連合渡御をそれぞれ一日がかりで行います。

 鳳輦とは「屋根に鳳凰の飾りのある天子の車」を意味する言葉で、期限は神輿よりも古く、古来から天子(天皇)や高僧の乗り物として使用されていました。静かに担いで運ばれたり、車輪をつけて黒牛に曳かれて移動する様を、映画やTVドラマなどでご覧になったこともあるかと思います。
 亀戸天神の鳳輦渡御は、烏帽子に装束をまとい、平安朝絵巻を再現した華やかな行列がしつらえられ、氏子町内を巡行します。氏子代表が自町内を先導しながら、旗持、楯持、弓持等の従者が続き、(さきがけ)となる猿田彦(さるたひこ)(天孫降臨の際、道案内役をしたとされる神。容貌は天狗のよう)が歩き、獅子頭(ししがしら)が曳かれ、女官たちが後に続く――そして、次の町会へと引き継ぎながら行列は進んでいきます。細長い地域に跨って氏子をもつため、土曜日の午前八時に始まり、午後五時ごろに本殿へと戻る渡御は、道路の車線規制を行い実施する大掛かりなものです。
 沿道にも多くの見物客が集まる荘厳な儀礼ですが、問題は暑さ対策。八月の昼間に行うことに加えて、装束などを纏っているため、二百人近くに及ぶ参列者の熱中症予防が必要になります。適宜休憩を取りながら給水を行い、町会ごとに人員を交代したりと対処していますが、問題は動物です。天神様の使いとされている牛が鳳輦を曳くのを始め、神職が乗ったり、馬車を曳くための馬もいます。人と同じように休憩と給水をしているのですが、十年ほど前には牛がバテテ倒れてしまったため、それ以降は各役割ごとに二頭ずつ準備をして、途中で交代するようになりました。
 また、鳳輦の還御(かんぎょ)に先立ち、稚児行列も行われます。
 あらかじめ応募(確か費用は一万円だった気が)は必要ですが、きらびやかな平安衣装をまとい、男の子は烏帽子を、女の子は天冠をかぶり、白粉で化粧を施した稚児たちは、オリナスから天神様までを三十分ほど掛けて巫女さんの先導で練り歩き、本殿前にて無病息災を願ってお祓いを受けます。稚児の条件は地域により異なりますが、天神さまは十歳までとしていたはず。四年に一度しか行われず、年齢制限もあるためにかなり人気のある行事で、出発前のオリナス広場ではたくさんの保護者による写真会の様相です。着飾った子供たちを見ているだけで、思わず微笑んでしまいますからね。
 今年、平成三十年は大祭の年となります。
 お近くの方は、鳳輦渡御や稚児行列から平安の時を感じてみてはいかがでしょうか。

 厳かな鳳輦渡御を静の祭礼とするならば、翌日に行われる神輿の連合渡御はまさに動の祭礼といえる、江戸祭りならではの迫力があります。

 氏子町会・二十基の神輿が、まずは南部・西部・東部の三地区に分かれて集合し、早朝七時ごろから渡御が始まります。ちなみに、天神様のHP等では二十五基とされていますが、四と九の付く数字は縁起が悪い(死と苦と同じ音)ことから欠番とされているので、実際には二十基となっています。
 最初に目指すのは三地区の集合場所となる錦糸公園前。四ツ目通りをオリナス前にかけての三百メートルほどの間を片側車線通行止めとし、休憩場所を兼ねて集合します。一基の神輿にはお囃子や手古舞(てこまい)(本来は露払いとして魁を行った(とび)の方を指したようですが、現在は金棒等をもった女性が務める場合が多いですね)、給水、交代の担ぎ手も含め、七、八十から百人を超える大所帯がついているため、それが二十基も並ぶと壮観です。渡御順が後ろの方だと、先頭の町神輿は見えないし、こちらが休憩している間に前方は出発している、といった具合です。
 ここの休憩場所を出発すると、宮入までは休みなしとなります。宮入前には難所となる天神橋の長い上り坂が待ち構えているため、十二分に英気を養ってからの再出発です。

 鳳輦と同様に暑さ対策がカギとなりますが、深川・富岡八幡の水掛祭りのように水を掛けるということはありません。通常の神輿は水を掛けると装飾や本体が傷んでしまうため、雨すら嫌います。恐らく、神輿に水を掛けるのは全国的に見ても珍しいのではないでしょうか。水掛祭りは専用の神輿だからこそ出来る、奇祭と言えます。
 その水掛祭り、あまり(と言うか、ほとんど)知られていませんが、富岡八幡のある門前仲町の隣町、木場にある洲崎神社も水掛祭りが行われています。ここの氏子町会の一つ(私が盆踊りの先生役を担った所)では、神輿巡行の際に地元消防団の協力を得て道路の消火栓を開けてポンプを稼働し、放水を行っていました。消防団としてポンプ稼働確認を兼ねて、と言う名目ですが、消火ホースで吹き上がる水量は半端ではありません。直接当てては危険なくらいの水圧なので、空に向かって放水し、その下を担ぎ手はびしょびしょになりながら神輿が通る、と言った豪快なものでした。
 ただし、天気が悪いと体が冷えてしまい、担ぐどころの話ではなくなってしまうのが難点。寒いと言えば、亀戸天神の連合渡御でも小雨交じりの寒い年があり、途中の休憩で日本酒を飲んで体を温めた記憶があります。あれは何歳だったかなぁ~。

 連合渡御に話を戻すと、再出発した後、蔵前通りを右に曲がり、天神橋の坂を上っていきます。この時、見る側としては天神橋の頂き付近がお薦めのポイント。各町会の神輿が連なって来るのが迫力ある風景として、目に飛び込んできます。坂を上ったら船橋屋の前を通り、天神様の正面へ。
 本来なら正面の鳥居から宮入りするべきですが、太鼓橋があるためここからは入れません。そのため、いったん天神様へ向きを変え、「差せーっ!」の掛け声とともに、担ぎ手が神輿を頭上に持ち上げます。これを差し上げと呼びますが、みんなで一斉に持ち上げながら担ぎ棒をパンパンと叩くのが鳥居前でのお約束。天神様に向かって「神輿を担いできたぞ!」とアピールした後は再び担ぎ直して、本殿横の東門から境内へ入ります。
 本殿の前で再び差し上げをした後に、三本締めで宮入は終了。二十基、すべての宮入が終わるのは午後一時頃となります。
 この後、ほとんどの町会は地元に戻って、町内の神輿巡行を行いますが、その移動方法も豪快です。担いで戻るわけにもいかないので、トラックの荷台に神輿を乗せ、その周囲を睦の連中が乗ったまま押さえながら移動します。トラックの荷台に大勢の人が乗っているのって、日本ではなかなか見られない光景ですよね。

 つい熱が入ってしまい、今回は少し長めの話となりました。次は、公園の話……のつもりでしたが、もう一つの連合渡御もお話しなければ。お祭り話はもう少し続きます。

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