第43話 走りながらの答え
文字数 2,499文字
そのためには失敗にビビらずどんどんそれを教訓として修正していくしかない。
そこで思い出したのである。NovelJamがどういう質の勝負であるか。
でもそれは本来は全く邪魔なものなのだ。
真の価値のあるプライドは、そういうつまらぬプライドをすべて捨てさったときに出てくるのだ。
過酷な座禅修行をした雲水、若い修行僧がその修業の総仕上げに高僧に聞くのだ。
「この座禅修業で、我々は何を得られたのでしょうか」と。
高僧は答える。
「なにかを得るために座禅をすることがそもそもの間違いである」と。
それを見失って、読んでほしい、読者がほしい、賞が欲しい、プロになりたい、お金がほしい、ってなっちゃうとろくなことがなくなる。
書くこと自身の幸せに気づき、それを大事にしなきゃいけないんだよ。
スポーツでも、趣味でも芸術でも、それを道具にしたとき、それらは輝きを失ってしまうのだ。
そうしてそれを続けていくのは困難であるし、それがなにかの実を結ぶこともまたなくなる。
結果を期待してそういうものをやるのは道具にしてることになる。
それができることそのものを楽しみ、感謝できねば、結果の幸せもまずないのだ。
そのバイトに適応するよう工夫するのもまた小説の知恵の鍛錬と思えれば、自然にバイトにも定着できるだろう。
そうなれば心身充実し、いいものを書く技術も精神も作られていくであろう。良い循環になる。
またその結果もう小説に拘る必要がないとわかったとしても、またそれも良い答えなのだ。
自分がやってて楽しく没頭できるからこそ鉄道模型趣味は成立する。
それをバズってみたいとかフォロワーを増やしたいとか雑誌にのりたいと思った時、それはただの道具に成り下がる。
そうなれば、すぐにそれが叶わなければ虚しい、やっててつまらない、などとなる。
そんなことで輝きを失う程度の趣味は、その程度のものでしかないのだ。
NovelJamの本質はハッカソン、強化学習。ゆえ、表彰や注目はちょっとしたスパイスに過ぎず、本質ではないのだ。
そしてそれを共有できる仲間と競うというスパイスで、その体験はさらに素敵になるのだ。
慌ただしい作業だが、こんな光栄で楽しい作業ができることは間違いない幸せであるのだ。
それを感じられれば、失敗は「恥」ではなく、乗り越えるべき課題でしかなくなる。
そこからが本当のNovelJamの真髄であるのだ。
打ち合わせてカッコよくキメるより、即興でヘマもあってもアシストを決めあって乗り越えるほうがずっと楽しいし、それができるのがNovelJamだもんね。