《後編》先生と夢の住人
文字数 4,255文字
初めは、変わったアルバイトだなあと思った。
大学、1年生の期末に差しかかる、年明けからしばらく経った頃のことだった。図書館で、統計学の課題とああでもない、こうでもないと睨めっこしていた。
私は勉強が好きじゃなかった。何となく流されて、入れる程度の大学に入った。そうしたら、どうも大学というのは勉強が好きな人のためにある場所だったらしい。変なやつばっかだな、と思った。教科書をぱらぱら、捲る。こんなものの何が面白いんだか。
異性の友達から、レポートの答えは教えてもらっていた。もしかしたら何か、見返りを期待してるのかな。そう思わないでもないけど、貰えるものは貰うのが私の主義だし。そして、約束していないことは、たとえ期待されたってしないのも私の主義。
まあ、だから、課題の答えを出す必要はないんだけど、答えだけをそのまま書いて提出したらズルがバレちゃうのは、流石の私でも分かるよ。勉強は嫌いだけど、要領の悪いバカじゃないつもりだし。せめてそれらしい導出の式くらいは書いておかないとね。そういうわけで、私は結局、統計学の教科書と見つめ合うハメになっている。
今回の要領の良さに点数をつけるなら、60点くらいかなあ? ギリギリ、普通よりはいい。そんな感じ。
やる気のある連中の熱気と、暖かすぎる暖房のせいでむせ返る図書館で、課題の問題文をぼんやり眺めている。センパイが私に話しかけてきたのは、そんな時だった。
「やぁ、マコちゃん。暇かね?」
期末試験の時期に暇な大学生なんていないよ。
私はそう思うのだけど、実際のところ暇だった。統計学の課題は一向に解ける空気を見せてくれないし、考えるのも正直ちょっと飽きてたとこだった。
「暇じゃダメなんですけど、暇ですね」
「正直で宜しい」
私の向かいの椅子を引いて、足を組んで座った。
そして、センパイはとあるバイトを斡旋してきた。一言で言うなら、カテキョ。家庭教師ってやつ。
「ただ、家庭教師というよりは、話し相手が欲しいみたいなんだよねぇ」
センパイは細いあごに指を添えて、冬の空を眺めた。たしか予報では、午後から雪が降る。
「つまり、お喋りしてればお金がもらえるってことすか」
「マコちゃんの歯に衣着せない感じ、嫌いじゃないよ」
「いいですよ。まあ、期末終わったらで良ければ」
そんで、何とか試験とレポートの沼を抜け出して、私の春休みが始まった。センパイから聞いて覚悟してたけど、アルバイトは結構キツいやつだった。
お仕事の内容は、センパイの言う通りお喋りするだけなんだけど、シフトが不定期。しかも、私の希望は全く通らず、向こうの都合でぜんぶ決まる。ブラックバイトってこういうのなのかな? 私は条件を聞いた上でオッケーしたから文句言えないんだけど。それに大学一年めの春なんて、呆れるほど暇人だし。
それで、お喋りする相手の子は、いいとこのお嬢様だった。夢路さん、ってお名前らしい。可愛いよね。名前もだけど見た目も可憐な感じで、この子に会える楽しみが、実を言うとモチベーションの大部分を担っていた。
2月の初めの頃、勤務はいつも3日に1回で、6時間だった。どうやら、お嬢様は何かの病気らしくて、それ以上は起きていられないらしい。
初めはその程度の認識だった。
そして、3月になる頃には5時間半に、桜の花が咲く頃には5時間になった。そして、ゴールデンウィークも過ぎたころ、ようやく夢路さんのご両親に呼ばれ、真実を知らされた。
彼女は、起きていられる時間がだんだん短くなる病気にかかっているらしい。
今の夢路さんは、3日のうちに起きていられるのが大体4時間半。計算すると、今のところ、2ヶ月に1時間のペースで短くなっている。嫌でも、終わりを想像してしまう。このままだと1年もしないうちに、それはゼロになる。
私は、自分はドライだと思っているけど、さすがに悲しかった。その頃には、それなりに夢路さんのことを気に入ってしまっていた。こんなことなら、初めからビジネスだと割り切っておけばよかったのに。
だけど、当のお嬢様は、自分の宿命を分かっているにも関わらずいつも笑顔だった。そして、新しいことを知る度にぱぁっと笑う。その新しいことというのは、私にとっては勿体ぶるまでもない常識ばかりなんだけど、夢路さんにはそれでも新鮮らしかった。
そのうち、彼女にお喋りするネタも尽きてきたので、私は生まれて初めて自分から勉強をした。まさか勉強嫌いの私が、単位もかかってないのに教科書を開く日が来るなんて。
そんで、夢路さんの気に入りそうなお話をあれこれ探した。彼女のお気に入りは空のお話だった。雲のかたち、空の色、星を結んだ模様。いちばん喜んでもらえたのは、虹の話だった。そのうち高校の教科書では足りなくなって、図書館で理系向けの本を漁り始めた。周りの友人には、最近付き合い悪いね、と言われちゃったけど、それでも止めなかった。
いつもベッドに腰掛けているお嬢様が、唯一見られる外の景色。それが、空だった。彼女が空を見る僅かな時間が、少しでも素敵なものになるよう、知識を仕入れてはお話をした。夢路さんが私を「先生」と呼ぶたび、ほのかに誇らしい気持ちになれた。そして夢路さんは、私の話をひとつも忘れず、大切に覚えていてくれたのだ。
そして梅雨の終わり頃、決定的なことが起こった。
夢路さんの中で、ひ っ く り 返 っ た のだ。夢と現実の、その境い目が。
彼女のなかで私は、彼女の見る夢の中の住人だということになった。夢路さんは夢の中で、あるいは彼女にとっての現実世界で、はぐれカエルの娘さんと一緒に暮らすおばあちゃんになっているらしい。文字通りの、夢物語を彼女は来る日も来る日も楽しそうにお話してくれた。彼女が作ったというお菓子やジャムの話は、聞くだけで口の中に甘い味が広がるようだった。彼女は目覚めるたび、同じ夢を見られたことに安堵して、私に再会できたことを喜んだ。
夢路さんが私に恋しているのは、いくら鈍い私でも分かった。そういうつもりはないんだけど、困るな。戸惑ったけれど、悪い気はしなかった。彼女の片思いに気づいてからは、極力、彼女が求めるとおり、ジェントルに振舞った。そちらの方が素敵だと彼女が言うので、何となく黒染めした髪を、そのままキープすることに決めた。
彼女のなかで夢と現実が入れ替わってから、起きていられる時間はさらに加速して短くなっていった。私は彼女のご両親に頼み込んで、持ちうるほとんどの時間を、彼女のベッドの傍らで座ることに費やした。理由のひとつは、いつ彼女が「夢を見られる」時間になっても会えるように。もうひとつは、彼女が寝言で語る夢の内容をノートに書き留めるためだった。
彼女が起きている時間を測って、毎回記録した。横軸を日付、縦軸を起きていた時間にして、グラフにする。いやいや勉強した統計学の授業で、こういう手法を知った。できるだけ多くの点が沿うような直線を引く。なんでも、カイキ直線とか言うらしいんだけど。そうやって引いた直線は、右下にまっすぐ下がっていって、夏が終わるころの日付で横軸と交わった。
悲しかったけど、そうやっていつも、残りの時間を意識しながら夢路さんとお話した。あと、ほんの少ししか残されていない。そう思うと一分一秒が煌めくようで、私はますます彼女が好きになった。
ある日、目を覚ました夢路さんがふと言った。
先生と一緒にいられる、この部屋が現実だったら良かったのに、と。それを聞いた時の私のこころが如何に乱れたか、想像してもらえるだろうか? 数秒の間に、何百回も自問自答した。本当のことを教えたら、一秒でも長く、夢路さんは目を覚ましていてくれるかもしれない。だけど、彼女の症状がもはや改善する見込みがないのは分かっていた。遅かれ早かれ、夢路さんは夢の世界に閉じこもってしまう。
だから、私は嘘をついた。もう何個目かも分からない嘘を、彼女のために吐いたんだ。嘘は悪いことだなんて言わないでよ。もう、分からないんだ。
――そんなことを言ってはいけませんよ。娘さんに会えなくなってしまいます。
そして、今日も彼女を夢の世界に送り出した。そのあとに耐えられなくなって、泣いてしまった。ノートに涙が落ちて、乾いた後もしわが残った。
夏の終わりの日。
その年幾つめかの台風が直撃して、散々雨が降った。
窓ガラスに空気の塊がぶつかる、派手な音を聞きながら彼女の顔を眺めていた午後、夢路さんが目を覚ましてくれた。計算した、彼女の残りの時間はもう本当に僅かで、今度こそ最後になるかもしれないと思ってた。その日の天気予報によると、もう少ししたら雨が上がる。せめて最後に、本物の虹を見せてあげられないだろうか、そう思った。天にも祈る気持ちだった。彼女のためにいくつも捧げた祈りのうち、その祈りは初めて天に届いた。
ほんとうに、ギリギリだった。彼女は七色の虹をたしかに、確かにその瞳に映し、そして、眠りに落ちた。
そして、それきり。
二度と彼女の夢は醒めなかった。
この話はこれで終わりだ。醒めなかったんだよ。どれだけ祈っても。
……もう少しだけ話してもいいかな? 自慢じゃないけど私、要領は良くって。出来なかったことってほとんどなかったんだ。
勉強は嫌いだけど人並みには出来たし。運動も友達作りも、それなりに。私に出来ないことがあるとすれば、それはやろうとしないことだけだった。やらないから出来ない。単純明快。なのに、夢路さんのことは、私がどうあがいてもどうしようも出来ないことだった。
眠る彼女が言った言葉で、ひとつ忘れられないモノがある。
ねぇ、眠っているだけよ。病気でも何でもないの。素敵な夢を見ているの。それが終わったら、必ず目を覚ますのよ。
そう、彼女は病気じゃない。身体の何処にも異常なものはない。だからこそ、治せなかった。夢は醒めるものなのに、貴方は醒めない夢の中に、永遠に囚われてしまった。
せめて彼女の夢路が、素敵な彩りと光に満ちているよう、祈った。
ねえ、夢路さん。
貴方の夢のなかに、私はいるだろうか?
大学、1年生の期末に差しかかる、年明けからしばらく経った頃のことだった。図書館で、統計学の課題とああでもない、こうでもないと睨めっこしていた。
私は勉強が好きじゃなかった。何となく流されて、入れる程度の大学に入った。そうしたら、どうも大学というのは勉強が好きな人のためにある場所だったらしい。変なやつばっかだな、と思った。教科書をぱらぱら、捲る。こんなものの何が面白いんだか。
異性の友達から、レポートの答えは教えてもらっていた。もしかしたら何か、見返りを期待してるのかな。そう思わないでもないけど、貰えるものは貰うのが私の主義だし。そして、約束していないことは、たとえ期待されたってしないのも私の主義。
まあ、だから、課題の答えを出す必要はないんだけど、答えだけをそのまま書いて提出したらズルがバレちゃうのは、流石の私でも分かるよ。勉強は嫌いだけど、要領の悪いバカじゃないつもりだし。せめてそれらしい導出の式くらいは書いておかないとね。そういうわけで、私は結局、統計学の教科書と見つめ合うハメになっている。
今回の要領の良さに点数をつけるなら、60点くらいかなあ? ギリギリ、普通よりはいい。そんな感じ。
やる気のある連中の熱気と、暖かすぎる暖房のせいでむせ返る図書館で、課題の問題文をぼんやり眺めている。センパイが私に話しかけてきたのは、そんな時だった。
「やぁ、マコちゃん。暇かね?」
期末試験の時期に暇な大学生なんていないよ。
私はそう思うのだけど、実際のところ暇だった。統計学の課題は一向に解ける空気を見せてくれないし、考えるのも正直ちょっと飽きてたとこだった。
「暇じゃダメなんですけど、暇ですね」
「正直で宜しい」
私の向かいの椅子を引いて、足を組んで座った。
そして、センパイはとあるバイトを斡旋してきた。一言で言うなら、カテキョ。家庭教師ってやつ。
「ただ、家庭教師というよりは、話し相手が欲しいみたいなんだよねぇ」
センパイは細いあごに指を添えて、冬の空を眺めた。たしか予報では、午後から雪が降る。
「つまり、お喋りしてればお金がもらえるってことすか」
「マコちゃんの歯に衣着せない感じ、嫌いじゃないよ」
「いいですよ。まあ、期末終わったらで良ければ」
そんで、何とか試験とレポートの沼を抜け出して、私の春休みが始まった。センパイから聞いて覚悟してたけど、アルバイトは結構キツいやつだった。
お仕事の内容は、センパイの言う通りお喋りするだけなんだけど、シフトが不定期。しかも、私の希望は全く通らず、向こうの都合でぜんぶ決まる。ブラックバイトってこういうのなのかな? 私は条件を聞いた上でオッケーしたから文句言えないんだけど。それに大学一年めの春なんて、呆れるほど暇人だし。
それで、お喋りする相手の子は、いいとこのお嬢様だった。夢路さん、ってお名前らしい。可愛いよね。名前もだけど見た目も可憐な感じで、この子に会える楽しみが、実を言うとモチベーションの大部分を担っていた。
2月の初めの頃、勤務はいつも3日に1回で、6時間だった。どうやら、お嬢様は何かの病気らしくて、それ以上は起きていられないらしい。
初めはその程度の認識だった。
そして、3月になる頃には5時間半に、桜の花が咲く頃には5時間になった。そして、ゴールデンウィークも過ぎたころ、ようやく夢路さんのご両親に呼ばれ、真実を知らされた。
彼女は、起きていられる時間がだんだん短くなる病気にかかっているらしい。
今の夢路さんは、3日のうちに起きていられるのが大体4時間半。計算すると、今のところ、2ヶ月に1時間のペースで短くなっている。嫌でも、終わりを想像してしまう。このままだと1年もしないうちに、それはゼロになる。
私は、自分はドライだと思っているけど、さすがに悲しかった。その頃には、それなりに夢路さんのことを気に入ってしまっていた。こんなことなら、初めからビジネスだと割り切っておけばよかったのに。
だけど、当のお嬢様は、自分の宿命を分かっているにも関わらずいつも笑顔だった。そして、新しいことを知る度にぱぁっと笑う。その新しいことというのは、私にとっては勿体ぶるまでもない常識ばかりなんだけど、夢路さんにはそれでも新鮮らしかった。
そのうち、彼女にお喋りするネタも尽きてきたので、私は生まれて初めて自分から勉強をした。まさか勉強嫌いの私が、単位もかかってないのに教科書を開く日が来るなんて。
そんで、夢路さんの気に入りそうなお話をあれこれ探した。彼女のお気に入りは空のお話だった。雲のかたち、空の色、星を結んだ模様。いちばん喜んでもらえたのは、虹の話だった。そのうち高校の教科書では足りなくなって、図書館で理系向けの本を漁り始めた。周りの友人には、最近付き合い悪いね、と言われちゃったけど、それでも止めなかった。
いつもベッドに腰掛けているお嬢様が、唯一見られる外の景色。それが、空だった。彼女が空を見る僅かな時間が、少しでも素敵なものになるよう、知識を仕入れてはお話をした。夢路さんが私を「先生」と呼ぶたび、ほのかに誇らしい気持ちになれた。そして夢路さんは、私の話をひとつも忘れず、大切に覚えていてくれたのだ。
そして梅雨の終わり頃、決定的なことが起こった。
夢路さんの中で、
彼女のなかで私は、彼女の見る夢の中の住人だということになった。夢路さんは夢の中で、あるいは彼女にとっての現実世界で、はぐれカエルの娘さんと一緒に暮らすおばあちゃんになっているらしい。文字通りの、夢物語を彼女は来る日も来る日も楽しそうにお話してくれた。彼女が作ったというお菓子やジャムの話は、聞くだけで口の中に甘い味が広がるようだった。彼女は目覚めるたび、同じ夢を見られたことに安堵して、私に再会できたことを喜んだ。
夢路さんが私に恋しているのは、いくら鈍い私でも分かった。そういうつもりはないんだけど、困るな。戸惑ったけれど、悪い気はしなかった。彼女の片思いに気づいてからは、極力、彼女が求めるとおり、ジェントルに振舞った。そちらの方が素敵だと彼女が言うので、何となく黒染めした髪を、そのままキープすることに決めた。
彼女のなかで夢と現実が入れ替わってから、起きていられる時間はさらに加速して短くなっていった。私は彼女のご両親に頼み込んで、持ちうるほとんどの時間を、彼女のベッドの傍らで座ることに費やした。理由のひとつは、いつ彼女が「夢を見られる」時間になっても会えるように。もうひとつは、彼女が寝言で語る夢の内容をノートに書き留めるためだった。
彼女が起きている時間を測って、毎回記録した。横軸を日付、縦軸を起きていた時間にして、グラフにする。いやいや勉強した統計学の授業で、こういう手法を知った。できるだけ多くの点が沿うような直線を引く。なんでも、カイキ直線とか言うらしいんだけど。そうやって引いた直線は、右下にまっすぐ下がっていって、夏が終わるころの日付で横軸と交わった。
悲しかったけど、そうやっていつも、残りの時間を意識しながら夢路さんとお話した。あと、ほんの少ししか残されていない。そう思うと一分一秒が煌めくようで、私はますます彼女が好きになった。
ある日、目を覚ました夢路さんがふと言った。
先生と一緒にいられる、この部屋が現実だったら良かったのに、と。それを聞いた時の私のこころが如何に乱れたか、想像してもらえるだろうか? 数秒の間に、何百回も自問自答した。本当のことを教えたら、一秒でも長く、夢路さんは目を覚ましていてくれるかもしれない。だけど、彼女の症状がもはや改善する見込みがないのは分かっていた。遅かれ早かれ、夢路さんは夢の世界に閉じこもってしまう。
だから、私は嘘をついた。もう何個目かも分からない嘘を、彼女のために吐いたんだ。嘘は悪いことだなんて言わないでよ。もう、分からないんだ。
――そんなことを言ってはいけませんよ。娘さんに会えなくなってしまいます。
そして、今日も彼女を夢の世界に送り出した。そのあとに耐えられなくなって、泣いてしまった。ノートに涙が落ちて、乾いた後もしわが残った。
夏の終わりの日。
その年幾つめかの台風が直撃して、散々雨が降った。
窓ガラスに空気の塊がぶつかる、派手な音を聞きながら彼女の顔を眺めていた午後、夢路さんが目を覚ましてくれた。計算した、彼女の残りの時間はもう本当に僅かで、今度こそ最後になるかもしれないと思ってた。その日の天気予報によると、もう少ししたら雨が上がる。せめて最後に、本物の虹を見せてあげられないだろうか、そう思った。天にも祈る気持ちだった。彼女のためにいくつも捧げた祈りのうち、その祈りは初めて天に届いた。
ほんとうに、ギリギリだった。彼女は七色の虹をたしかに、確かにその瞳に映し、そして、眠りに落ちた。
そして、それきり。
二度と彼女の夢は醒めなかった。
この話はこれで終わりだ。醒めなかったんだよ。どれだけ祈っても。
……もう少しだけ話してもいいかな? 自慢じゃないけど私、要領は良くって。出来なかったことってほとんどなかったんだ。
勉強は嫌いだけど人並みには出来たし。運動も友達作りも、それなりに。私に出来ないことがあるとすれば、それはやろうとしないことだけだった。やらないから出来ない。単純明快。なのに、夢路さんのことは、私がどうあがいてもどうしようも出来ないことだった。
眠る彼女が言った言葉で、ひとつ忘れられないモノがある。
ねぇ、眠っているだけよ。病気でも何でもないの。素敵な夢を見ているの。それが終わったら、必ず目を覚ますのよ。
そう、彼女は病気じゃない。身体の何処にも異常なものはない。だからこそ、治せなかった。夢は醒めるものなのに、貴方は醒めない夢の中に、永遠に囚われてしまった。
せめて彼女の夢路が、素敵な彩りと光に満ちているよう、祈った。
ねえ、夢路さん。
貴方の夢のなかに、私はいるだろうか?