第1話 悪魔の取り分

文字数 1,991文字

女将(おかみ)さん、これうまいね!」
「うん。それに、この濁り酒のサイダー割り、めちゃくちゃ合う!」
二十代のサラリーマンの二人連れが、ずらりとテーブルに並んだ料理とグラスを前に満足そうにそう言った。
帆立のずんだ和え、揚雲呑(あげわんたん)、トマトとガリのサラダ、皮目をパリッ焼いたチキンソテーがどーんと乗ったカレー。
「私、女将(おかみ)じゃないの!この店のママ。全く、ここはスナックなんだけどねぇ」
カウンター5席、ボックス8席のそう広くない店内にバターの焦げる香ばしい香りがすると思ったら、厨房で突如火柱が上がった。
「わあ!ビックリしたぁ!火事かと思った!すごいね、スナックって、フランベもするの?」
「普通しないねぇ」
そう、この店はスナックである。
いわゆる、軽いつまみとボトルキープ、カラオケや会話が楽しめる社交場。
昔はこういった系統の店が随分繁盛したものだ。
居酒屋なんて無い時代、ナイトクラブ帰りの男性や、飲み会や食事会の二次会として、お酒や軽食を求めて行くと言えばスナックだった。
名物マスターのいる喫茶店のように、ママの人柄やちょっとした手料理に惹かれて常連になる客も多かったし、ある程度の年齢になれば誰しも贔屓(ひいき)のスナックの何軒かはあったものだ。
不景気となり、時代が変わりコスパ・タイパが重要視されて、廃れた業種。
しかし、最近、人気が復活しているようなのだ。
しかも、意外な事に若者に。
ママと、または客同士でのコミュニケーションが、若い彼等には新鮮らしい。
飲食店歴50年。今年70歳を迎えた。
馴染みの客はほぼこの世を後にしていた。
その客足は戻る事はないが、新たな若い客層がやって来たのは驚きだった。
真面目にうまい酒と楽しい時間を提供し続けて来たのが良かったのだろうと思う。
加えて変化は、この料理。
都会に就職し結婚して離婚して帰って来た娘がJAの直売所に再就職し、休日や夜間に店を手伝うようになって2年。
娘が手慰みに作り出し始めた料理がエスカレートして今に至る。
「お母さーん、ラムチョップのバターマーマレードバーボン焼き運んでー!」
「・・・だから、ママだってば。はいはい」
今では、こんな、骨付きの子羊の肉まで焼く店になっちゃってまあ、と呆れる。
「わー!おいしそー!」
「すっごい、いい匂い!」
「せっかくだから、赤ワインボトルで飲もうよ!」
仕事帰りの看護師だと言う女性三人組が歓声を上げた。
「あれいいなあ!俺たちもそれ!」
「ママ、あれに、酒、何が合うかなあ」
「そうねぇ?バーボン使ってるんだから、バーボンなんじゃない?」
「じゃ、バーボンでハイボールにして蜂蜜少しにすだちをぎゅっと絞って。あと、バターじゅわじゅわのガーリックトースト食べる人!?」
カウンターの向こうで娘がそう言うと、ハイハイ!とあちこちで手が挙がった。
「OK!デザートには、あんこ添えたアイスクリームがあります。クレープも焼いちゃおうかな」
あー、それもおいしそう!とまた歓声が揚がる。
しばらくすると、ママを交えて客同士で職場の悩みや終わった恋の話が始まった。
娘は、オーブントースターの中で厚切りパンの上のガーリックバターが金色に溶けて行くのを眺めながらなんとなく聞いていた。
「デザートと、何飲もうかなあ」
「ママ、何が合いますか?」
「うーん、梅酒かな?」
「最高!あつあつのクレープに冷たいアイスとあんこに梅酒!?もう絶対合う!」
小料理屋どころかこれでは食堂だ、とママはまた笑った。

 客が帰り、外の看板のライトを落として来たママが戻って来た。
「お母さん、日本酒飲んだ?明日の唐揚げに使おうと思ったらだいぶ無いんだけど」
「飲まないわよ。・・・無いの?」
「すごい減ってるの。昨日は半分よりあったのに」
四合(しごう)瓶を見せて、おかしいなあと首を傾げると、ママが満足そうに頷いた。
「あら、そ。いいからそのまま、少し振って、また棚にしまっておきなさい」
「なんで?」
「・・・悪魔の取り分だよ」
仕込みに新しい樽を使うバーボンやコーンウィスキーの類は、細かい木の繊維の孔に染み込んでしまう。
その減ってしまった分を悪魔の取り分と言うのだ。
更には、樽から酒を取り出した後、水を加えてよく振ると染み出して来るものを飲む事が出来る。
「・・・実は、このビル、出るんだよ」
「またぁ。やめてよ・・・」
「本当だって!寿司屋の大将だって、角のバーのバーテンだって知ってるもの」
「えー。やだー。本当?」
「本当!飲兵衛(のんべぇ)な幽霊で、お店の酒飲んじゃうんだって。減った分それよ。私もたまにあったもの。で、その悪魔の呑助(のみすけ)さん、酒類を扱わないお店はすぐに潰しちゃう。迷惑だよね。でも、いいお酒、いい商いをしているお店はそのぶん、繁盛する。きっとまたいいお客さん来てくれるよ」
時代は変わって、客や店や趣向は変わっても。
「やっぱりいいお酒、飲みたいじゃない」
ママはそう言って、どこかに居るかもしれないその悪魔に微笑んだ。
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