第5話 高校生でインド ① Why India ?

文字数 1,727文字

 インドへ行くことになった。なにゆえインドか? それは、ここでも母の威力が発揮されたのだが、学生の海外インターンシップをサポートしている団体を見つけてきたのだった。それなりに費用もかかるので父の承諾が必要だったが、それにはあっさりOKが出た。姉の時よりも受験に費用がかかっていないから、その分他の事で身になる何かをしたいと説得したところ、父も海外での修行には意味があると考えていたようだ。
 海外研修を斡旋するその団体は「タイモブ」という名称で、代表の女性は若くしてこのような団体を立ち上げ成功に導いているようだ。私は母と真理奈と三人でタイモブの研修会に参加してみた。そこでは海外インターンを経験してきたばかりの学生たちがその生々しい経験をプレゼンしていた。ほとんどが大学生で、若い社会人も何人かいる。高校生は私一人だったが、彼らの熱い熱気に圧倒された。
これまでの生活範囲は学校と塾とサッカーグランドくらいで、このような刺激的な世界は初めてだった。世の中には自分の知らない世界が広がっていると思うと、うかうかしてはいられないぞ、と思う。
12月25日出発のインドインターシップ合宿に参加するには、自分で航空券を手配しなくてはならない。ビザもだ。そもそもビザって何?っていう感じだったのだが・・・。
 これまでの海外経験と言えば、家族との旅行だけで、ほとんどが旅行会社に手配をしてもらったものばかりだった。唯一、家族でアメリカとカナダに行った時は父のマイレッジ航空券だったから、個人手配ではあったが、まだチビだったから家族についていっただけだ。あとは、サイパン2回とバリ1回。それも旅行会社。あ、そういえば、高校1年が終わる春に、学校の特別プログラムでオーストラリア交換留学に応募し、一週間ホームステイした。ホストファザーが普通にタトゥーとかしていて驚愕したっけ。
 それにしても、今回のインドは全く違う。手配をほとんど自分でやらなくてはならないのには戸惑った。全くどうやっていいのか分からない。父に聞いたところ、とりあえず駅前の旅行会社へ行ってこいと言われ、学校の帰りに寄ってきたが、格安航空券は残っておらず大手航空会社の高額フライトしか残っていないと言われた。タイモブで参加する他の子たちは(と言ってもみな年上だが)、すでに手配を終えている人も多く、ほとんどみな格安航空券をゲットしていた。その夜父に話すと、ネットを使えと言われ、色々調べようと思ったが、どのように調べていいかもよく分からない。試行錯誤しているうちに時間は過ぎていく。そうこうしているうちにもどんどん早割チケットはなくなっていくようで、少しあせった。
 結局、父がネットで調べた中国の旅行会社のチケットがそこそこ割安のようだったので、ネット決済で手配をしてもらった。往路はLCC、復路はマレーシア航空だったので、半分くらいしか割安ではなかったが、早い時期に決めていなかったので仕方ないと思った。しかし、後になって分かった事だが、他の参加者たちはLCCの航空会社のホームページから直接手配するなどして、もっと上手に割安の航空券を手配していたらしい。
 ビザの手配はややこしかった。タイモブから教えてもらった手順通りにやった積りだったが、なかなか進まず、父をやきもきさせた。最終的にビザの手配はできたのだが、プリントアウトするページを間違え、出発当日チェックインカウンターで、あなたは出国できませんよ。と冷たく宣言され、顔面蒼白になった。大慌てで近くのコンビニに駆け込み、必要なページを印刷して出発時間ギリギリに間に合うという失態をやらかしたのだが、何とか予定通りに出発できたのは幸運であった。この時は往路が同じ便だった参加者の大学生お二人にもずいぶん助けてもらった。感謝である。

 バンコクを経由してバンガロールへは12月25日の夜到着した。インドでは現地スタッフがいてサポートしてくれたので心強かったが、1月4日までの滞在中、後半の数日は自分ひとりで街に出て活動をするというプログラムになっており、この合宿に参加した事でようやく自立心のかけらが芽生えるきっかけを貰えたように思う。
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登場人物紹介

名前:由理奈(ゆりな)

誕生:2001年2月25日 東京生まれ 

2020年のステータス:大学生

趣味:キーパーを抜いてシュート

おとう(由理奈の父)

1957年 地方都市生まれ

海外在住歴10年(アメリカ6年、ドイツ4年)

現在は一人会社の社長

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