悪意からの招待状

文字数 1,620文字

「少しは落ち着つきましたか」
 白い机に乳白色の湯飲みを下ろし、春月は女の顔を見る。
 女は何も言わず、俯いている。
 春月は女の向かいに腰を下ろし、その姿を今一度見る。
 そして、彼女の事をすぐに見抜けなかった自分の無力さを痛感した。
「先ほど……貴女は、どうして此処に居るのかと言いましたよね」
 女は上目遣いに春月を見る。
「私は、上層部が採用した、新しい非正規捜査員だと思っていたのですが……貴女は、どういう理由で此処に来たのでしょうか」
 女は困惑に目を伏せ、何も語ろうとはしない。
「教えて下さい、どういう経緯で、此処に来たのかを」
 責め立てる様な口調ではなかった。しかし、怯えきった彼女には詰問されているのと同じ事だった。
 女は再び上目遣いに春月を見る。
 眼鏡の向こうの瞳が、彼女には獲物を捉えた鮫の瞳の様に見えていた。
 睨み合いを続けるつもりも無く、春月は目を伏せ、彼女が語り出すのを待った。

 湯呑の中が冷めた頃、女は口を開いた。
「上司に……役所の上司に、東京で、警察署の、事務職員に、枠があるから……行かないかと、言われたんです」
 春月は伏せた眼を女へと向ける。
「それで、案内してくれた人が、迎えに行くと、でも……」
 女は声を震わせ、言葉を切る。
「なんで、こんな所に、こんな風に、連れて来られるんですか? 私……ただの事務職員、ですよね?」
 縋る様に春月を見上げる瞳から、彼は逃げた。
 そんなはずは、無いのだ、と。
 彼は衣嚢(ポケット)の中の連絡端末(スマートフォン)を取り出し、顔面認証を立ち上げてそのレンズを女に向けた。
 そして、画面に浮かび上がった情報に、目を疑った。
 登録されていた情報によれば、目の前の人物は大阪出身の三十二歳の男性である。
 だが、彼の眼に映っているのは、まだ少女にさえ見えるほど幼顔の女性である。
「……詳しく教えて下さい。それが、どこの役所で……貴女が、何処から来たのかを」
「え……」
 女は上目遣いに春月を見遣りながら、困惑の表情を浮かべる。
「データベースの不具合で、情報が分からないものですから」
 女は再び目を伏せ、口を開く。
「私……前は、岡山の深玉(みたま)市という、香川に近い街の市役所で、非常勤の嘱託職員だったんです……害獣駆除……猪や猿が出ていたので、時々駆除があって……表向きには、ハンターとして、実際は……雑用係として、何か駆除が出た時にだけ、仕事に……」
「それで、その上司から、警察の仕事がある、と」
 女は俯きがちなまま頷いた。
「それが、いつ頃の事でしょうか」
「三週間くらい前でした」
「随分と、急ですね……それで、此処に来たのが、いつの事ですか」
「昨日です」
「どういった経路で来て、誰と有ったか、教えて下さい」
「朝、バスで、岡山駅に出て……昼前の新幹線で、東京に」
「東京駅で降車したんですね」
「はい」
「駅で、誰かと待ち合わせを?」
「いえ……その、降りたら、呼び出しがあって……其処で……桜田って言う、背の高い女の人が待っていました」
「その人と一緒に、此処……警視庁の庁舎に来たんですか」
 女は頷く。
「その人から、何か言われましたか」
「二週間……二週間は、付属の宿舎から、出られないから……買い物に行きましょう、と……でも、その人、やたら足が速くて、買い物をした後も、全然、加減無く歩く様な人で……」
「他に言われた事はありませんか」
「明日……つまり、今日、朝、八時に、迎えに行くって……でも」
 女は息を振るわせ、トラウザーズの布を握りしめる。
「来たのは……男の、人で……」
 女の呼吸が、浅く、早くなる。
「開けたら……拳銃、が……」
 息が吐き出せず、女は思わず胸を抑える。
 春月は立ち上がり、女の隣に立つとその上体を前方へと押し倒す。
「此処に居れば大丈夫です。ゆっくり息を吐いて下さい」
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