第9話 目的のために
文字数 2,583文字
電話の向こうから聞こえた晃矢さんの言葉に、鼓動はドクンと大きく跳ねた。
初代が、残したかも知れない、メモ書き……。
『旬之助くん? どうかしましたか?』
「え、あ、いえ。分かりました、ここの用が済み次第、すぐに伺います」
『はい、お願いします。お待ちしておりますので』
「はい。では、また後で」
それだけ伝えて電話を切ると、気になっていたのか崇行が俺を見やった。
「何か、深刻そうな感じだな。あの神職、何か言って来たのか?」
「ん、うん、初代の物かも知れない印が押されたメモ書きが見つかったから、見に来て欲しいって」
もし、本当に初代の書いた物だったとしたら、いったい何が書かれているんだろう。
「へぇ、そりゃ、気になる話だな。行って来いよ。そもそも、ここは俺が請け負ってる仕事で、お前は単なるギャラリーだしな――って言ったところで、行かねえか、お前は」
自分で言って自分で突っ込みを入れた崇行に、俺は思わず笑ってしまった。
「分かってるなら言うなよ」
「うるせえ」
ふんっと顔を逸らした崇行は、『続き、始めるぞ』と声をかけた。
「おぅ」
俺の返事を待ったように、握ったピックを再びゆっくり捻り始める崇行。その手の動きに合わせて軋んだ音をたてた軸は、ゆっくりと回る。そして、時計回りに半回転したところで、崇行が手を止めた。
「ここだな。何とか折れずに回せたけど」
「あぁ。あとは、中で窄めた板バネを引き抜けるかどうか――。でも、今、軸を回したことで、もともと腐食してる繋ぎ目に摩擦がかかって、さらに脆くなってしまった可能性がある。今以上に慎重にしないと」
そう、例えるなら、錆びて脆くなった縫い針一本程度の太さの繋ぎ目は、かろうじて繋がってる状態。それを折らずに引き抜かなくちゃいけないのだ。
失敗すれば、ここまでの努力が全て水の泡になる。
「言うな、分かってる。……ふぅ……、ふぅ……、ふぅ……」
極度のプレッシャーを解すように、何度も何度も深呼吸を繰り返し、精神統一する崇行。
そんな彼へ、あえて言葉をかけることをせず、無言で眼差しを向けていると、しばらく後、ふぅっと大きな大きな息を吐いた崇行が、覚悟を決めたように引き手側に手をかけた。
「よし、引き抜くぞ」
同意を得るようにかけられた声。その声に頷いてみせると、錠の引手を握った手に少し力が籠められた。――が、なかなか引き抜こうとしない。それどころか、握った手が極度の緊張で震えていた。
無理もない。俺でも、きっとプレッシャーと恐怖で同じように震える。だけど、ここでやめるワケにはいかない。
絶対にこの蔵は、開けないといけないんだ。
経典を必要としている、このお寺の方たちの為にも。
中でずっと一人ぼっちのまま眠っている猫を弔ってやりたいと願う、あの若い僧侶の為にも。
そして、我が家の〈開かずの錠〉を開ける為にも。
絶対に、この錠は開けないといけないんだ。
無意識に自分の手をグッと握りしめた俺は、気が付くと崇行に声をかけていた。
「俺が、代わるよ」
予想だにしなかった言葉に驚いたのか、見開いた目で俺を見やった崇行。
「冗談じゃなく、本気で言ってんだ。俺が、やる。――もちろん、俺だって、もしものことを考えると、恐怖と不安で押しつぶされそうだ。でも、この錠は……、この蔵は、絶対開けなくちゃならないんだ。経典を必要としてる人たちの為にも、そして、あの作務衣姿の僧侶の為にも」
絶対に。
「…………あぁ、そうだな。でもって、開かずの錠を開ける為にも、な」
補足するように言って、フッと小さく笑んだ崇行は、もうすっかりいつもの調子。
「崇行……」
「礼は言いたくないが、お前の言葉で、不安も恐怖も緊張も全部吹っ飛んだ。もう大丈夫、余計な力は入ってねえ」
言うと、手中の錠を真っ直ぐ射抜いた崇行。
「――そか」
「あぁ、だからお前はそこでギャラリーしてろ。手出しは無用だ」
そう言い全神経を集中させた崇行は、再び、錠の引手をそっと掴んだ。
「とりあえず、少しずつ引き抜いて、板バネの端を引っ張り出す。でもって、端が出てきたら、直接板バネを掴んで、あとは思いきり引っ張る――」
自分の中でイメージしてる策を俺に聞こえるように口にした崇行。その策に、俺は素直に頷いた。
「悪くない。じゃあ、掴んで引っ張れるような物を探しとく」
「あぁ、頼む」
背中越しに返した崇行は、大きくひとつ息を吐き出したあと、さっそく引き抜き作業に取り掛かった。
さてと、じゃあ俺は、何か掴めそうな物を見つけるか。
開いたままの道具バッグの中を漁ると、出て来たのはラジオペンチ。
「ラジオペンチか、悪くないけど、これだとちょっと掴んだまま引っ張るのは難しいか。もっと掴みやすい物の方がいいな」
ぶつぶつ独り言を言いながら、更にバッグの奥を探していると、工具箱の中に入っていたバネ付きのコンビプライヤを発見した。
「おっ! これいい。これは使える」
見つけた〈使えるアイテム〉を握って振り返ると、視線の先には、慎重かつ真剣に引き抜き作業真っ最中の鍵師。その邪魔をしないようにそっと傍に寄ると、『もう少しだ、何か使えそうなもんあったか?』と声がかけられた。
「あぁ、プライヤを見つけた。これなら掴んで引っ張れる」
「よし。じゃあ、スタンバってろ。あともう少しで引っ張り出せる」
そこまで告げると、再び無言になった崇行は、手元に神経を集中させた。
もう少しだ――。
もう少しで、この扉を開けられる。
そう胸のうちで呟いた時、フッと背後で感じたいつもの、威圧感バシバシの気配。
「殿、用事は済んだんですか?」
《あぁ》
一言だけ答えた殿は、崇行の手元を覗き込む。
《で、まだ開かぬのか?》
「いえ、もうすぐ開くと思います。ただ、板バネを掴んで引っ張ったとして、中で嵌ったままの鍵が一緒に抜けてくれるかどうか」
そこが最大の問題であり、大きな賭けだ。
《ほぅ》
「それで、殿の用事って何だったんですか?」
《さきの坊主に、あることを頼んで来ただけだ》
「あること?」
《何、貴様には関係無いことだ》
……はいはい、そうくると思いましたよ。
「分かりました、じゃあ聞きません」
あっさり話を終了させて解錠作業を見守っていると、今日は詮索しないのかと言いたそうな目を向けた殿も、口を閉ざしたまま同じように崇行の解錠を見守っていた。
初代が、残したかも知れない、メモ書き……。
『旬之助くん? どうかしましたか?』
「え、あ、いえ。分かりました、ここの用が済み次第、すぐに伺います」
『はい、お願いします。お待ちしておりますので』
「はい。では、また後で」
それだけ伝えて電話を切ると、気になっていたのか崇行が俺を見やった。
「何か、深刻そうな感じだな。あの神職、何か言って来たのか?」
「ん、うん、初代の物かも知れない印が押されたメモ書きが見つかったから、見に来て欲しいって」
もし、本当に初代の書いた物だったとしたら、いったい何が書かれているんだろう。
「へぇ、そりゃ、気になる話だな。行って来いよ。そもそも、ここは俺が請け負ってる仕事で、お前は単なるギャラリーだしな――って言ったところで、行かねえか、お前は」
自分で言って自分で突っ込みを入れた崇行に、俺は思わず笑ってしまった。
「分かってるなら言うなよ」
「うるせえ」
ふんっと顔を逸らした崇行は、『続き、始めるぞ』と声をかけた。
「おぅ」
俺の返事を待ったように、握ったピックを再びゆっくり捻り始める崇行。その手の動きに合わせて軋んだ音をたてた軸は、ゆっくりと回る。そして、時計回りに半回転したところで、崇行が手を止めた。
「ここだな。何とか折れずに回せたけど」
「あぁ。あとは、中で窄めた板バネを引き抜けるかどうか――。でも、今、軸を回したことで、もともと腐食してる繋ぎ目に摩擦がかかって、さらに脆くなってしまった可能性がある。今以上に慎重にしないと」
そう、例えるなら、錆びて脆くなった縫い針一本程度の太さの繋ぎ目は、かろうじて繋がってる状態。それを折らずに引き抜かなくちゃいけないのだ。
失敗すれば、ここまでの努力が全て水の泡になる。
「言うな、分かってる。……ふぅ……、ふぅ……、ふぅ……」
極度のプレッシャーを解すように、何度も何度も深呼吸を繰り返し、精神統一する崇行。
そんな彼へ、あえて言葉をかけることをせず、無言で眼差しを向けていると、しばらく後、ふぅっと大きな大きな息を吐いた崇行が、覚悟を決めたように引き手側に手をかけた。
「よし、引き抜くぞ」
同意を得るようにかけられた声。その声に頷いてみせると、錠の引手を握った手に少し力が籠められた。――が、なかなか引き抜こうとしない。それどころか、握った手が極度の緊張で震えていた。
無理もない。俺でも、きっとプレッシャーと恐怖で同じように震える。だけど、ここでやめるワケにはいかない。
絶対にこの蔵は、開けないといけないんだ。
経典を必要としている、このお寺の方たちの為にも。
中でずっと一人ぼっちのまま眠っている猫を弔ってやりたいと願う、あの若い僧侶の為にも。
そして、我が家の〈開かずの錠〉を開ける為にも。
絶対に、この錠は開けないといけないんだ。
無意識に自分の手をグッと握りしめた俺は、気が付くと崇行に声をかけていた。
「俺が、代わるよ」
予想だにしなかった言葉に驚いたのか、見開いた目で俺を見やった崇行。
「冗談じゃなく、本気で言ってんだ。俺が、やる。――もちろん、俺だって、もしものことを考えると、恐怖と不安で押しつぶされそうだ。でも、この錠は……、この蔵は、絶対開けなくちゃならないんだ。経典を必要としてる人たちの為にも、そして、あの作務衣姿の僧侶の為にも」
絶対に。
「…………あぁ、そうだな。でもって、開かずの錠を開ける為にも、な」
補足するように言って、フッと小さく笑んだ崇行は、もうすっかりいつもの調子。
「崇行……」
「礼は言いたくないが、お前の言葉で、不安も恐怖も緊張も全部吹っ飛んだ。もう大丈夫、余計な力は入ってねえ」
言うと、手中の錠を真っ直ぐ射抜いた崇行。
「――そか」
「あぁ、だからお前はそこでギャラリーしてろ。手出しは無用だ」
そう言い全神経を集中させた崇行は、再び、錠の引手をそっと掴んだ。
「とりあえず、少しずつ引き抜いて、板バネの端を引っ張り出す。でもって、端が出てきたら、直接板バネを掴んで、あとは思いきり引っ張る――」
自分の中でイメージしてる策を俺に聞こえるように口にした崇行。その策に、俺は素直に頷いた。
「悪くない。じゃあ、掴んで引っ張れるような物を探しとく」
「あぁ、頼む」
背中越しに返した崇行は、大きくひとつ息を吐き出したあと、さっそく引き抜き作業に取り掛かった。
さてと、じゃあ俺は、何か掴めそうな物を見つけるか。
開いたままの道具バッグの中を漁ると、出て来たのはラジオペンチ。
「ラジオペンチか、悪くないけど、これだとちょっと掴んだまま引っ張るのは難しいか。もっと掴みやすい物の方がいいな」
ぶつぶつ独り言を言いながら、更にバッグの奥を探していると、工具箱の中に入っていたバネ付きのコンビプライヤを発見した。
「おっ! これいい。これは使える」
見つけた〈使えるアイテム〉を握って振り返ると、視線の先には、慎重かつ真剣に引き抜き作業真っ最中の鍵師。その邪魔をしないようにそっと傍に寄ると、『もう少しだ、何か使えそうなもんあったか?』と声がかけられた。
「あぁ、プライヤを見つけた。これなら掴んで引っ張れる」
「よし。じゃあ、スタンバってろ。あともう少しで引っ張り出せる」
そこまで告げると、再び無言になった崇行は、手元に神経を集中させた。
もう少しだ――。
もう少しで、この扉を開けられる。
そう胸のうちで呟いた時、フッと背後で感じたいつもの、威圧感バシバシの気配。
「殿、用事は済んだんですか?」
《あぁ》
一言だけ答えた殿は、崇行の手元を覗き込む。
《で、まだ開かぬのか?》
「いえ、もうすぐ開くと思います。ただ、板バネを掴んで引っ張ったとして、中で嵌ったままの鍵が一緒に抜けてくれるかどうか」
そこが最大の問題であり、大きな賭けだ。
《ほぅ》
「それで、殿の用事って何だったんですか?」
《さきの坊主に、あることを頼んで来ただけだ》
「あること?」
《何、貴様には関係無いことだ》
……はいはい、そうくると思いましたよ。
「分かりました、じゃあ聞きません」
あっさり話を終了させて解錠作業を見守っていると、今日は詮索しないのかと言いたそうな目を向けた殿も、口を閉ざしたまま同じように崇行の解錠を見守っていた。