正三角形免罪事件

文字数 4,746文字

 その日、日本有数の名家である伊明院(いみょういん)家に事件が起こった。

「親父! くそっ、なんでこんな事に……!?」

 髪を薄い金色に染めたガラの悪そうな男が大声で叫ぶ。

「そんな! お義父さん返事をしてよ!?」

 幼い子供を連れた化粧の濃い女が膝をつく。

「あり得ん! まさか兄さんが……!」

 豪快な髭をした大男が拳を握る。
 この日、伊明院家の主人である伊明院行洋(こうよう)が死んでいたのだ。部屋は完全な密室。内側から鍵がかけられており、その鍵は行洋の上着の内ポケットに入っていた。そして遺体に目立った外傷はなく、胸のあたりを押さえて苦悶の表情を浮かべていた。口からは大量の唾を吐き、服や床まで垂れるほどだった。
 行洋は心臓病を患っており、のちの検査でも死因は急な心臓発作だと判明している。そこに事件性は全くなく、後に行われる警察調査でも病死である事に疑いは持たれなかった。
 だが、そう思わない人間がたった三人だけいる。その三人によって、警察への通報は遅れる事となる。
 一人目は伊明院家次男、伊明院飛虎(ひとら)。素行不良により、ほぼ勘当のような扱いを受けていた男だ。
 そして二人目は、伊明院静香(しずか)。今は亡き伊明院家長男正士(ただし)の妻であり、現在伊明院家唯一の直系女児であるアザミの母である。
 最後に三人目は、伊明院斗真(とうま)。行洋の弟であり、伊明院家の会社の一つを受け持つ重役である。
 つまり、行洋の遺体を発見した三人だけは、

と思っていた。

「その紙は何?」

 そう声を出したのは、静香の娘であるアザミだ。
 アザミが指をさしたのは、行洋のデスクにに置かれている一枚の紙だ。近くに置かれたインク壺とペンを見れば、それが手紙なのだろう事は一目瞭然だ。

「その……紙、ね……あぁ、気付いてたさ」

「何、当たり前の事、言ってるのよ……」

「当然、当然……ああ、そうだとも……みんな気付いていたよな?」

 三人が三人とも似たような反応をする。それは、その手紙の内容を全員が休み見る事によって確認したためであり、その内容があまりに自分に不利だと思い違ったためだ。
 三人は、三人ともが自らが犯人であるとされると思っていた。その手紙の内容が、あたかも自分を犯人であると名指しするダイイングメッセージのようだったからだ。
 この状況下、三人にとっては人知れず手紙を処分してしまう事が最も望ましかった。すぐさま警察、あるいは救急車を呼ぶ事をしないのは、この場から一時も離れたくなかったからに他ならない。警察を呼ばれる前に、誰にも気付かれないままに迅速な処分が必要(だと思っていたの)だから。
 しかし、手紙の存在が周知されてしまったのなら、もはや処分する事などできるはずもない。自らは無実であるというのに汚名を着せられるなどという事態を避けるために、彼らが取るべき行動はたった一つしかなかった。

「これは殺人だ!」
「お義父さんは殺されたのよ!」
「誰かが犯人だぞ!」

 三人が同時に発言する。
 三人が同時に驚愕する。
 三人が同時に警戒する。

「奇遇だな、みんな同じ意見かよ」

「当たり前よ。お義父さんを手にかけるなんて許さないわ」

「兄さんの仇は私が見つけてやる」

 三人が同時に威嚇する。
 これこそが、彼らが生き残るための唯一(と思い込んでいる)の方法である。

〜行洋の手紙〜
 今日、かねてより私が目の上のタンコブとしていた三人を呼びつけた。この時をもってして、彼奴等(きゃつら)とは縁を切るつもりだ。
 もしもお前が生きていたなら、きっと烈火の如く怒った事だろう。しかし、あんな連中に我が伊明院家を食い潰されるわけにはいかない。
 最も若い飛虎は、とても我が事すら思えない。毎日毎日遊び歩き、自分は伊明院の跡取りなのだと嘯いて大きな顔をしているのだという。家の名を貶めるその行為は、親に弓を引くに等しい行為だ。当然だが、あの馬鹿者に家督を継がせる気はサラサラない。お前が死ぬ時ですら金をせびるため以外で来なかった愚か者には、二度とこの家の敷居を踏ませるつもりすらない。
 そしてアザミを抱いて来たあの女は、とても人の親として認められるような人間ではない。養育費などと言いながら親族中に金を借りている。アザミがいるにも関わらず夜な夜な男を連れ込んでいるなどという噂もあり、すぐさま家から追い出す事とする。できる事なら法的手段に出てアザミの親権もこちらが貰い受けよう。
 最後に弟の斗真だが、もはや若き日に私と切磋琢磨したアイツはもういないらしい。
 生まれつきの(さが)なのか、どうにも金銭面に汚いきらいがある。歳を取るごとにそれが顕著になり、もはや看過するには過ぎたものになっている。
 乱闘騒ぎを起こすなどまだ序の口で、女性社員への性的トラブルなども後を絶たない。最近では会社の金にまで手を出しているようだ。
 業績の悪化を気に入らない社員のせいにして首を切るなどという暴挙も報告されている。
 良識がわずかにあったかつての面影はもうなく、兄弟の情けをかけられる限度を超えてしまっている。
 この手紙をお前の墓前に置く頃には、全てが終わっているだろう。今日この夜をもってして、我が家系からは三つの名前が消える事になる。
 今は亡き、愛しい妻と誇らしい息子へ
〜以上〜

 この中に、犯人を示す言葉が隠されて(と三人は思い込んで)いる。さらにはダイイングメッセージだけでなく、三人が行洋殺害する動機まで明確に書かれているのだ。
 生唾を飲み込んだ三人。
 この緊張状態を最初に解いたのは、行洋の弟である斗真だった。

「静香さんが犯人だろ!」

「ちょっと、ふざけないでよ!?」

 静香は驚いてアザミを抱き寄せる。あたかも、娘を盾にすれば逃れられると思っているような行動だった。

「しかしな、この手紙にはおかしなところがある! “アザミを抱いてきた静香”とあるが、静香さんの事を書くのに何でアザミちゃんの事を書く必要があるんだ!」

「そ、そんなの理由にならないわ! 手紙は物語じゃあないんだから、必要な事しか書いちゃいけないなんて事ないはずでしょう!」

 のちの警察調査によって、静香の意見は間違いないと判断された。

「私は違うと思うな。ここに登場する“アザミ”という言葉は、アザミちゃんではなく花の名前なんだ!」

「……!!」

 静香は下唇を噛む。間違いなく、静香が考えた答えと一致していたからだ。

「アザミの花言葉は“報復”。報復をその腹のなかに(いだ)いて現れた静香さんこそが犯人だ!」

「心外だわ……!」

「親父は事あるごとにアザミちゃんの親権を渡すように言ってたもんな! 自分から娘を取ろうっていう親父への報復ってわけか!」

 斗真の言葉に飛虎も乗る。これで、自らが濡れ衣を着せられる事はなくなるからだ。
 しかし、静香も黙ってはいない。こんな事で犯人にさせられてはたまらないとばかりに次なる標的を定めた。

「私は飛虎さんが殺したと思うわ!」

「ば、バカな事言ってんじゃねぇよ!」

 不意に名前を出された飛虎は、俄かに焦り始める。

「飛虎さんのところだって、充分変だと思うわ。わざわざ一番若いなんて書くかしら?」

「わっかんねえだろ。若いのは本当なんだからよ、手紙をいちいち文章見直したりしねぇんだからちょっとくらい変になるかもしれねえだろ」

 事実、警察は推敲不足によるミスだろうと判断する。

「いいえ? これは若いという文字を飛虎さんの名前に合わせたかったからだわ!」

「……!!」

 飛虎が目を見開く。静かな言葉こそが、飛虎が発見したダイイングメッセージだったからだ。

「飛虎って、“ひこ”とも読めるわよね? 若飛虎って書いたら、“わかひこ”って読めるわ。若彦といえば、高天原への謀反の罪に問われた神の名前だわ。つまり、これは御家に逆らう不届き者を意味しているのよ!」

「ぐ、偶然だろ。じゃなきゃこじつけだ!」

「そうかしら? 手紙には親に弓を引くとも書いてあるわ。若彦はね、高天原の使者を弓で射殺しているのよ! この言葉はそれを示唆しているに違いないわ!」

「ふざけんな……!」

「完璧な推理だ!」

 飛虎は拳を握る。まるで身に覚えのない罪を着せられるなどまっぴらだ。
 ならばする事は決まっている。飛虎はこれでもかというほど声を張り上げた。

「オジさんだろ! オジさんが親父を殺したんだ!」

「な、何を言い出すんだ!」

 いきなり名指しされた斗真は取り乱し、思わず声を荒げる。

「だってよ、この手紙変だぜ! オジさんのとこだけ改行が多過ぎるじゃねえか!」

「そ、そんなの偶然だろう。兄さんは凄い人だが、人間だったら手書きの文章の表記がぶれてしまう事くらいあるだろう……!」

 のちに、警察は斗真の言ったこの意見は正しいものであると判断する。

「いいやこれは偶然じゃないね! これはあいうえお作文だろ!」

「……!!」

 斗真は苦虫を噛み潰したような表情をする。その言葉は、確かに斗真が自分を指すダイイングメッセージであると思ったものに相違なかったからだ。

「オジさんについて書かれた文章の頭は“生まれつき”“乱闘騒ぎ”“業績の悪化”“良識”の四つだ。この四つの頭文字を繋げると、“うらぎり”になるんだよ! 兄弟の情を裏切った殺人犯を浮かび上がらせるってわけだ!」

「飛虎、何を……!」

「不自然に多い改行はこのためなのね! 凄いじゃないの飛虎さん!」

 斗真は歯軋りをする。自らは無実だというのに、こんな事で前科持ちにされたのではたまったものではない。
 事態は、完全に膠着してしまった。
 三人がそれぞれ別の相手を犯人だと言い、三人がそれぞれ別の相手から犯人だと言われている。
 しかも誰一人として手紙以外の証拠を上げる事はできない。そろそろからして、誰も殺していないのだから。

「お母さん、おトイレ行きたい」

 ずっとつまらなそうにしていたアザミが静香を見上げてそう言った。三人の心中が分からない無邪気な態度は、焦りを覚えている三人に少なくない苛立ちを与えてしまった。

「先に行ってきたらいいじゃねぇか!」

「ちょっと! 急に怒鳴りつけないでよ!」

「二人とももっと静かにできないのか!」

 そこからは怒鳴り合い貶し合いとなり、まともな会話とは呼べなかった。
 あまりに相手を貶める事にばかり一生懸命なものだから、アザミが部屋から出て行った事に気がつかないほどだ。

「みんな怖い……」

 アザミはそう呟いて手洗いに向かう。彼女にとっては、祖父が死んだというのに互いを怒鳴りあっているばかりの大人達だ。
 なぜ警察へ通報しないのかもわかっていない。
 ——だから

「もしもしお巡りさんですか?」

 手洗いの帰りに、警察への通報を済ませてしまった。通報しないのはきっと忘れているからだろうと気を利かせたための行動だ。

「アザミ! どこ行ってたのよ!」

「おトイレ!」

 怒鳴りつける静香に対し、アザミは笑顔でそう返した。
 その後、通報を受けた警察が駆けつけ、事件は無事病死という事で処理された。
 事件を担当した警官は、この世の終わりのような顔をする三人の大人と自信満々な笑顔を見せる少女がとても印象的だったと語っている。
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