回復運転

文字数 6,992文字

「本日は、臨時寝台列車『2018あまつかぜコミックステーション号』をご利用くださり、ありがとうございます。当列車は周遊列車『あまつかぜ』の車両を利用した寝台列車11両編成です。『あまつかぜ』、みなさまの夢を乗せて、只今小倉を発車いたしました」
 列車はゆっくりとスピードをあげていく。
「この列車、途中停車駅は広島、岡山、大阪です。乗車口は9号車『京都』のエントランスのみとなっております。他のドアは非常時を除きまして開きませんのでご注意下さい」
 コミックステーションとは東京ビックサイトで開催される巨大同人誌イベントである。今年は1月1日・2日・3日の開催となっている。

=2018あまつかぜコミックステーション号 編成のご案内=
   ↑小倉
 1展望車:横浜
 2食堂車:かぐら坂
 3ラウンジ:東京
 4B寝台:あまつかぜシングル
 5A寝台:あまつかぜロイヤル
 6臨時B寝台:あまつかぜカルテット
 7臨時B寝台:あまつかぜシングル・ツイン
 8B寝台:あまつかぜシングル
 9ラウンジ:京都
 10バスルームカー:湯河原
 11展望車:大阪
   ↓東京

「車内のご案内を申し上げます。進行方向東京寄りから11号車、10号車、最後尾が1号車となっております。お食事のできる食堂車は2号車『かぐら坂』、カフェカーは3号車『東京』と9号車『京都』、バスルームカーは10号車『湯河原』、展望室と軽いお飲み物のコーナーは1号車『横浜』と11号車『大阪』にございます。本日は6号車と7号車にB寝台車を増結しております。では、明日のニューイヤーコミックステーションにむけて、周遊寝台列車の旅をごゆっくりお楽しみ下さい」

 しかし、乗っているみんなに、ゆっくりするつもりは、サラサラないのだった。
「車掌さん、原稿作業できる所あります?」
 乗客から声がかかる。
「えーと、広い場所が必要なら9号車『京都』の茶室が使えるかな。あと3号車『東京』にコピー機があるよ」
「ありがとうございます!」
「コーヒーとか抹茶もあるから、飲んで頑張って」
「はい! もうひと頑張りします!」
 彼らは目の下にくまを作りながら去っていった。
「大変だね、コミステ参加って」
 JR九州所属の車掌長は思わず苦笑して言う。
「実は私も」
 車掌が打ち明ける。
「え、螢田もコミステ参加するの?」
「はい。明け勤務で2日目から」
「ほんと、好きだねえ。でもマンガでも書くのか?」
「いや、鉄ネタの薄い本を」
「まさかそれに職務上の秘密、書いてないだろうな」
「やだなあ、そんなことしませんよ」
 車掌長はそうかそうか、と頷いたあと、気付いた。
「この『あまつかぜ』、今日は随分身軽に走ってる気がする」
「ディーゼル燃料積んでないからじゃないですか? 今回はこの車、全区間電化区間運用ですから、燃料積んでませんよ」
 『あまつかぜ』はEDC駆動方式によって走行する列車である。3両1ユニットで交直流4電源にディーゼルエンジン駆動による非電化区間での運用も可能である。つまり、在来線で線路の軸重制限が通常の線区であれば、ほぼどこでも走れるのだ。
「何かのために少し積んでおいたほうが良かったような」
 たしかにそうだ。非電化区間対応と言っても、そこでは燃料がなければ走れない。
「でも危険物はできるだけ積まないほうがいいですよ」
 車掌はそう言う。
「まあそれも一理あるが」
 ベテランの車掌長はそういうと考え込んだ。
 その視線の向こうではあまつかぜの普段のアテンダントたちが、さまざまに接客している。
「豪華列車運用とは別の、こういう若者相手ってのもいいですね」
 チーフアテンダントが言う。
「まあな。でもこれ、なんか『姉さん事件です!』ってなりそうな予感がすでにしてるぞ」
「やだなー、うちのこの周遊列車はそれを何度も乗り越えてきたんじゃないですか」
「そうだけども」



 列車は小倉から関門トンネルを抜け、下関の交直セクションで交直切り替えをし、山陽区間を東京に向けて急いでいく。
「大昔の九州ブルトレみたいな運転区間ですね」
「B寝台が多いってのも往年の寝台列車みたい」
「まだ日本で、こういう旅ができるんですね」
「ほんとは高速バス使おうと思ってたんだけど、途中でこうやってお茶飲めたりお風呂入れたり食事できたり、思わぬゼータクでいいよね」
「B寝台の4人個室とかもワイワイしてて楽しいよね」
「あれ、スケブ(スケッチブック)に何やってんの?」
「せっかくだからこの車内の様子、イラストにしようかと思って」
「いいねー」
「じゃ、オレは今のうち、ちょっとお風呂入ってくる」
「いってらっしゃい」

 その時、列車がスピードを下げはじめた。
「あれ、もう岡山?」
「そんな。福山チョイすぎぐらいだよ。まだ倉敷過ぎてないもん」
 そのとき、車内放送が流れた。
「お客さまにお知らせします。当列車の先行列車がこの先の笠岡駅で踏切に進入した自動車による人身事故が発生し、架線が切れたため、山陽本線、一時運転見合わせとなりました」
 一斉にざわめきが起きる。
「間に合わないじゃん!」
「どーすんの! 新幹線に乗り換えないと明日に間に合わないよ!」
「乗り換えても間に合わないかもだよ!」
 車内が騒然とする。
「せっかく今回初めて出展の抽選に当たったのに……」
「最悪だ」
 だが、その時だった。
「今日、大晦日だよね」
「え?」
「その人身事故の人、亡くなったのかな」
 その彼女はそう言い出した。
「ええっ!」
「車掌さん、それ、わかります?」
 車掌はうなずいて業務用タブレットを取り出した。
「確認します」
 でも、みんなの動揺は収まらない。
「年に二度しかないコミステ、ずっと楽しみにして、やっとこの列車の切符とれたのにこれかよ……」
「やってられないよ!」
「ほんと、メーワクだよな」
「でも」
 彼女は言う。
「その人身の人、助からないのかな」
「そりゃ人身事故だもの」
「でも、私は思う。もし生きてるなら助かって欲しいし、亡くなったならご冥福を祈りたい」
「きれい事だよ、それ」
「そうだよ。どれだけメーワクかけてるんだっての!」
「でも……命を捨てるって、よほどのことだと思う」
「そりゃそうかも知れないけどさ、俺たち、ここで立ち往生すんの? たまんないよ」
 その時、車掌が報告した。
「その方、病院に救急搬送されてるそうです」
 みんな、黙り込んだ。
「鉄道事故だ、ただじゃすまない。病人でも助からないかも知れないし、助かったとしても重い障害が残る。それが彼の幸せなのか?」
 一人がそう言う。
「でも……でも……」
 彼女は言葉に窮した。
「まあ、それは俺たちの判断できることじゃない」
 バンダナの年取った一人がそう言い出した。
「命が助からなかった方が良かったかどうか、それは人間には判断できることじゃない。人間に出来ることは、ただひたすら全力で助け続けることだけだ。助けないことを選択するなんて能力は人間にはまだない。助けたくたって助けられないことの方がずっと多いんだ」
「でも、その人、苦しんでまた死を選ぶと思うよ」
「そうなるかならないかは人間の範疇じゃない」
「なぜ」
「俺、ようやく20年ぶりに休み取れて、久々にコミステいけることになって、この列車に乗ってる」
「20年ぶり!」
「ああ。前に行けたのは20年前だった。それからあと、毎年大晦日と言ったら、俺の職場、救急の現場は戦場だ。年越せないと悲観する自殺未遂者が次々と運ばれてくる。救急措置室の血と消毒液の匂いが流れ込んでくるステーションで、チームのみんなで措置の合間を縫うようにして、毎年カップ蕎麦で年越ししてた」
「でも、その休みって」
「ああ。俺、その救急医、ようやくやめることになったんだ。来年から親父の町医者継ぐんだ。それでその隙間の休みに久しぶりにコミステに行くことにした」
「そんな貴重な休みを」
「だからこそだ。今、病院で必死に救命措置してるチームの奮闘が分かる。だから応援してやりたいんだ」
「そんな大変なのに自殺しちゃうなんて」
「それが運命だ。神は人を試す。助けたい人を召し、殺したいほど憎む相手を残す。その地獄に人を置いて、その人の本質を試す。そう俺は習った」
「そんな不条理な」
「そういう不条理を何度も体験してきた。助けたばかりの患者が病院から飛び降りてやっぱり死ぬこともあった。心が折れるよりも、それでも助け続けるしかなかった」
「なぜです」
「それが人間だからさ。どうしようもなく、苦しんでる人を放っておけない。それが人だ」
 みんな、考え込んでいる。
「どんな重い障害が残るとしても、神様が召さないって事は、なにかの意味があるんだ。人間は判断する立場にない。与えられた試練の意味を考えることしか出来ない」
 みんな、黙り込んだ。
「そうかも知れません」
「でも、鉄道員の皆さんはそれでメーワクを」
 その時、問い合わせのタブレット操作をやめないまま、車掌が言った。
「メーワクではないですよ。それも仕事ですから。正直面倒くさいなと思うことはあっても、仕事です。皆さんの仕事もそういうものでしょう? そして、やっぱりこういうときこそ、その仕事が試されるんだと思ってます」
 みんな、さらに黙り込んだ。
「結局俺たち、何もできないし、正直人身なんてこんな時に起こされてメーワクだけど、でも、一言、その彼の無事か冥福を、一言、祈っても良いんじゃないかな」
 みんな、答えられない。
「まあ、そうするか。その一言をケチっても、コミステにそれで間に合うわけでもないしな」
 ふん、と鼻を鳴らしてそういうものがいた。
「言葉や表現って、もともとそういうものだと思うぜ」
「そうだよな」
「じゃあ……って、こういうときどうすれば良いんだ? 黙祷か? まだ死んでないかもなのに?」
「そういや、どうするんだろ?」
「安全を祈る、としてU/Wは? 船乗りの信号だけど」
「ああ、あの映画でやってたなあ」
「でもなあ、俺たち船乗りじゃないからなあ」
「じゃあ、こういうのはどうだろう。私が声出すから、みんなは祈るだけでいい」
「そうか。わかった」
 彼は始めた。

「天にいらっしゃる神様、あなたの名前を誉め称えます」
 その声が気付いたアテンダントのマイクから車内に放送され、乗客たちはみんなロビーカーや展望車に整列した。
「神様、どうぞ私の心を探ってください」
 みんな、その声に神妙な顔になる。
「神様、この一年の終わりの日に、望みを持って旅立つ我々の前で、望みを失って身を投げた人を救い、また旅立つ我らをお導きください」
 みんな、頭を垂れた。
「神様の御名によって、この祈りを捧げます」
 みんな、しばらく沈黙した。
「でも、これ」
「ああ。自己流なんだ。ごめんね」
「まあ、いいんじゃないかな」

 そう言うとみんなは、ふうと溜息をついた。
「でも結局、コミステには間に合わないか」
「しょうがないか」

 その時、車掌が声を上げた。
「迂回運転の許可と指示が出ました!」
 みんな驚く。
「え、どうやって迂回するんですか? だって笠岡の人身事故、自動車巻き込んだ上に架線が切れたって。回復するの待ってたら朝ですよ。東京につく頃には昼過ぎですよ。コミステ終わっちゃいますよ!」
「ええ。その山陽本線は通りません」
「でも、平行する線路は……ええっ、井原鉄道!?」
「ええ。福山に戻って福塩線に入り、神辺駅から井原鉄道に入り、伯備線清音駅に抜けてそこから伯備線で倉敷、岡山駅に向かいます」
「でも井原鉄道は非電化区間でしかもワンマンのディーゼルカーしか走ってないはず。この重たい電車、入れるんですか?」
「その神辺駅にタンクローリーを手配しました」
「そうか! この列車にディーゼル燃料を給油するんですね!」
「EDC方式のこの列車なら走れる!」
「でも行き違い施設の有効長がないだろ」
「あ、行き違う深夜運転の列車は設定されてないんじゃない?」
「あと、実は井原鉄道は第三セクターのローカル線だけど、日本で建設された20世紀最後の鉄道で、ローカル線なのにPTC信号やロングレールや長大トンネルを採用してる」
「なんてオーバースペックな」
「単線なのと電化されてないだけで、他の施設は一線級だよ」
「知らなかった……」
「私も」

 585系『あまつかぜ』は神辺駅で給油を終えた。
「ディーゼルモード、起動!」
「起動!」
「かかってくれ!」
 それまで鳴りを潜めていた『あまつかぜ』の先頭車。
 そこに機械音が響く。
 そして、ゴウッという力強い音とともに、屋根上に青白い排気が吐き出される。
 ここまでの電化区間で眠っていた強力なディーゼルエンジンが目覚めたのだ。
「あとはディーゼルの発電した電気で電車モードの動力台車を駆動できる」
「パンタ、下げ」
「パンタ下げ、ヨシ!」
 『あまつかぜ』が重々しい気動車列車となった瞬間である。
 そして運転室に神辺鉄道の運転士が乗車する。
「初めての585系の運転になりますので、徐行で全区間走行します。じれったいでしょうが少し我慢を」
「おねがいします!」
 先頭展望車に集まったみんなから声がかかった。
「神辺出発、進行!」
 『あまつかぜ』のディーゼルが負荷に応じて少し吠えるが、しかしその割にゆっくりと滑るように進み出した。

「トンネルすごく多いですね」
 『あまつかぜ』は滑るようにローカル線の線路を進む。
「NATM工法っていうのを使ったトンネルです。吹き付けコンクリートを使った新しいトンネルの技術を使っています」
「そのあとはすごくでかい鉄橋」
「高梁川橋梁、日本でも珍しい長さ716メートルのトラス橋。トラス橋なのにカーブしてて、その上のレールは全てロングレール。錆びてるように見えるけど実は無塗装耐候性鋼材で、錆びてないんですよ」
 井原鉄道の技術員が先頭展望車に乗って解説する。
「なにげに線路もPC枕木に太い50キロレール……ぜんぜんローカル線とは思えないです」
「あ、ちょうど0時になる!」
 鉄橋通過中に、『あまつかぜ』は2018年を迎えた。
「あけましておめでとうございます!」

「清音場内、注意!」
 『あまつかぜ』は清音駅に進入する。そのホームで、交代するJR西日本の運転士と乗務員が待っている。
「これで岡山駅までいけます」
「でも、岡山で運転打ち切りですよね」
「まさか。この寒空に新幹線待たせるなんてしませんよ。どうしても待ちたければ待っても良いですけど」
 そこで運転士が微笑んだ。
「あとはJR西日本とJR東海、JR東日本の精鋭在来線運転士の技倆のリレーで、『あまつかぜ』の真の能力を発揮させて御覧に入れますよ」

 『あまつかぜ』はその後、パンタグラフを上げて電車モードになった。
 力強く身軽になった『あまつかぜ』は、もともとの臨時列車の上にさらに引かれた臨時ダイヤにのって、山陽本線から東海道本線を疾駆した。
 その力走はもはや寝台列車のものではなかったのだが、みんな誰も眠る気にもならなかった。むしろその力走の中、興奮とともにさらに作業を続けていた。
 そして、夜が明けた。
 外見から想像も付かない俊足を発揮し、そのまま朝の東京駅に滑り込もうとする『あまつかぜ』。
 途中のいくつもの撮影地では、運転打ち切りの危機からの奇跡の回復運転をするその勇姿を収めようと、撮り鉄たちがずらりとカメラを構えている。
「当列車、定刻通りに横浜駅を通過しました。まもなく終着の東京駅です。お忘れ物のないようご注意ください」
 そう放送がされる間にアテンダントが打ち明けた。
「井原鉄道さん、あのお祈りの話聞いて、特別ダイヤの組成と乗り入れ、そしてタンクローリーの手配に同意してくれたんです」
「ミラクル過ぎますよ……エクストリーム出展にもほどがあります……」
「でも、まあ、私たち北急電鉄周遊列車事業部はそういう部署ですから。今時JR各社の壁を越えて全国周遊列車走らせてるの、うちぐらいのものですし。なにがあっても普通ですよ。それが私達の仕事です」
「そういえばそうですけど」
「でも、ここでちょっと困ったことが」
「え、なんですか」

「井原鉄道さんから、『この特別迂回運転の記念に、みなさんのコミステで売る薄い本を1冊ずついただけませんか?』って」

 みんな一斉に、人身事故の一報を聞いたときよりも顔面蒼白になった。
「あ、あの、ちょっと」
「それは、ちょっと、なんというか、遠慮させていただこうかなー、って。ははは、はは、は」
 アテンダントは頷いた。
「そうですよね……。ええ。私達からご説明申し上げておきます」
「そうしてください……ひいいい」

 2018年正月、東京。
 澄み切った空気のなか、『あまつかぜ』の伝説の旅は、また一つ終わり、また始まるのである。
〈了〉

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み