2 食欲エンドレス

文字数 4,559文字


 四十分後、地下鉄谷町(たにまち)線の天六駅で合流したとの連絡が入り、迎えに行った芹沢が二人を連れてマンションに戻って来た。
 キャッキャと嬉しそうに騒ぐテンションの高い若者の声が廊下から近付いて来て、芹沢に続いて琉斗と智が姿を見せた。
「こんばんわーつ」
 二人は元気よく声を揃えて入って来た。その直後、同じように揃って目を見開き、「――え――?」と固まった。
「いらっしゃーい」
 ダイニングテーブルの一条と麗子が同じく声を合わせて出迎えた。
「ええっと、眼鏡のキミが受験生の川島智くんかしら?」麗子が微笑んで言った。
「そっちは西条琉斗くんね」一条も琉斗を見てにっこり笑う。
「え? え? え? うそ、え? は?」
「ヤバいヤバいヤバい、え? あ、あかんあかん――」
 琉斗と智は小声でお互いに話しかけながらもじもじと後退りをした。
「何してんだよ、早く座れよ」芹沢は言った。
「その前に手を洗って来い」
 ペッパーミルを手にした鍋島がキッチンから顔を出した。
「――あ、鍋島さん」琉斗が顔を上げた。
「元気そうやな」
 鍋島は言うと琉斗の隣の智に視線を移し、穏やかに微笑んで会釈した。智もぺこりと頭を下げた。
 そして、芹沢に案内されて二人の少年が洗面所に消えたのを見届けて、一条と麗子は顔を見合わせて「かっわいい〜」と喜んだ。
「言葉に気をつけろよ。相手未成年やぞ」
「母性よ、母性」
 麗子が言ってテーブルに頬杖を突いた。

 戻って来た二人は、またドアの前に並んでもじもじとはにかんだ。見ると、琉斗が後ろ手で透明シートに包まれたアレンジメントフラワーを持っていた。廊下に置いていたらしい。
「――あっあの、一条さんって――」
 琉斗が二人の女性を交互に見て訊いた。
「わたし」と一条が手を上げた。
「あ――お、お誕生日おめでとうございます」
 琉斗が言って花を一条に差し出し、智と二人で頭を下げた。「こ、これ」
「うっそぉ〜」
 一条は両手を頬に当て、目を細めて立ち上がった。二人の前に行くと琉斗から花を受け取り、顔の前に掲げて目を細めた。「わざわざ買って来てくれたの?」
「さ、さっき芹沢さんに聞いて」
階下(した)の花屋がギリギリ開いてた」芹沢が言った。
「豪華じゃなくてすみません」琉斗は頭を掻いた。「さとっちゃんはともかく、オレ、貧乏学生なんで」
「とんでもない。その気持ちだけで嬉しいわ。豪華さとか金額とか、そんなの関係ないから」
「あーだったら――」
「あなたの場合はがっつり関係あるのよ」
 一条は強い口調で芹沢の言葉を遮った。またあの冷ややかな目で芹沢を見つめ、今度は極めて冷静な口調で言った。「何もリセットできないからね。どさくさに紛れるんじゃないわよ」
 すいません、と芹沢は首を折った。
「え」琉斗と智はまた固まった。
「……何かあったの?」
 麗子が一条と芹沢を見比べながら訊いた。
「訊かないで、三上サン」芹沢は引き攣った笑みを浮かべた。
「そう。低俗すぎて若者の前じゃ話せないわ」一条が答えた。
「あ……じゃ、お食事いただきましょう」
 何となく悟った麗子に促されて二人の少年はテーブルの席に着いた。目の前にずらっと並べられた料理の数々を見て目を輝かせ、顔を上げて麗子を見ると頬を紅潮させて俯いた。
「二人とも、ジャスミンティーでええか?」
 ワインとオープナーを運んできた鍋島が訊いた。「ティーバッグで出したやつやけど。冷やしてある」
「あ、はい、何でも」智は言った。「――あの、ごめんなさい、僕までお邪魔して」
「いや、こっちこそ無理言うて悪かったね。親御さん、すんなり許してくれた?」
「ええ、連絡さえ入れれば、うちの親は基本反対しませんから」智は芹沢に振り返った。「それに今日、高槻で芹沢さんに会ったときにいただいた名刺の写メも送ったんで」
「……そうか。なら良かった」
 今頃署に問い合わせされてるんだろうなと芹沢は思った。
「さぁ、じゃあキミたち、遠慮しないでたくさん食べてね。お勉強のあとでお腹空いてるでしょ」
 一条が言った。自分もキラキラと目を輝かせている。「遠慮してたら、わたしが全部食べちゃうから」
 琉斗と智はそんな、あははと笑った。芹沢が真顔で「マジだから」と釘を刺した。

 そう言われたからなのか、二人の少年はよく食べた。一条が用意したメニューの他、鍋島が漬け込みすぎた鶏肉で作った照り焼きとチーズタッカルビ、マリネの材料の残り物で作ったアヒージョがテーブルいっぱいに並び、全部は置ききれなくてカウンターにも溢れた。それらを実に軽快に、ペースを落とすことなくパクパクと口に運ぶ姿は見ていて気持ちが良く、一条はもちろん、他の大人たちの食も進んだ。
 初対面の者同士が多い中で、それぞれに対する質問とその回答で会話は弾んだ。少年たちは一条が警察官僚であり、鍋島や芹沢より階級の高いエリートであることに驚き、麗子が女優ではなくて学者だと聞いてさらに驚いた。そして、どうやったらこんな二人と付き合えるのかと鍋島と芹沢に問い詰めたものの、曖昧にはぐらかされて不満げだった。その一条と麗子も、少年たちに興味津々で、親からの自立を目標に働きながら学校に通う琉斗に最大級の賛辞を送ったかと思うと、親の期待を背負って難関大学への受験勉強にひたすら邁進する智をとにかく激励した。そして、そんな彼らがどうやって仲良くなったのかを知りたがり、バイクという共通の趣味が正反対の二人を結びつけていると聞くや「男の子よねぇ」などとおばさんみたいな感想を言って二人を笑わせた。

 やがて、彼らと一条のおかげでほとんどの料理がほぼ平らげられたところで、一条が恐ろしいことを口にした。
「――大変、ステーキ焼くの忘れてた」
「……なに言ってんだよ」芹沢は口を塞いで俯いた。「食えるわけねえだろ」
「……一条、さすがにそれは――」鍋島も苦笑いした。
「あら、そう? わたしはいけるけど」一条はけろっと言った。「そもそも小さめのヒレ肉が二枚だけだから。一応、A5ランクよ」
「いや、ランク関係ねえし。俺らの腹具合の問題なのよ」
「キミたちはどう?」一条は少年たちに訊いた。
「い、いけます、大丈夫です!」琉斗が即答した。
「……琉斗くん、無理しないでよ。お腹壊したら、せっかく招待してもらったのに元も子もないよ」智が言った。
「え、だってそんな高級な肉、食べたことないし――」琉斗は上目遣いで智を見た。「さとっちゃんはしょっちゅう食べてるかも知れんけど」
「僕だってそんなにないよ。兄貴の合格祝いのときくらいで」
「ほら、やっぱりあるやんか」
「そんなこと言うたって――」智は俯いた。
「分かった、ほなちょっとだけ焼こう」鍋島が立ち上がった。
「全部焼いてくれて大丈夫よ」一条が言った。「残りはわたしに任せて」
「……一条さん、このあとケーキもあるのよ。忘れてない?」麗子が忠告する。
「もちろん分かってるわ」一条はにっこりと笑った。「スイーツは別腹、もはや常識よね。ま、わたしの場合、お腹まで到達しないうちに消えてなくなっちゃうんだけど」
「……さらっと怖ぇこと言ってんな」芹沢が呟いた。

 鍋島が絶妙な火加減で焼いたステーキを少年たちと一条があっという間に平らげ、無事料理は完食となった。最後に麗子が家の近所のパティスリーで急遽作ってもらったというバースデーケーキで一条の二十六歳の誕生日を祝い、これまたほとんどが一条と少年たちの胃袋に消えた。残ったのはそう、ソースが多めのボロネーゼとじゃがいもがやや硬かったポトフが少しずつ。実に完璧なフードファイト、いや誕生日パーティーだった。時刻は十一時を回っていた。

「――さてと、じゃあそろそろお開きだな」芹沢が言って鍋島を見た。
 鍋島は頷き、智に振り返った。「川島くん、家まで送って行くよ」
「え、そんなそんな。とんでもない」智は顔の前で手を振った。「高槻まで遠いですし」
「だから送って行くのよ」麗子は微笑んだ。「来てもらったのはあたしたちだから。遠慮しないで」
「でも――」智は困ったように首を傾げて琉斗を見た。
「大人の言うこと聞いとこうぜ、さとっちゃん」琉斗は頷いた。
「分かった」と智も頷き、鍋島と麗子に向き直って頭を下げた。「すいません、お手数ですがお願いします」
「琉斗は――親父さんとオフクロさん、もう帰ってる頃か」芹沢が言った。
「ううん、二人とも今日は泊まり。明日の朝まで帰ってけぇへんよ」
「オフクロさんもか?」
「うん。夜勤のときは、夕食と翌朝の朝食まで作るんや」
「そうか、じゃあ泊まっていけよ」
「ええっ? なに言うてんの」と琉斗もまた両手を激しく振った。「おじゃま虫もええとこやんか」
「余計な気ィ遣うなよ」と芹沢は笑った。
「いや、あたりまえやん」
「琉斗くん、それホントに不要よ」
 キッチンで片付けをしていた一条が振り返った。「もう遅いし。必要なら、お母さまにひとこと断りを入れましょうか?」
「あ、いや、そんな必要はないです」
「明日の朝、バイクで職場まで送ってくぜ」
「でも――」
「大人の言うこと聞くんでしょ、琉斗くん」
 智が言った。琉斗はあ、そうかと頷いて、智と同じようにじゃあお言葉に甘えますと頭を下げた。



 鍋島と麗子に連れられた智を一階のエントランスホールで見送り、琉斗は部屋に戻るためにエレベーターホールに向かった。
 エレベーターの中で今日は外泊すると母親にメールを送った。するとすぐに返信があり、明日の仕事には遅れないようにと忠告してきた。はいはい、分かってるよと返信を打とうとしたところで追加のメッセージが来た。

 ――寝過ごさないように起こそうか? 何時がいい?――

 こんなこと、初めてだった。
 琉斗はちょっと嬉しくなり、大丈夫だよと返信を打った。

 部屋に戻り、廊下を進んで突き当たりの扉を開けると、リビングのソファに座った芹沢が口元に人差し指をあてて静寂を求めてきた。
「……え?」
 琉斗が忍び足で近付くと、一条が芹沢の膝を枕にして眠っていた。
「あ――」
 一条はソファに膝を揃えて横たわり、手を顔の前で合わせて寝息を立てていた。『すやすや』という表現がぴったりだ。琉斗は惹きつけられるように一条を見つめながらゆっくりとダイニングの椅子に座り、小声で言った。
「……めちゃくちゃ可愛いやん」
「だろ」芹沢は微笑んだ。
「お腹いっぱいになったんやね。お酒もたくさん飲んでたし」
「ああ。あと、今日一日かかって準備して、さすがに疲れたんだな」
「寝室に運んであげないと」琉斗は芹沢を見た。「お姫様抱っこして」
「やるわけねえだろ。もうしばらくしたら、きっと目を覚ます」芹沢は言った。「それより、おまえ風呂入ってこいよ。もう入れてあるし」
「え、そんな、一番風呂なんて悪いよ。家長が先に入らんと」
「なにジジイみてえなこと言ってんだよ。いいから入ってこい、今日は遠慮すんな」
「……ええの?」
「だから、いいって言ってんだ」芹沢は促すように手を振った。「新しい下着、脱衣所のチェストの一番上に入ってるから」
「……ありがとう。ほな、遠慮なく」
 そう言うと琉斗は立ち上がってにやにやと笑った。「ゆっくり入ってくるから。気兼ねなくイチャイチャしててよ」
 芹沢もニタッと笑った。「……おまえ、出てきたらきっちりシメてやっからな」

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