海蛍 34

文字数 1,379文字

 ふたりは連日家を修理し、固く枯れつつあった大地を耕し続けた。ふたりの思いを受けた土は、ひと鍬ごとに肥沃な大地へと姿を変えていく。廃墟同然だった朽ちかけた家も、日に日に息を吹き返してくるのがわかる。

 町の者たちは遠巻きにその様子を見ているが、決してふたりに関わろうとはしなかった。アランに対しては無関心を装いながらも、いつしか薫を受け入れた過ちに気付いた時にはこれまで通りの仲間として受けいれる思いが感じられた。そして、薫を見るその目の奥からは、滾る憎しみが薄れることはなかった。

 アランが持ち帰った僅かな軍の払い下げの薬品しかなかった薬品棚だったが、隣町へ行くごとに薬品は増え器具も揃ってきた。見た目だけは診療所の体裁は整いつつあった。

「カオルにはもどかしく思うだろうね。患者の来ない、患者を受け入れることのできない診療所なんて」
薬品管理簿を付けていた手を止め、背伸びをしながらアランは言った。
「この地に畑なんて正直、無理だと思いました」

 アランの医学書を訳していた手を止めて薫が答える。今日の成すべきことをすべて終え、安堵できるひととき。開け放っていた窓からの夜風の冷たさに、目を細めながら窓を閉める。強烈な日差し、乾燥した風の舞うオレゴンの夏は9月半ばには突然、終わりをつげる。そして10月半ばまで短い秋が町を駆け抜けていく。冬が目の前まで来ていることを薫は肌で感じる。
「ここまで丁寧に手をかけたんです。土は正直、来年は必ず多くの収穫に恵まれます。診療所は町の人たちに取っては絶対に必要なものなんです。みんなの心がこの畑のように解れ、いつしか私たちがこの地にしっかりと根を張るであろうその時が来ることを待ちましょう」
しかし、薫の言葉にアランは何かを言いたげに息を飲む。そして、意を決したかのように、重くなっていたその口を開く。
「診療所再開のことなんだが……」
アランの重さを含んだその言葉に、薫は窓から手を放し振り返る。
「再開にあたり私はしばらく州都であるセイラムへ出向かなければならなくなったんだ。再開の諸手続きや最終的な薬品の調達、そして、向こうの病院でこの鈍った腕を少々、鍛え治すことも考えている。実質、二週間を予定しているんだが……」
言葉の途絶えたアランに薫はそれを察して、アランの前に立つ。
「留守番ぐらいできますよ。今のままだったら誰もここには来ないでしょうし。細かな手直しも、やろうと思えばいくらでも仕事はあります。勉強だって。どうか気にせずセイラムへ行って来てください」
「本当なら私はカオルも一緒にセイラムへ連れて行こうと……」
語尾が消えそうな言葉で、アランの心情が薫には理解できた。
「気持ちは有り難く頂きます……わかってます。アランの故郷であるこの土地でさえ私を受け入れないのに、セイラムへ行けばどうなるかなんて。留守は守ります。だからアランは安心してセイラムに行ってください」
「済まない、本当に済まなく思う、カオル。留守番したことを納得できるよう、私は必ず技術を身に着けてここへ戻る」

 翌日、薫は躊躇いの残るアランを追いだすかのように、セイラムへと旅立たせた。
乾いた土を巻きあげる風。オレゴンの秋は半月もない。既に身も心も凍てつくような冬がすぐそこまで来ていたことを、薫は気づかずにいた。
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