後編

文字数 2,640文字

 晶子が、いかにも信じられないという視線をゆっくりと下に――美春の股間に向けて、下ろしていった。
「え、うそ、だって水着とか」
「ついてるだけ、だけどね」
 静まった楽屋に、アンコールが始まるまでのつなぎとしてかかっているBGMと、ゆるやかに続いている手拍子が聞こえてくる。
 時折、美春を励ますように呼ぶ声もあった。
 美春は、ミニスカートのホックを外し、アンダースコートと一緒に膝の上までずらす。
「その事件より前にお母さんに――タマ、切り取られてたから」
 股間に貼られていた肌色のテープをぺりぺりと剥がすと、二次性徴を迎えていない様子の、男性のしるしが小さな姿を見せる。
 しかしその奥にあるはずの(ふくろ)はなく、竿だけがぷらりとしていた。
 誰かがこくん、と喉を鳴らす。
「お母さんはね、女の子が欲しかったみたい。遺品だ、ってもらった中にあった日記に書いてた。あたしを女の子(・・・)にするんだ、って。でも――」
 と、美春は少し目を伏せる。
「あたしを見るとあの男を思い出す、いらいらする、なんであの男に似てるんだ、ってのが日記に増えてきて、あたしにやったことまで書いてあった」
 もう一度、晶子が強く抱きしめる。
「――書いてることが読めるようになったのは、たぶん十二才ぐらいだったかな。その頃にはもうあたしは全然男の子らしくなんてできなくなってたし、どう見ても男の子に見えなくなってた」
 晶子を、美春は柔らかく解く。
「みぃ?」
「施設の人は優しかったけど、それだけだった」
 美春が立ち上がり、ボトムの衣装を脱いで私服のショーツとスカートをさっと穿く。
「本当にごめんなさい、みんな。
 アキちゃん――大好きだよ、今までありがとね」
 美春を見上げる五人の輪から、離れはじめる。
「待ちなさい」
 初穂が腰を上げて美春を追い、細い腕を掴む。
「え、だって、こんなあたし、いられな――」
「そんな程度が何だっていうの」
 初穂は、静かに怒っていた。
「美春は抜けたいの?」
 リーダーを見上げる美春は、涙が散るのも構わずに何度も首を振る。
「抜けたくない。――でも」
「ならこれは何」
 私服と、楽屋を出ようとしていた脚を指す。
「美春の全部、私達が一緒に抱えるよ。信じられない?」
 サイドテールが前後に揺れる。
「そんなことはない。みんな好きだし信じてるけど、こんな……ファンの人たちもだまし――」
キャラ(・・・)。それでいい」
 初穂の言葉は大きくないが、強く響いた。
「六人の、皆の個性(キャラクター)が重なって、HeXになってることくらい解ってるでしょ。
 誰が欠けてもバランス崩すし、みんながそれぞれ大事な、家族みたいなもの」
「家族……」
 この境遇を生きてきた美春にとって、縁の遠い言葉だった。
「違う言い方しようか?」
 初穂は美春を腕の中に引き込み、くるりと残る四人の方へ振り向かせた。
「私たちは一蓮托生。征くも退くもHeXである限り――ううん、そうじゃなくても、ずっと一緒。
 それに私はここを、HeXの終わりにしたくない。
 美春の勝手でそんなことはさせない」
「リーダー、怖ぁい」
 どこか冗談めかした口調で言いながら、美奈子が二人に近付く。
「でもウチも賛成。美春のこれくらいの秘密、受け止めたるよ」
「美春はこれまで辛かった分、好きにしていいと思う」
 千奈津は化粧水のシートを持っていた。
「拭いて。さすがにそろそろ、待たせすぎ」
「美春」
 九華がタブレットを片付けて、ツインテールを整える。
「家裁で戸籍の申請できる。事件のことは私達の秘密でお墓まで持って行けばいい」
「みんな……」
 呟く美春と、晶子の目が合う。
「みぃ」
 晶子は涙を滲ませて立つ。
 頬を張ろうとして初穂に止められ、その手を握って美春の額にこつんと拳を当てた。
「ばか!」
 初穂が解放した美春を、力いっぱい抱きしめる。
「一人で抱え込んで――ばか美春(みは)! 言えよ!」
「アキちゃ――苦しい」
 晶子の豊かな胸が、美春を圧していた。
「決めた」
 晶子は美春の声に反応したのではなく拘束を緩め、二の腕を取って向かい合う。
「きゅん、戸籍取れるんだよね?」
 九華が頷くのをちらりと見て、
「美春。男で戸籍取って、私とホントに家族になろう。
 私も美春が好き。だから一生離さない――」
 美春が反応するより早く、唇を重ねる。
「んっ――!?
「あらあら」
 初穂がほくそ笑みを内包するように目を細め、楽屋の外へ向かった。
「アイドルグループ内に夫婦って、どうなの?」
「言わんかったらええんちゃう?」
「でも『ミハたんは俺の嫁』って人いるよ」
「ほんまの事を隠すために、いっそMCのネタにするとか。軽いキス込みでもアリやと思う。美春と晶子が仲ええのは知られてるし」
 二人を囲んで三人がめいめいに言い、晶子が唇を離した。
「あ、アキちゃん……」
「みぃ――イヤ?」
「……ずるい」
 今度は美春が踵を上げて、晶子と触れ合う。
 晶子の背に腕を回して、密着する。
「イヤなわけないじゃん。
 みんなも、ごめん、ありがとう……」
「泣くのは後。ほら」
 千奈津が外を示す。
 曲のイントロが流れ始め、歓声が沸き起こっていた。
「え? あれ、これ今日のリストにない――」
「初穂さんさっき『あと三曲やる』って言ってたし、ねじ込んだんだ」
「みんな、行くよ!」
 扉の外から、初穂が五人を呼んだ。
「これ――」
「美春、好きでしょ」
 この曲は、この日の構成(セット)に入っていなかったが、美春が好きな歌だった。
 それほど特殊な楽曲ではないのだが、この曲は観客席の位置によってサイリウムの振り方を変える、ということをファンたちが編み出していて、光の波に琴線を揺さぶられる美春にとっては特別なナンバーだった。
 美春がこくりと首を縦に振る。
 初穂が五人を促して、背を向けた。
「今までの倍以上でも、綺麗に動いてたら感動だね」
 抱きしめたまま晶子が言って、美春はまた頷く。
 美奈子が楽屋を出る。
 九華が追って、千奈津が二人の肩を軽く抱いてからステージに向かう。
「みぃ――行こう」
 美春と晶子は、そろって楽屋から飛び出す。

 二人の手はきゅっと、しっかりと握られ、美春が浮かべた笑顔からは憂えた色がいくぶん、薄れていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み