オールグリーン

文字数 6,260文字

   
 自分達の存在を現実で「死人」とする代わりに、必要なだけの金を渡す。
 それが機関が彼等に、約束したことだった。
 そしてそれは、英一達と現実で繋がっていて、当人と同じ理由で切実に金を必要としている人達――つまりはほぼ身内にだけ、こっそりと明かされることとなった。
 彼等に対しては、「実験中の事故で昏睡状態に陥った、回復の見込みは無い、お詫びの気持ちとこの件を黙っていてもらう代わりに必要分に更に上乗せした金を渡す」ということで交渉を持ちかけたのだという。
 勿論、反応は様々だった。
 家族の命を金になんか変えられるか、と憤る者、必要分の何倍もの金額であるのにまだまだ足りない、とごねる者、もともとその人は死んだものと思っているので連絡など要らない、と拒む者。
 だが最終的には全員が金を受け取り、その条件を呑んだのだそうだ。
 それには英一達側の働きかけもあった。
「事前にそういう契約にサインしてた、てことにしたんだ。そこに、もしそうなった場合にこれを家族に渡してほしい、て遺書っぽい手紙もつけてね」
 英一は姉に、もしこうなったら四の五の言わずに黙って金を受け取ってほしい、そしてその金で旅館を立て直してほしい、そう書いたのだそうだ。
「今まで家の全部を背負ってきたのは姉さんだから。僕は今まで何もできずに、万一のことがあればこの先も何にもできない、だからその時はせめてもの償いだと思って金を受け取ってほしい、て。
 姉は僕なんかより遥かに経営に向いてる。彼女が切り盛りするのが旅館の為にも、お客さんの為にも一番良いんだ。全部任せて申し訳ないけど、そうやって旅館のことも、満ちるや母さんのことも守っていってほしい、そう書いた」
 ふっと口元に苦い笑みを浮かべて、英一は目を伏せる。
「母や妹のことを出せば、姉はもうどうにもできなくなる、て判ってたからね。本来こんな話に黙ってられるような性格じゃないんだけど、本当に本当に芯から責任感の強いひとだから、そこをおっかぶせちゃえば黙らせられる。それが判って、そう書いたんだ。……ひどいことを、したと思うよ。今でも。だけど」
 英一は一度言葉を切って、しっかりと彰を見据えた。
「間違ったことをしたとは、僕は思ってない」
 何故なら自分がこの先実家の窮乏に対して何もできない立場になったのは事実で、そして目の前に必要なだけの金がある。だったらもうどうにもならない自分のことより、それを使う方が絶対に正しい選択だ。
「だから二人が金を選んでくれて、僕は心底、安心したよ」 
 英一の家族については、姉と母親、二人にだけこの話は明かされたのだという。
「父親には言う必要ないし。あの人に言ったらもっと金寄越せ、てなるだけだから。だから二人にだけ話してもらった。こないだの御堂くんの話からすると、どうやら今も、知ってるのは二人だけみたいだね」
 とすると、姉が満ちるに話した『VIP説』も、おそらく姉と母親とで祖父母に話した『義兄の遺産相続』の話も、皆嘘なのだ。真実を知っているのはその二人だけ。
 姉に頼んで、英一は大学の退学手続きを取ってもらった。どうせ外にいたって続けられたか判らなかったから、そこはそれ程気にならなかった、と本心かどうか彰には全く読めない口調で英一は語る。
 それから英一は現実界で「死人」となった。


 その後に母親が長いこと()せっていた、というのは当然だと彰は思った。息子の容体そのものへの心配と、息子の存在を金に変えた、という激しい良心の呵責(かしゃく)とが彼女を病ませたのだろう。
 ……ああ。
 聞かない方がいい、と言った英一の言葉が、今更ながらに彰の胸にしみる。
 確かに、そうだ。
 こんな話を聞いてしまって、自分はどんな顔で満ちるに会えばいいのか。
 そして。
「僕は今以外の状況を望んでない」
 彰が呼吸を整えて話し出そうとした瞬間、英一が鋭く言った。
「今の状況を、変える気は無い。まあ変えられないんだけどね、こっちからは。僕はここから出ることはできないけど、今の暮らしに不満は無い。僕の実家は、機関の金で助かった。機関は家族が黙っていてくれるから、今も仮想空間の研究を続けられてる。オールグリーンだ。全員が皆、上手くいってる。変える気は無い」
「……美馬坂くん」
 彰は何とも言えない思いにとらわれて、目の前の英一を見る。
「機関は金を払うのに、ひとつ条件をつけてる」
 そんな彰をなだめるような声で、英一は続けた。
「期限なし、利息はわずか。でも担保はつけて、年に一度、数千円だけ払えばいい、て条件で金銭消費貸借契約書、まあ一言で言うと法的に強い借用書、そういうのを書かせてる。うちは旅館が担保。他の三人も、会社とか土地とか、大事なものが担保になってる。もしも家族から情報が外に漏れた気配があれば、それが持っていかれる」
 言い返そうとしていた彰は、英一の言葉に声に詰まって。
「それに、もしこのことが世間に知られたら、その方が大ダメージだよ。特にウチみたいな、一般の人を相手にしたサービス業なんてのはね。ここの女将と若女将は金の為に息子の命を売った、なんて、そんな評判広まったらどうなると思う?」
 そして続いた内容に、完全に言葉を失った。
 膝の上で、ぎゅっと両の手を握り込む。
 何もかも、英一の言う通りだ。
 確かに、特に英一の場合、今の実家の状況なら借金そのものはすぐに耳を揃えて返せるのかもしれない。だがそれに加担した、という事実が公になるというのは大ダメージだ。それこそ下手をすれば廃業ものだ。
 でも、だけど。
 彰の目の裏に、蒼白な頰に涙をつたわらせた満ちるの顔が浮かんだ。
 いるんだ、きっと。
 彼女のように、他の三人にもきっと、今でもあんな顔をして生きているひとがいる筈だ。
 あのひと達をあのままになんて、しておいていい筈がない。
 増して死人まで出ているというのに。
 それを隠したままにしているというのは、どう考えても道義的に間違っている。
「御堂くん」
 押し黙ったままの彰を気遣うように、探るように、英一が少し首を傾けて下からこちらを覗き込む。
「……やっぱりおかしいよ、美馬坂くん」
 食いしばった歯の奥から、彰は言葉を押し出した。
「こんな状況を隠したまま実験を進めようとしてる機関も、君達や家族がそれの犠牲になってることも、満ちるちゃんのように今も理不尽で辛い思いを抱えて苦しんでいるひとがいることも、どう考えたっておかしいよ、美馬坂くん」
 満ちるの名を聞いた瞬間、英一の顔がわずかに歪む。
 彰はそれを見ないように顔をうつむけたまま、言葉を続けた。
「大体、そんな危険なことがあったんだったら、その時点で他の被験者のことを考えて中止にするべきだったんだよ。僕等にだって、何か問題が起きてたかもしれなかったのに。そもそも、中で眠ることができないんだったら、長期滞在なんて……」
 膝の上の拳を見つめながら一心に話していた彰の声が、ふうっと浮き上がる。
 あれ?
 あれ……そうだよ。そう、変だ。
 彰は下を見ながら、ぱちぱち、と瞬いた。
「御堂さん?」
 隣のシーニユが、どことなくとがめるような響きの声をかけた。
 その声に弾かれるように、彰はがばっ、と顔を上げる。
「御堂くん?」
 不審そうにこちらを見つめる英一を、彰は見直した。
「七年ずっと、ログアウトできなかった、て言ったよね」
 そして放ったいきなりの質問に、英一は軽くのけぞりながら「う、うん」と少しどもり気味にうなずく。
「じゃ結局、美馬坂くん達の後は、誰ひとりとしてログイン中に眠った人っていないんだよね?」
「ああ、うん、僕が知ってる限りではね」
 相変わらず訳が判らない、といった顔で、それでも英一はそう答えて。
「でもじゃあ、もう無理なんじゃないの?」
「へっ?」
「この実験。だってそもそも、長期間滞在する為の仮想空間だよ? そこで眠ったら出られないんじゃお話にならない。いくらミスを隠蔽する為、たって、そこから七年かけて何の進歩もしてない、て有り得なくない? 普通はもう仮想空間利用の線は諦めて他の方法を検討するもんじゃないの?」
 矢継ぎ早の彰の問いに、英一はマスターの細い目でゆっくりと瞬いた。
「すぐにやめちゃうのが無理だってのは判るよ。でも、普通は少しずつ縮小させていって何らか理由をつけて終わらせるもんじゃない? それを、こんな『パンドラ』みたいなことまでやって、むしろ拡充してるって言うか、どんどん後に退()けない方向にいってる、て言うか」
「うーん、でも、やめる、てことは設備も何もかも撤収する、てことで、そしたら僕等の存在、隠しておけなくなるから向こうが困るんじゃ? やめられちゃったら、僕等も困るし」
「そこも何だか、不思議じゃない? だって美馬坂くん達、法的にはもう死んでる訳だから。七年もあって、実際その間にひとり肉体的には亡くなってるんだし、後の三人も何か発症して亡くなっちゃったんですよ、てことにして仮想実験を縮小させていくことだってできた訳だよね、機関は?」
 考えをまとめるように思いつくまま口に乗せると、英一が破顔した。
「黒いなあ、御堂くん」
 その明るい笑い声に、彰ははっと我に返って赤面する。
「あっ……あ、ごめん」
「いや。いや、慧眼(けいがん)だ、御堂くん。確かにあんまりすぐ、じゃ家族も黙ってないだろうけど、何年かしたら僕等の肉体なんて始末しちゃったっていいんだもんね。もう葬式も納骨も済んでるんだし」
「あ、まあ、うん」
 悪いことを言った、という気分がまだ抜けないところに、その当の相手が気にしないどころか上回るレベルのことを言ってくるのに彰は途方に暮れて。
「うちもそうだけど、葬式やったところはお棺の中に人工タンパクと人工骨入れて、火葬場ごまかしたんだよね。だからうちの墓、僕の骨壷は人工骨入り」
 そして更に明るくそんなことを続けられて、もうどうコメントしていいかも判らなくなる。
「あの……ええと、だからさ」
 彰は軽く頭を振って、強引に気分を切り替えて。
「だから、何か……訳が、あるってことだよ。機関が仮想空間の研究をやめずにまだ続けてる、てことには」
「んー……だと、すると」
 唇の上の髭をふっと吹いて、英一は考え込む。
「まず考えられるのは、実はもう中で眠ってもログアウトできる技術ができてて、でもそれを僕等に黙ってる、てことだよね。ミスを隠蔽する為か、あるいは僕等には適用できない何らかの理由があるのか」
 英一の推測に、彰も考え込んだ。
「後者なら言ってきそうな気もするし……どっちにしても、技術があることを美馬坂くん達に隠し通すのは難しいと思う。もし技術があるなら、いつかは必ず、今よりもっと長時間、仮想空間の中にヒトが滞在するようになる訳だから」
「まあ、そうだよね。でも、もし技術が見つけられてないのなら、確かに御堂くんが言うように、なんでいつまでも仮想空間を恒星間移住に利用する、てことにこだわってるのかな」
「判んないよねえ……」
 何とも思考が手詰まりになってしまって、彰は大きく息をついて椅子の背にもたれた。


 何気なく耳のリモコンに手を触れて時間をチェックすると、いつの間にか残り時間が一時間程しかないことに彰は驚く。残り時間が半分になったアラームが確かに鳴った筈なのに、全く気がつかなかった。
 それからちらっと、先刻から殆ど身じろぎもせずに背筋を伸ばして座ったままのシーニユを見やる。
 彼女は英一の過去の話を聞いて、どう思っているのか。そして、今彰達が不可解に思っていることについて、何か考えがあるのだろうか。
 ……もし自分が英一達のことを明るみに出したとして、それでこの実験が中止になったら、『パンドラ』もそこにいる人工人格達も、すべて消えるのだろうか。
 ふと思いついた考えに、どくん、と心臓が鳴って、肩から指の先までが奇妙にずしっと、重たくなる。
 何の表情も浮かんでいないシーニユの横顔は、いつものようにしずかだ。
「……まあでもとにかく、もう少し待ってくれないかな、御堂くん」
 シーニユの様子に気をとられていた彰は、はっとなって目線を戻す。
「知ってしまった君が、黙ってられない、て気持ちは判る。判るけど、僕が最も望んでいるのは今の状況の維持だ、てことも理解してほしい。それから、今の……なんで機関はいつまでもこの仮想空間、て代物にこだわってるのか、それは僕も気になる。できる範囲で調べてみたいから、動くのはもう少し待ってほしい」
「……ん。判った」
 英一の言うことには確かに筋が通っていて、彰は小さくうなずいた。自分の中でもまだ、この事態を世間に出すことで英一の家族がどれだけの影響を被るのか、仮想空間の研究がどうなってしまうのか、そういう諸々のことをもっと考えなければいけない、と感じる。
 誰かに相談できればいいのに、と思った瞬間、磯田の顔が浮かんだ。
「美馬坂くん」
 思わず名を呼ぶと、「何?」ときょとんとした顔を相手がこちらに向けてくる。
「君達のことって、どれくらいの人が知ってるの?」
「ああ、もうほんのちょっとだね。古株の、それも上の方の人ばっかり。今は引退してる人もいるから、現役で働いてる中ではもう二十人もいないんじゃないかな」
「じゃ、新しく『パンドラ』に来た人とかは全然知らないの?」
「『パンドラ』の為に雇われた人は全員知らないと思うよ。そもそも仮想人格でさえ、僕達が現実に体を持ってる、てことは知らない」
「えっ、そうなんだ」
 磯田がこの話に全く関わっていなかった、ということに彰はほっとしつつも、英一の言葉に驚いて。
「そう。だから僕等、仮想人格とは離れて暮らしてるんだよ。彼等は眠らないから」
 そしてそう続けられたのに、更に驚く。
「そうなの?」
「うん。あ、て言っても人工人格とは違って、完全に寝ない訳じゃないんだけど。何て言うのかな、ヨガの瞑想とか座禅みたいな感じにはなるんだ。でもそれも一日の中で一時間もなくてさ。僕等は完全に寝ちゃうから、それ見られたら困るんで」
「そうなんだ……」
 やっぱり人工人格には「眠り」は無いのか、そう思いながら彰はうなずく。
「だから仮想都市の御堂くんや皐月さんとも、もう全然会ってなくってさ。ごめんね、何にも話せることがなくて」
「いや、いいよ」
 英一が本当に申し訳なさそうな顔を見せたのに、彰は慌てて手を振った。今となっては、何だかその方が良かった気がする。まだ自分には心の準備ができてない、ということがここ最近でよく判ってきて。
「とりあえず、こっちの問題片付けるのが先。皐月のことは、その後でゆっくり考えたいんだ」
「……うん。判るよ」
 英一がゆるやかな笑みを浮かべて、しっかりとうなずいて。
 その顔に彰は、確かに自分はこの相手を助けたい、という強い気持ちを感じる。
「じゃ、次また一週間後なんだけど、会えるかな」
「勿論」
 英一はにこっとして立ち上がると、こちらに手を伸ばしてくる。
「ありがとう、御堂くん」
 彰もつられて立ち上がって、その皺の多い小さな手を握り返した。
   
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