お熱いのがお好き (2)

文字数 1,505文字

 男女平等の世とは言っても、肉体的には、つまり骨格や筋肉の面においては、女子はどうしても男子に劣る。
 むろん平均値の話だ。個体差はある。努力で補える部分もある。
 だが、限界がある。

 編入学以来つねに学年トップの成績をキープし、棒術においても教師をして賛嘆せしめたカミーユではあったが、そこは女の悲しさ。筋力におけるハンディキャップを痛感することがままある。
 例えば、学内に設置されている水道の蛇口。
 あれが苦手だ。
 自動センサー付きでなく、上下するレバーでさえなく、古式ゆかしい、手でひねるハンドルのやつだ。

 体育の授業が終わってあれの前に立つと、いつも緊張する。

 かるく目をつぶり、心の中で唱える。
南無(なむ)八幡(はちまん)大菩薩。お水、出ますように)
 それから息を止め、右手に満身の力をこめてハンドルをひねるのだが――
 三回に二回はハンドルがびくとも動かない。

 男子校で教師もほぼ全員が男。野郎ばっかだ。
 彼らにしたら普通にハンドルをきゅっとひねって閉めているだけだし、開けるのもきゅっとひねるだけで何の問題もないのだが、その「きゅっ」が、女の子にとってはとんでもなく固く締められてしまっているのである。

 無理をして、もう一度片手でひねろうとしたら、手首の筋にするどい痛みが走った。
「痛っ」
 声に出したつもりはないのに、まわりがいっせいにふり返る。このときばかりは彼女も気づいた。
(無念!)
 泣きそうになりながら両手を蛇口ハンドルにかける。屈辱だが、すでに自分の後ろに列ができている。これ以上待たせるわけにはいかない。

 思いきりひねった瞬間——無情な水は過激にほとばしって、彼女の全身を濡らす。

 という痛ましい事故が幾度かくりかえされた後のある日、カミーユははたと気づいた。
 そう言えば最近、あのぶしゃーっ!という災難に遭ってないな、と。
 自分が水道へ向かうと、かならず、誰かが横をさりげなく追い抜いていく。そして自分が蛇口に到達する前にハンドルをひねってゆるめ、そのまま素知らぬ顔で立ち去るのだ。

 騎士道精神、というやつだ。名誉と礼節を重んじる。

 この学園にも龍族(ドラゴン)はいないが、生徒たちは皆、育ちがいい。良家の子弟だ。
 クロードたちの通う何でもあり(ジャンバラヤ)な高校とは相当おもむきが違う。
 九割を樹霊族(ドリュアード)が占め、中でも絶滅を危惧される希少種は優先的に入学を許される。
 カミーユも現在全国に数株しか生き残っていないうちの一株なので、そこそこ親戚縁者のいる子たちからは
(尊い)
という扱いを受けるのも、ごく自然なことではあった。

 だが、そんな特別扱いを当然と思いあがるようなカミーユではない。
 朋輩たちの奥ゆかしい親切に気づいた彼女は、なんとかして感謝の意を伝えたいものだと思った。義理がたい性格なのだ。
 あるとき、立ち去ろうとしていた男子生徒の前にそっと回りこみ、彼の顔を見上げて、小さな声で言ってみた。
「ありがとう」
 あえて小声にしたのは、こういう繊細な思いやりを人前で大げさに称賛しては、かえって礼を欠くことになるだろうという心くばりからだった。他意はなかった。

 そう、他意はなかったのだ。

 しかし、当然の結果として、不幸な(いや、幸福な? どっちだ)クラスメートの男子にはそれが
・はにかんだ上目づかい
・かすかに染まった頬
・ふるえる唇
・おれだけに聞こえるささやき
という、写真をデコるアプリもかくやという身勝手な修正をほどこされて心の臓にぶちこまれたのだった。

 こうして男子たちのあいだに
「カミーユさまが水道に到達する前に誰がいちばん先にダッシュして蛇口をゆるめるか」
という熾烈なゲームが爆誕してしまったのだが、話はここでは終わらない。
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登場人物紹介

波多野静/アリア(はたのしずか/ありあ)


この物語のヒロイン。明るく素直で天然。特技は歌とダンスと水泳。惚れっぽいのが玉にキズ。海霊族(ネレイド)。

波多野遥/ミランダ(はたのはるか/みらんだ)


アリアの姉。妹思いでクールかつ熱血。特技はアリアと同じく歌とダンスと水泳。アリアとよく似た容貌だが、5センチ背が高い。海霊族(ネレイド)。

水原九郎義経/クロード(みずはらくろうよしつね/くろーど)


アリアの同級生。小柄だが学年一の美貌で、すでに女子の半数は陥落させている(推定)。身体能力、とくに跳躍力に優れ、お気楽な言動で周囲をふりまわす。ベンジャミンたちから「御曹司」と呼ばれている。樹霊族(ドリュアード)。

武蔵弁慶/ベンジャミン(むさしべんけい/べんじゃみん)


アリアの同級生。筋骨たくましい大男だが、冷徹な知性派でもあり、クロードの暴走をつねに(かろうじて)食い止めている。人馬族(ケンタウロス)。

佐藤四郎忠信/クリストフ(さとうしろうただのぶ/くりすとふ)


アリアの同学年生(クラスは違う)。長身で俊足だが、内気で目立つのが苦手。極端な無口。女子に対する耐性ゼロ。水狐(ウォーターフォックス)。

佐藤三郎嗣信/フロリアン(さとうさぶろうつぐのぶ/ふろりあん)


クリストフの兄。容貌・性格・身体能力ともにクリストフとよく似ている。ただし左肩から右脇腹にかけて貫通創あり(一度死亡)。火狐(ファイアーフォックス)。

平野知盛/ヴァレンティン(ひらのとももり/ばれんてぃん)


平野一族の若き当主。物腰柔らか、文武両道の公達(きんだち)。現在はアリア姉妹の実家に客人として身を寄せる。クロードとは因縁の仲。樹霊族(ドリュアード)。

水原由良頼朝/カミーユ(みずはらゆらよりとも/かみーゆ)


クロードの異母姉。アリアやクロードたちとは別の全寮制高校に学ぶ。男装して生活している。頭脳明晰、真面目で誠実だが、男心も女心もまったく解さないのが玉にキズ。樹霊族(ドリュアード)。

北条政人/オーギュスト(ほうじょうまさと/おーぎゅすと)


カミーユの同級生。寮では隣室。そつのない完璧な優等生。影となり日陰となり(?)カミーユを支えるが、いまだに友達以上恋人未満の生殺しポジションに置かれている。水霊族(ナイアード)。

梶原源太景季/エドガー(かじわらげんたかげすえ/えどがー)


カミーユの同級生。佐々木エドマンドと血縁者ではない。橇犬族(ハスキー)。

佐々木四郎高綱/エドマンド(ささきしろうたかつな/えどまんど)


カミーユの同級生。梶原エドガーと血縁者ではない。橇犬族(ハスキー)。

遠藤盛遠/文覚/バルタザール(えんどうもりとお/もんがく/ばるたざーる)


カミーユとは中学時代からの先輩後輩の仲。アリアとミランダとは江ノ電の中で知り合う。荒海を一喝して静める法力の持ち主。性格は豪快で、人情に厚い。水霊族(ナイアード)。

土佐昌俊/ジョバンニ(とさしょうしゅん/じょばんに)


ベンジャミンのかつての修行仲間。その後カミーユに仕えていたはずだったが……。土霊族(ノーム)。

後白河雅仁/ローレンス(ごしらかわまさひと/ろーれんす)


法皇。この国の権力構造の最高位にありながら、一見ひょうひょうとした異端児の風貌を持つ。が、その本心は未知数。バルタザールとは那智の滝での修行仲間。龍族(ドラゴン)。

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