第3話-⑤

文字数 983文字

吉野に着くと、私たちは姉上が度々訪ねたことがあるという僧坊へ向かった。

主の僧が『この春は遅いお出ましでしたね。桜も半分は散ってしまいました』などと言う。

私たちは夕餉ゆうげをいただき、そのまま泊ることにした。

翌朝(よくあさ)、空は(かすみ)がかっていたが、次第に晴れていくと、辺りをはっきり見渡すことができた。

ここかしこに僧坊がある。

鳥たちはさえずりあい、草花が咲き誇っていた。

僧坊の主が、

『あなた様のように初めて参った人には、滝のあたりが見所多いことでしょう』

と言うので、

私は姉上たちと離れ、真女子とまろやを伴い谷をめぐり、下った。

此処は昔、御門の行幸みゆきがあったという。

その離宮の辺りでは、滝の瀬はいよいよ激しく、音を立てて流れており、

鮎が流れに逆らい登っていた。

まことにおもしろく、風情がある。

持参した弁当を並べ、風光明媚な山景色を三人で楽しんだ。

しばらくして、岩根づたいにこちらへ来る人があった。

見れば、麻糸をたばねたような乱れ髪をした翁であった。

私たちのすぐそばまで寄り来ると、

怪訝そうな目を、真女子とまろやへ向けた。

なにやら薄気味悪い翁ですこと。

旦那様、あちらへ移りましょう。

あれこそ物の怪なのです。

真女子とまろやは避けるように翁に背を向け、

私の袖をくいとつかみ、場所を変えようと言う。

まぁ待て。

メシを平らげてからでも遅くはなかろう。

いえ、もう充分いただきました。
早く、早く。
わかった。そうせっつくな。
と、私たちが立ち上がったときだった・・・・・・

どこへ行くか!

ここでわしにうたのが、運の尽きと思えよ。

翁がずんずん歩み寄り、真女子との間合いを詰めていく。

私は割って(はい)り壁となり、行く手を塞いだ。

どなたか存じませぬが、一家で滝を楽しんでおったところにございます。

邪魔はしないでいただきたい。

おまえさん、このままだと命を落とすことになるが、よいのか?

命を・・・・・・?
あれは人ではない。

歳を重ねた大蛇(おろち)であるぞ。

大蛇・・・・・・

翁は真女子をキッと睨みつけた。

と、まろやと二人、ともにひどく怯えた顔を見せると、逃げるように駆け出した。

待たぬか!
真女子、どこへ行く?
そこをどけ!

翁が私を押しのけたとき、真女子とまろやは滝壺へ飛び込んでいた。

真女子!

と、墨をこぼしたような黒雲(くろくも)が急にたちこめてきて、

激しい雨が降り出し、大地を叩く。

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登場人物紹介

豊雄(とよお)

真女子(まなご)

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