-amable-

文字数 2,898文字

…うぅむ、困った。
どうすれば、喜んで貰えるだろう…?


明日は「ヴァレンタイン」だ。
以前の俺なら、こんなイベントは歯牙にもかけなかったのだが。

この時期になると、やたらと広告媒体に「チョコレート」が用いられる。
曰く、女性が気になる男性へ贈り物をするのだそうだ。

元はと言えばそのように浮ついたイベントではなく、どこかの国の司教が処刑された日であるはずなのだが…。
何故か、日本ではそういうことになっているらしい。

そのせいもあってか、俺の周りの男子共は、この日が近づくにつれ何故か浮つき始める。
直前だけ張り切ったところで何の意味もないというのに…。

元より異性から好かれる道理のない俺は、…先程も言ったが、気にかけてすらいなかった。
…しかし…まぁ、その…。どうにかして好かれたいと思う相手が、近頃、できたのである。


彼女は、俺が参加している部活動の元部員の後輩の、姉にあたる人物。
――平たく言うと、…幸運な事に、俺と同じクラスの狐塚宵夢さん。

「ヴァレンタイン」という日に、俺なんかが彼女からなにか貰えるはずもない。
そう踏んでいたのだが、広告媒体によるとどうやら最近は「逆チョコ」なるものが流行しているらしい。

「ヴァレンタイン」のひと月後には「ホワイトデー」が控えており、本来ならばその日に、チョコを受け取った男性が女性に対して贈り物を贈るとされているので、「逆チョコ」というものを知った時には少々呆れたが…。
案外、これは使えるかもしれない。

既製品をそのまま贈るのでは、なんだかとってつけたような感じになってしまいかねない。かといって、何を贈れば喜んでもらえるのだろう。
ホワイトデーのお返しなら、花束を贈るのも手かもしれんが。逆チョコ代わりにいきなり花束は大仰過ぎるよな…。

しかも。こう言っては何だが、宵夢さんはいわゆる「天然」である。いきなり贈り物を贈ったとしても、こちらの好意には気付かれない可能性が高い。
おまけに、花束となると悪目立ちするだろうし、第一邪魔だ。何事もなく持ち帰ってもらえたとしても、彼女の弟にはいろいろとばれてしまうだろうし……。

要するに、花束は無しだな。
うぅむ、どうしたものか。

悩む俺の目に、ふと自動販売機が飛びこんでくる。
――これだ! と思った。

明日の朝、温かいホットココアを渡すことにしよう。…結局既製品だが、致し方ないな。
自販機なら学校付近にもあるし、そこで買って保温袋にでも入れていけば、教室に着くまでくらいは温かさを維持してくれるだろう。

明日も寒いだろうし、ありがとうと受け取ってもらえるに違いない。
さすがにこれだけでは好意には気づかれないだろうが、こうなればもうやぶれかぶれだ。とにかく渡せればそれでいい。


――そんなこんなで、ヴァレンタインを迎えてしまった。
昨夜はあまり寝付けなかった。…ただこれだけのことに、緊張してしまっているらしい。

折しも、今日の天気は雪だった。
こんな日には、すぐに冷めてしまうと分かっている缶入りのホットココアであっても、喜ばれるはずだ。――俺は密かに口元をゆるめる。

予定通り、俺はペットボトル用の保温袋を片手に、家を出た。
…寒い。正直なところ、自分が凍えてしまいそうだ。

ざくざくと、積もった雪を踏みしめながら、俺はどうにか学校付近の自動販売機まで辿りついた。
手袋をつけているにもかかわらず、手が凍えてしまった。…こうなるとやむを得ない。俺も何か温かい飲み物を買うことにしよう。

眠気を飛ばす意味でも、と思い、俺は缶コーヒーを選んだ。
ボタンを押すと、ガコンという音と共にお目当ての缶コーヒーが転がり落ちてくる。

コーヒーを手に取る前に、小銭を取ろうと手を伸ばす。
そこには雪が入り込んでいて、見ただけで手を引っ込めてしまいそうになる。

…まぁ、いいか。どうせすぐに温かいものに触れるのだし。
意を決して小銭を取り出しポケットに入れ、やっとコーヒーを手に取った。

「あれ? 二階堂くん。おはよう」
――唐突に、馴染みの声が響く。

ぴたりと動けなくなってしまった俺だが、まさかと思いつつどうにか振り返る。
そこには、やはり――にこにこと俺に微笑みかける宵夢さんがいた。

「………………」
俺は、挨拶もできないまま思わず絶句してしまう。

「今日は寒いね…」という彼女の呟きに対して、ようやく
「…………あ、ああ…」とだけ返事をすることができた…。

はぁ、と息を吐き出す彼女の手には、手袋がされていなかった。道理で、とても寒そうにしているわけだ。
俺はすかさず、買ったばかりの缶コーヒーを差し出す。

「………よかったら、これを。」
「…え?」

「その…。手袋をしていないようだから、寒いだろうと、思って。」
たどたどしくもどうにか言葉を続けると、彼女は「ああ…」と納得した表情を浮かべる。

「手袋、家に忘れちゃって。…私、こういうとこはうっかりさんなのよね。」
…普段の俺ならば、そこだけじゃないぞ。と思ってしまうのだが、それどころではなかった。

「……………。」
俺は無言で缶コーヒーを彼女に持たせる。
…強引に押しつけるような形になってしまった上、ココアではないのでもはやヴァレンタインとは何の関わりも無くなってしまったが、冷え切った彼女の手を温められるのなら、もうそれで良かった。

「…ありがとう。…でも、これ、二階堂君が飲もうと思って買ったんだよね。」
「いや、いい。」

彼女は、うーん、と苦笑を浮かべる。
そんな彼女に対して俺は何も言えないままだが、とにかく学校に向かわねばと足を向けた。

「…あ、そうだ。お返し、って言うのもへんだけど、良かったらこれ、どうぞ」
少し歩いたところでそう言い、かばんから取り出された彼女の手には、チョコレートが入っているらしき箱が握られていた。そして、「ハッピーヴァレンタイン」という彼女の言葉。

夢にまで見た…というか夢にも思っていなかったそれに、俺は思わず足まで止めてしまった。
その上、口をついて出た言葉は「お………………俺で、いいのか?」である。

何を言っているんだ。義理に決まっている。と冷静に考えている俺がいる一方で、
まさか…と期待している俺がいるのも事実だ。

そんな俺に向かって、くす、と笑いをこぼすと、彼女は
「お礼だから。気にしないで受け取って?」と言った。

やはり義理だ。うん、当然だ。何を期待していたんだ俺は。
いや、でも、それでも嬉しいものだ、と――初めて思った。

「あ、ありがとう。」――遠慮がちに受け取る。そんな俺にも
「こちらこそ。」――笑顔を返される。

余程手が冷たいのか、先程から彼女は俺が渡した缶コーヒーを持ったままだ。…このままでは間違いなく冷めてしまう。
「あ、その。…冷めないうちに、缶コーヒーは飲んだ方が。」
「あぁ、そうね…。じゃあ、いただきます。」

止めてしまった足を再び動かしながら、俺達は学校へ向かった。
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登場人物紹介

狐塚 諒

主人公。狐塚家長男。弓道部に所属していた高校生。鹿園はクラスメイトで、近頃なぜか二階堂に目をつけられている。

姉をよく手伝っていたが、実際のところ家に伝わっている伝承は全く信じていない。

狐塚 宵夢

狐塚家長女。高校生。委員会の仕事などを精力的にこなしている。

次期当主として厳しく育てられてきた。割と天然な性格でおっとりしている。

家に伝わる伝承を信じており、それどころかちょっぴりロマンチックだと思っている。

狐塚 彰文

宵夢と諒の父。現当主。

狐塚 千鶴

宵夢と諒の母。

鹿園 正巳

諒のクラスメイト。弓道部に所属している。

基本的にいつもテンションが高く、諒にうざがられている。

二階堂 郁馬

宵夢のクラスメイトで、弓道部部長。

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