第1話

文字数 4,999文字

 見渡す限りの赤、赤、赤。
 燃え盛る炎の中、悲鳴と血しぶきが舞い散る。
 目の前で母が、父が、家族が殺された。
「に、逃げて!」
 彼らは、彼女らは悲痛な叫びを私に叫びながら背中を貫かれる。
 私は悲しむ暇もなく、ただそのおぞましい存在から逃げるために走りだしていた。
 穏やかで平和だった村、私の故郷が、紅蓮に染まる。走っても走っても目の前の赤が消えない。
「あ、あぁ、あああああああ!」
 とめどなく目から涙が溢れる。
 ここは地獄だ……
 何で、何でこんなことに。
 私たちが何か悪いことをしたのだろうか。
 ふと、あの残虐な怪物たちの発していた言葉を思い出す。
「気持ちの悪い化け物どもめ! 我らに歯向かうからこんなことになるのだ! あははははは!!
 次々と私の家族や仲間を殺しては不気味に高笑いをしていた存在。
 あれがあんなに恐ろしく醜い生き物だとは思わなかった。
「ふ、復讐してやる……」
 私は走った。足が壊れようともあいつらに殺されるわけにはいかない。
 生き残ってみんなの仇を討つんだ。
 心に誓う。黒くて熱い、体を燃やし尽くすほどの憎悪が沸き上がる。
「絶対に許さない」
 炎に包まれ血みどろになった地帯は抜け出したはずなのに、私の目の前は赤に包まれたままだった。


「ただいま、焔(ほむら)」
 玄関からある男が帰ってきた。背中には空になった大きな籠を背負ったまま。
「おかえりなさい。今日も全部売れたのね」
 私は夕飯の準備を終え、彼の元に駆け寄る。
「あぁ、今日も完売だ! 焔がうちに来てくれてから商売がどんどんうまくいっているよ。君のお蔭だね」
 笑顔で私の頭を優しくなでる彼。
「私のお蔭なんてそんなこと。全部、吉之助(きちのすけ)の力だよ」
 彼は私の恩人だ。森で一人さまよい、力尽きて倒れていたところを見つけ、助けてくれた人だ。そして今も住む場所や食べるものの面倒をみてもらっている。
 彼はあの日に起きた残虐な事件を知らないようだった。それどころか、私の姿もはじめてみたとき驚いたくらいだ。
 そう、私は獣と人の間の存在。獣人である。
 獣の耳があり、鋭敏な嗅覚と聴覚を持つ。
 個体差はあるが、足だって速い。
 そんな私を見て、驚いた彼がとった行動は『逃げる』ではなく『助ける』だった。
 自分と違う見知らぬ生き物を前にしたら誰だってこわい。なのに、彼は助けた。
 それだけで、彼があの日の化け物たちとは違うと私は信じることができた。
 私は彼を尊敬している。こんな優しくあたたかい彼があいつらと同じなわけがない。
「ごはん、出来てるの。一緒に食べましょう」
「お、もう出来ているのか。ちょうどお腹が減っていたから嬉しいよ。いつもありがとうな」
 そんな、お礼を言わなきゃいけないのはいつだって私の方だ。感謝してもしきれない。
 私たちは二人で質素ではあるが美味しい食事を共にした。
 そんな何気ない日常が、楽しくて嬉しくて……
 心の底から幸せだった。


 彼と過ごす中で、次第にあの日の憎しみや悲しみが薄れていった。あんなに心を燃やすほど憎く、辛かったのに。
 家族を、仲間を殺された。残酷に、無慈悲に。
 忘れてはいけない。目を閉じてあの日、目に焼き付けられた悲劇の光景を思い返す。
 許せない。
 でも、あの時ほどの辛さが、苦しみが襲ってこない。
「私は、私はあの日を忘れようとしているのか……」
 そんなの駄目だ。復讐は必ずするのだ。
 あのときの化け物たちを殺す。仇を討つ。
 それが、それこそが私が生き残った意味。
「私は、どうしたらいい……」
 彼との生活は楽しく、平和で幸せだ。
 でも、いつまでもそんな生活を送っているわけにはいかない。
 今が、そのときなのかもしれない。
 私は決意を固める。
 そして、使命を果たす日に備えて準備を始めた。


 私たちの住む山の向こうには栄えた町があると彼から私は聞いていた。その町はよく彼が畑で撮れた野菜や織物を売りに訪れている場所だ。
 昨日は野菜を売りに行ったので、今日は織物を売りに行く日。私は彼に提案をした。
「今日は私が町まで売りに行きたい。行ってもいいかしら」
 織物の入った風呂敷を背負い、出かける準備をしていた彼は、私の言葉を聞いて驚いた表情を浮かべる。
「めずらしいな。焔が、人がいっぱいいる町に行きたいなんて」
「たまにはいつもと違う新しいこともしてみたいと思って。ほら、頭巾をかぶれば耳も隠れるし、獣人だってばれないわ」
 私はこの日のために自分で作った頭巾をかぶり、彼を説得する。
「でも、あの町はあまり獣人をよく思っていない人たちが多いって……」
「大丈夫。ばれないように注意するし、いざとなったら自慢の俊足で逃げるから」
 つとめて明るく、元気に答える私。
 悟られてはならない。これが復讐のための偵察だということを。
「うーん。いいけどさ、僕も一緒についてこうか?」
「いい。吉之助さんは今日くらいゆっくり休んで。私一人でしっかり仕事してくるから」
 私は彼の目をじっと見つめ、真剣にお願いをする。
 しばらく困惑していた様子の彼だったが、私の熱意に負け、折れてくれた。
「……あーもう、わかった。気をつけて行ってくるんだよ。何かあれば商売の途中でもすぐに帰ってくること」
「うん。ありがとう、吉之助さん」


「うわ、本当に人間がたくさんいる」
 たくさんのお店が立ち並び、人でわいわいとにぎわう町。私は初めて見る光景に新鮮さを感じていた。
 ここが吉之助さんの言っていた町……
 行き交う人の表情はみんな明るく、楽しい雰囲気の町だった。でも、どこを見てもいない。
 私と同じ獣人はどこにも。
 彼の言っている通りなのかもしれない。ここの人たちは獣人を嫌っている。じゃあ元々ここに住んでいたかもしれない獣人はどこへ行ったのか。
 嫌な考えしか浮かばない。
 私は頭を振り、気持ちをリセットする。
 今はここの偵察に専念しなければ……
 私は持ち込んだ織物を売りつつ、あの日の情報をそれとなく集めていった。
「昔、この近くには獣人が住んでたことがあるって聞いたんですけど」
「あぁ、確かにいたな。でも安心しな。この国の偉いお方が獣人たちをみな退治してくれたんだよ」
「すごかったよな。感覚が鋭く、足の速い獣人たちを次々と討ち取るあの勇ましいお姿。あの方のお蔭で私たちは安心して生活ができているんだから」
「獣人は人を食うと恐れられてたしな。そんな化け物がいなくなってくれてせいせいしているよ」
 やつらから情報を仕入れる度、腹の底から再び憎しみが沸き上がってきた。表には出さないよう、必死に笑顔を浮かべ、耐え忍んでいたが。
 みんなその話をすると、過去の話だと笑って答えた。私が話すまでそんなこと忘れていたと答えたものもいた。そういえばそんなこともあったなと。
「そう、でしたね。お話が聞けて嬉しいです」
 笑顔。笑顔。笑顔。
 張り付くような笑顔で、私は織物を売り、話聞く。
 そして確信した。
 あの日、私の故郷を地獄にしたのはここの人間なのだと。
 獣人が人を食べる? ふざけるな。
 お前らみたいな化け物を私たちが食べるなんてあるわけがないだろう。無実の私たちを無残に殺し、あげくそれを平和のためだなんて。
 過去の話? ふざけるな。
 あの地獄の光景が今でも目に浮かぶ。
 家族や仲間が次々に殺され、炎に包まれる様を。悲鳴を。赤に染まる景色を。
 忘れたなんて言わせない。
 お前らにも絶対、同じ景色を見させてやる。


 彼が眠りにつくのを確認した私は復讐の準備を終えて静かに外に出る。
 外は満月が夜空を照らし、とても綺麗だった。
 心は意外と落ち着いていた。これから復讐をしにあの町に行くというのに。
「焔」
 不意に背後から声をかけられ、とっさにその声の主から距離を取る。
「……吉、之助さん?」
 そこに立っていたのはまぎれもなく彼だった。
「復讐しに行くのか」
 何故、彼がそのことを……
「どうしてって顔だな。ごめん。僕は君のこと、そして例の残酷な事件のことを知っているんだ」
 知っていた。彼があの日のことを。
「私のことを止めるの? 無駄だよ。私は復讐を果たす」
「止めないよ。でも、それが君の本当に望むことならだけど」
 本当に望むこと? 何を言っているの。
「それが私の使命。運命なの」
 はっきりと彼に伝える。今更、私の意思が揺らぐとでも思っているのだろうか。
「僕は人殺しだ」
 真っすぐに私を見つめ、真剣な様子で告白する。
「吉之助さん、そんな嘘は」
「嘘じゃない。僕は家族を殺され、復讐のために人殺しをした。真実だ」
 彼が、人殺し……?
「殺した瞬間は妙な高揚感と達成感があった。あぁ、これで家族も報われるって。僕も苦しみからやっと解放されるって」
 彼は話をしながら、じわじわと私に向かって歩いてくる。
「でも、僕は解放されなかった。それどころか殺した相手の家族から恨まれ、殺されかけたこともあった。毎日気が休まらなかったよ。復讐は僕に何も与えてはくれなかった」
「そんな、そんなはず!」
「そして気づいた。僕の望んでたことは復讐じゃない。解放だった。自分だけ生き残ってしまったことへの罪悪感から解放されたかった。自分のことばかり考えてた」
 ひどく哀しく苦しげな様子で語り続ける。
「僕は再び救いを求めた。この悪夢から抜け出したかった。そんなとき、君を見つけた。すぐにピンと来たよ。噂の獣人狩りの生き残りだなって」
 困ったように笑う彼の表情から目が離せない。
「僕と同じだって思った。だから助けた。僕自身を救うために」
 衝撃的だった。私の中で彼のイメージが音を立てて崩れていく。
「僕は君を利用した。君を助けることで、君に僕を重ねることで救われようと思った。だから優しくした」
「や、やめて!」
 手で耳をふさぐ。もう、これ以上聞きたくない。
「やめない。聞け」
 私の手を掴み、耳から下ろす彼。
「こうなりたいなら好きにすればいい。復讐でも何でも。でもおすすめはしない」
「今までのは全部、自分のためだったというの。私に言ってくれた言葉も偽り?」
「いや、本心だよ。でも君のためではないね」
 心が壊れる音がした。今までずっと信じていた。
 彼だけは、彼だけは化け物なんかじゃないって。
「あなただけは許さない」
 私は彼の喉元に掴みかかった。その反動で彼は体を地面に叩きつけられ、苦悶の表情を浮かべる。
 彼に馬乗りになった私は、徐々に手に力を込めた。
「信じていたのに。あなたも所詮はあいつらと同じ人間なのね!」
「そう、だ。醜いだろ、人間ってやつは」
 か細い声で答える彼。その顏には笑顔を浮かべ、涙を流していた。
 とっさに我に返り、私は手を離す。
「わ、私……」
「どうしてやめたんだ。僕がかわいそうになった?」
 そうじゃない。私は彼の表情から感じてしまったのだ。
 今までの優しい彼の一面を。
 涙が止まらない。私はこんな人間一人も殺せないほどに弱いのだろうか。
「ふ、復讐なんてしたくない」
 気づけば私はそんなことを口にしていた。
「私のためにあなたを犠牲にしたくない!」
 心の奥底から出た言葉だった。
「あなたを許せないことに変わりはない。だってあなたは酷い嘘をついた。だってこんなの自分のためなわけがない。自分のために私に殺されようなんてあり得ない」
 私は彼の真意に気づいた。
「私を過去の悪夢から救おうとしてくれたんだよね。自分の命を使って」
 彼は身を起こし、私に優しくほほえんだ。
「君が救われるなら、僕の命なんて安いだろ」
 なんて悲しく強い想いなのだろう。
 私は彼を強く抱きしめた。
「大馬鹿者です! 吉之助さんは。そんなことに命使おうとするなんて」
「あーあ、うまくいくと思ってたんだけどな。きっと僕が君を好きになりすぎたのがいけなかったんだろうな」
 そう言うと彼も私を優しく抱きしめ返してくれた。
 焔が燃える。許しはない。
 でもここには確かに幸福があった。
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