第2話 梨の花

文字数 765文字

 数日後、父と一緒に勇駿は真綾の船室を訪れた。赤子への目通りと、祝いを述べるためである。
 出産という大仕事を終え、寝台に横になっていた真綾は二人に柔らかく微笑みかけた。
「よく来てくれましたね、勇仁。勇駿も」
「この度は姫君ご誕生、誠におめでとうございます」
 胸の前で両手を組み、うやうやしく礼をする父に、あわてて勇駿も同じ仕草をする。
 勇仁が赤子を姫と呼ぶのは、単に自分たちの長の孫という理由だけではない。
 真綾の夫は羅紗の国王だ。彼女は正妃ではないが、王の妻である。
 だから真綾の産んだ子は正真正銘、羅紗国の王女なのだ。
 国王は正妃にと乞うたが、真綾はどうしても海から離れて暮らせなかった。海の民である彼女は、王妃となって宮廷で生きることができなかったのである。
「姫君のお名前はもう決まりましたかな」
 真綾はええ、とゆったりうなずいた。
「今はちょうど春。羅紗の大地に梨の花が咲き誇る季節。ですから、この子の名は阿梨(あり)、と……」
「よいお名ですな。名前のごとく美しき姫さまに成長されるでありましょう」
 勇仁は息子に向かって、
「そなたも見てみるといい。お可愛らしい姫さまだぞ」
 父に背を押され、勇駿は寝台に近づき、おそるおそる覗きこむ。
 母の隣ですやすやと眠っている赤子。その姿は何とも小さく、頼りなくて……。
 真綾はわが子を愛しげに見つめ、次いで勇駿に視線を移すと、
「どうか、この子を守ってあげてくださいね」
 深い願いのこもった言葉と慈愛に満ちたまなざしが琴線にふれ、勇駿の中で揺り動かされるものがあった。
 今まで持っていたひそかな不満など吹き飛び、勇駿は固く決意した。
 一緒に冒険などできなくてもいい。
 目の前の小さな儚げな姫を、自分が守り抜こうと。

 が、現実は彼の想いとは全く違う方向へと動いていくのを、少年はまだ知る(よし)もなかった。




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登場人物紹介

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の美しき長。勇敢で聡明な娘だが、恋愛にはかなり疎い。

世間では「型破り王女」と言われている。

勇駿(ゆうしゅん)


阿梨の護衛で幼なじみ。彼女が王女という身分差もあって想いを口に出せずにいる。

勇仁(ゆうじん)


勇駿の父で阿梨の教育係。姫さま大事の忠義者。頑固。

セルト


阿梨たちが訪れたマルバ王国の第3王子。阿梨を気に入って求婚するが、その真意は……。

白瑛(はくえい)


阿梨の異母弟。羅紗国の王太子。母は違うし、年も離れているが、仲のよい姉弟。

真綾(まあや)


阿梨の母。美しくたおやかだが芯の強い女性。王妃の地位より海の民であることを選んだ。

ルキア


マルバ王宮女官長。セルトに頼まれ、阿梨を最高に美しい貴婦人にすべく使命感に燃える。

マルバ国王


水軍の大切な取引相手。大らかで人柄のよい王さま。

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