月姫様と餅つきうさぎ

文字数 5,056文字

「もう知らないわ! 何で私ばっかりこんな扱いされなきゃいけないの!」

 隣の宮殿から絶叫じみた女性の声が聞こえた。少し前までなら小さな体がバチンと跳ねていただろうけれど、今は「またか」くらいにしか思わない。

「お待ちください姫様!」

 次いで従者と思しき野太い声。ちょっと嗄れていたから大臣かな? とかく呼ばれ続ける女性は返事なんかしない。暫くしたらボクの家の廊下をばたばたと叩く音がし始めて、居間に近づいてくる。大きな耳を持つボクには、心臓を打つ鼓動のように鮮明に聞き取れた。

 襖が火を吹いて開く。見えたのは漆色の髪を、汗で頬に貼り付けた少女……ではなく、最近成人を迎えた女性だ。笑えば美人であるはずなのに、今は酷い剣幕を作っていて勿体ない。ヒラヒラな十二単を身に纏い、頭のティアラは銀色に輝く。彼女は身分相応な口調でボクに命令した。

「うさぎさん! 匿って!」

 神楽鈴がしゃん、と鳴ったように元気な声。ボクは横たえていた白い体を、丸い尻尾を気にしながら起こした。

「またですか?」

「四の五の言わない! 私はお姫様よ!」

 お姫様なら公務を果たしなさい、なんて真っ当なことは言えない。お転婆な彼女はこの星の王の一人娘、月姫様(つきひめさま)なのだ。

「月姫様。ここはあなた方に捧げる餅を作る場所です。隠れんぼのためにあるのではありませんよ」

「ええ知っているわ! 餅つきうさぎが月に一度しか餅をつかないこともね」

 ボクの仕事は宮殿の食事を作ること。一手に引き受けているから大変そうに見えるけど、ボクにかかれば朝飯前。だから休日の方がずっと多い。宮殿に住む月姫様は、そんなボクを利用して公務から逃げているのである。

「ここは私の秘密の隠れ家なのよ」

「この場所もそろそろ探されてしまいますよ。大人しく公務に戻られた方がお父上のためにもなるのでは?」

「嫌よ! 成人した途端に公務やお見合い。私が自由に星を見る時間はどこへ行ったの?」

「星の彼方に」

(なめ)すわよ」

 うまいこと言えてなかったかなぁ、と内省する。不機嫌なお姫様の前で白い毛をぶるると震わせてみた。彼女は座り込んで膨れっ面を作った。

「それに、お父様も最近はまったく構ってくれないのよ。いくら大人の歳だからって、あんまりだわ」

 しゅん、と気落ちしてしまった娘がちょっと不憫になる。王族は下の者たちに示しを見せるためにしきたりに厳しい。まだ甘えたい盛りの月姫様には酷な文化だ。同情するように赤い目を向けると、そこにはけろっとした表情で嘆くお姫様が居た。

「あぁ、どこかに無いのかしら! 俗世的な生活で、星を眺める時間があって、一日中愛でられるだけのお仕事!」

 まったく心配を返して欲しい。容姿端麗なことを自覚している月姫様は自らの価値をわかっている。我儘な彼女をどう窘めたものかと悩んだ。

「そんな場所、どこを探しても……」

 そこで言葉を止めてしまったことで、ボクは失敗を悟った。月姫様はこの星みたいに爛々と大きい瞳を光らせた。

「あるのね!? 俗世的で星を眺めることができて一日中愛でられるだけのお仕事が!」

「そ、そんなのある訳ないじゃないですかぁ。まったく、いつまでも夢を見るのはやめませんか?」

「時折思っていたけれど、あなたって本当に失礼な時があるわよね」

 はて、ととぼける仕草を作ってみたけれど、それがいけなかった。ずかずかと着物を引き摺り、真珠色の手が真っ白な耳をむんずと摘んだ。

「どこなの教えなさい!」

「わぁ! 耳を引っ張らないでください、教えますから!」

 思っていたよりも強い力で小さな体が浮かび上がる。彼女がもう子どもではないことを失念していた。ボクは床に降ろされると、月姫様を縁側に呼んだ。

 真っ黒な空に星屑が浮かぶ景色。真ん中にはこの星でも珍しい樹が伸び、土塊ばかりの地面に緑の色彩を与える。鮮明にそびえる大樹と、その輪郭をはっきりと浮かび上がらせる星々の光。ボクの自慢の庭園だ。

 その星の中の一つ、青と緑でできた丸い天体を示す。

「あの一際大きな惑星が見えますか?」

「いつも見えているあれのこと? もちろん見えるわよ」

「あれは我々の星と密接な関係にある惑星なのです。文明もかなり発展しています」

「全然知らなかったわ! と言うか、なぜうさぎさんはそんなことを知ってるの?」

「ボクが仕事のある日だけ、大きくなれるのはご存知ですよね」

「それで大きな杵と臼を使えるようになるのよね」

 餅つきうさぎは青い惑星の向こうに存在する『日の星』の影響を受けない時に力が増す。もしその時にあの青い惑星からボクらの星を見たなら、くっきり丸い形に映ることだろう。その日が訪れるのは凡そ三十日に一度。つまりボクの仕事日である。

「大きくなるとよく見えるのですよ。あの惑星の様子が」

 興味津々な月姫様はうんうんと激しく相槌を打ってくれる。ボクは年甲斐もなく饒舌になってしまった。

「中でも、とある島国は珍妙で。家父長制が強い代わりに、高貴な女性はそれは愛でられます。公務もありますが、日取りが長いので夜に星を眺める時間くらいはあるでしょうね」

「最高じゃない!」

「でもそれなりに苦労はあるみたいですよ。芸事に化粧。色々と月姫様には向かないこともありそう……」

「そんなのやってみなくちゃわからないじゃない! 私、行きたいわ! どうやったら行けるの?」

「力が増すお仕事の日なら、ボクの力で送ってあげられますが……」

「が?」

「大きさに限界がありまして。月姫様には手の平くらいまで小さくなって頂く必要がありますね」

「えぇ!? そもそも無理ってこと?」

「可能ですよ。ボクの力を込めた餅はおいしいだけじゃないんです」

「前々から思っていたけれど、うさぎさんは何者なの? 大きくなったり、小さくしたり」

「ただのお隣さんですよ」

 大人げなく胸を張り反らしはしない。心の中だけで「ちょっとすごいうさぎ」と付け足しておこう。あと「毛並みがふさふさ」も。

「行く方法があるならぜひ行きたいわ!」

「宮殿の方々は許してくれないと思いますよ」

「そこはうまく誤魔化すわ」

「誤魔化せますかねぇ?」

「お父様から聞いたことがあるわ。嘘をつく時は恥を捨てよ、って言葉があるのでしょう? 実践する時がきたと言えるわね」

「よくもそんなテキトーが言えますね」

 王様も自分の娘にろくなことを教えやしない。だから我儘を通そうとする性格に育ってしまったのだ。

「うさぎさんの今度のお仕事はいつ?」

「十日後でしょうか」

「その日にここへくるわ! 私が小さくなれる準備をしておいて頂戴!」

「しておきますけど……それは難しくなってしまったかもしれません」

「え?」

 ボクはさっきから聞こえていたドタドタという足音の方に向いた。話に夢中だった月姫様は探しに来た従者たちに気づいておらず、振り向いてこの星に居ない生物を見つけたかのように驚いた。

「姫様、見つけましたぞ!」

「私の秘密の隠れ家が!?

「ボクの家ですよ」

 月姫様は嫌々と叫び声を上げながら従者たちに連行される。やまびこが消えるみたいに遠ざかった後で、老熟の大臣がボクに一礼した。

「お騒がせ致しました。姫様には注意しておきますので」

「鞣されなければ良いよ」

 大臣はそそくさと宮殿に戻って行く。さて、月姫様はあんなことを言っていたが、果たしてもう一度訪れることは叶うだろうか。当日までに小さくなる餅は用意しておくことにして、ボクは居間に戻った。


 そんなごたごたから十日後。落ち着きを見せていた宮殿が再び騒々しくなった。跳ねるように元気な足音が縁側で寛いでいたボクの耳に届く。襖ががらりと開いて見えたのは、今日も公務用の十二単を着た月姫様だ。

「うさぎさん! 約束通り来たわよ!」

「約束を守るのは良い心がけですが、いつにも増して宮中が騒がしくありませんか?」

「時間が無いの! 皆には『蓬莱の玉の枝に花が咲いているのを見つけた』って嘘を言って来たんだけど、もうバレちゃって!」

「当たり前じゃないですか。もっとマシな嘘をつきましょうよ」

 あれが咲くのは三千年に一度くらいだ。前に見たのは一体いつだったか。自らのついた嘘の壮大さを理解していない月姫様は「四の五の言わない!」と聞く耳を持たなかった。

「さぁ、私を送りなさい! 約束を守らないうさぎなんて鞣してしまうわよ!」

「その粗暴の悪さを旅先でしないと誓うなら良いですよ」

「誓う誓う! すっごく誓う!」

 なんて信用ならないお姫様だろうか。だけど約束をしたからには仕方ない。ボクは用意していた特製の餅を皿に盛って出した。

「ではまずこの餅をお食べ下さい」

「いただきます!」

 餅は食い気味に皿から消えて月姫様の胃の中へ。すると何と言うことか、月姫様の体がぐんぐん縮んでいく。十二単から溢れていた黒髪は布の中に落ちていき、ぷはっと顔を出した月姫様はボクの半分より小さくなっていた。

「本当に縮んだわ! これであの星へ行けるのね!」

 期待の眼差ししか向けられない。ボクは楽観的なお姫様のために少し意地悪を言った。

「良いのですか? あの惑星は安全とは言えません。殺しは日常茶飯事。裕福層と貧困層の確執も大きい。身勝手な動物が、同じ種族に対してむごいことを平気な顔でするような場所ですよ。それでも本当に行きますか?」

 あの惑星の暮らしは宮中よりも大変になるだろう。女性の立場は弱く、このまま月で暮らし続けた方が絶対に幸せになれる。

「それはあなたの思い込みかもしれないわ。実際に行っていないのだから、汚い部分が目立つのは当然よ」

 しかし年長者の言い付けなんて聞く気はないと言わんばかり。根拠の無い自信を掲げる彼女は、それに、と付け加える形で続けた。

「その国には大勢の住人が居るのよね? 中から見える景色は、きっともう少し透き通っているはずよ」

 最後まで夢物語を語るお姫様だ。常識に欠けるのか、あるいは本当に何も考え無しなのか。だけど上に立つ者の思想としては悪くないのかもしれない。

「そこまで言うのなら止めません。行ってらっしゃいませ。月姫様」

「うさぎさん、ありがとう! 帰って来たら、一番に旅の話を聞かせてあげる!」

「楽しみにしておりますよ」

 そうしてボクは月姫様を光に乗せて旅立たせてやった。宮殿を無駄に駆け回る従者たちの声が星中に虚しく響き渡る。

向こう数日の慌ただしさを予感していると、ボクの庭園からひょっこり顔を出した男性が居た。

「行ってしまったか」

「国王様。お久しゅうございます」

「私だけですから、取り繕わなくて結構ですよ」

「そう? じゃあ遠慮なく。この演技、とっても疲れるんだよね」

 髭を撫でて言った彼に甘えて背筋を丸める。餅つきうさぎは月ともに生まれた存在で、一番の古株だ。しかし文明を発展させていく彼らと手を取り合う方が良いと思い、ボクはこの星の主導権を譲って彼らの隣人となった。当代の王はボクに深々と頭を下げて言う。

「お目付け役、本当にありがとうございました」

「良かったの? 娘のこと、あんなに可愛がっていたのに」

 生まれた時はうさぎのボクもかくやというくらい飛び跳ね喜んでいたのに、今ではすっかり落ち着いた父親だ。王様としての風格も出てきた。

「だからこそ送り出したのですよ。『嘘をつく時は恥を捨てよ』。あなたが教えてくれたことではありませんか」

「それ、ボクの法螺話だよ」

 恥だと思っている内は嘘をついてもバレるだけ。昔、王になることに自信が無かった彼を励まそうと思いついたテキトーな助言だった。そう言えば月姫様もしっかり覚えていたっけ。旅先で披露しなければ良いのだけれど。

「暫くしたら迎えを寄越したいと思います。なに、心配要りませんよ。私の娘ですから」

 果たしてそれは根拠なのだろうか。まぁボクもあの娘は嫌いじゃない。お目付け役から解任され、また長い休暇の始まりだ。気ままに月姫様の様子を見守ることにしてあげよう。

「……あ」

 庭園にある大樹の枝――蓬莱の玉の枝に花が咲いていた。ボクの視線に王も気づく。

「おお。なんと珍しい。これもいつかにあなたがしてくれた嘘話でしたが、不死の薬を作ることができるのでしたな」

「それは本当なんだけどね」

「え?」

 きょとんとした顔の王を横目に、青く澄んだ惑星を見遣った。今日はきっと、この星がまん丸に見えるはずだ。

「良い経験になることを願っているよ」

 やがて月姫様は、あの惑星で「かぐや姫」という素敵な名前を貰い、もう一悶着あるのだけれど――それはまた別のお話。
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