第1話
文字数 3,050文字
表通りの方で、何か若者が騒いでいると、隣に住むばあさんがうるさいので出て行ってみると、なるほど、数人の若いのが何やらげらげら笑いながらはやし立てていた。
蟻 、という言葉が耳へ届き、ガレは少し暗い気持ちになりながら、彼らに歩み寄った。
若者はどうやら砦に所属している兵士のようで、皆一様に腰に長剣を吊っているのが見えた。柄 に飾りがないところを見ると、まだ下っ端の方であるらしい。
そして、彼らの足元にはみすぼらしい少年が転がっていた。彼らはその少年を「蟻」と嘲りながら、蹴り飛ばしているのである。
「何を騒いでいる」
兵士たちはガレの方をふり返ったが、煙草を吹かしながら、やる気もなさそうに立っている中年男をみとめると、にやにやといけ好かない笑みを浮かべて少年をつま先で小突いた。少年がくぐもったうめき声を上げた。服は土にまみれ、意識もはっきりしないようだった。
「おい、これでも俺はこの辺りの警備長なんだ。返事ぐらいしてもらえんかね」
ガレが面倒くさそうに言うと、警備長という言葉に反応したのか、そこでようやく彼らは少年をいたぶる手を止めた。
警備長というのは、各地に配置されている民間の警備団の長 である。警備団とは、その名の通り町の警備や、犯罪者の逮捕や処分などを行っている。
「いや、蟻がぴいぴいわめくもんで、ちょっと躾けてやっていたんだよ」
長身の男が言った。
「そのへんにしておけ。いくら兵士でも、そんなガキをよってたかって蹴り殺したんじゃ、お咎めなしってわけにもいかねえぞ」
「え、でも、こいつ、蟻だぜ?」
「蟻でもだ」
ガレは深々とため息をついた。
蟻とは、テサの者がハルカの民のことを蔑んで呼ぶ言葉だった。
テサは二百年ほど前に南の大陸 から渡り来た人々の国であり、長く繰り返された戦の末に、この地に建国された。それまでここは長くハルカと呼ばれており、テサは戦の末にこの土地を勝ち取ったのだった。
その戦の折に、テサに下った者や捕虜の他に、国外へ逃げることのできなかった人々の子孫が、まだ数多くテサには暮らしている。
その多くは居留地に追いやられていたが、混血も進み、特に居留地の外では、見た目ではハルカの民と区別が難しくなっている。
だが、今目の前に転がっている少年は、テサの民には見られない黒い色の髪をしていた。彼がハルカの民であることは確かだった。
その黒い髪色や、厳しい労働にかり出されて、日々真っ黒に日焼けして働く様子から、彼らを「蟻」と呼ぶのである。
「こいつ、何かしたのか?」
ガレが問うと、若者らは肩をすくめた。
「書庫はどこだって聞くから、そんな物はもうとっくの昔に灰になっちまったよって教えてやったら、何かわめきながらつかみかかってきたんだよ」
書庫とは、五年ほど前に偶然見つかった、洞穴のことだろうと思われた。
それはずいぶんと古い時代の物だったようで、中にはハルカの言葉で書かれた竹簡 の書物が詰め込まれていたらしい。竹簡とは、細く割った竹を紐で綴った物で、紙がまだ一般的でなかった頃は、ほとんどの書物が、この竹簡に記されていたのだった。
洞穴で見つかった竹簡は、ハルカの古い書体で書かれており、解読できる者がいなかったのだが、戦禍から守るために、穴の奥深くに隠されていた物だろうという話だった。
ハルカの何か重要な書物には違いなかったが、二年ほど前に、王都からやってきた兵士どもが、火をかけてことごとく焼き払っていた。
苦々しい思いをかみ殺しながら、ガレは少年のそばにしゃがみ込んだ。
「もう気がすんだろう。かわいそうに、虫の息じゃねえか」
「警備長の旦那はこいつの肩を持つのか?」
ガレは少年のそばに落ちていた、ほんの小さな石を拾い上げる。それは自然にはない形をしており、真ん中の所で真っ直ぐに割れていた。
ガレがそれを拾い上げたのを見ると、若者らは少し気まずそうに目配せしあった。
「こういう物を使うのはあまり関心しないな」
「だって、しらをきるから」
「本当に、このガキの方からつかみかかってきたのか?」
「お、俺たちが嘘をついているって言うのか?」
やれやれと息をついて、ガレは腰を上げた。
「上には適当に言っておいてやるから、お前らはもう砦に戻れ」
それを聞くと、兵士たちは不安げな顔をしつつも、ガレに頭を下げて立ち去った。
ガレは暗い気持ちになりながら、足元でうつぶせに横たわっている少年に目を落とす。彼は意識を失っているようで、うめくこともなく、ぴくりとも動かなかったが、彼の呼吸に合わせて、緩やかに背中が上下している。
「ここに捨てておくわけにもいかねえしなあ」
面倒くさそうに独りごちて、ガレは少年を抱え上げた。
家に戻ると、ガレは少年を寝床に横たえてやり、土にまみれた服を適当な自分の服に着替えさせ、汚れを拭ってやる。
顔は酷く腫れているものの、幸い骨が折れた様子はなく、全身に広がる打ち身や擦り傷が治れば、痛みや不自由が後を引くようなことはなさそうだった。
ほっと息をついて、ガレは熱を持った額に、濡れた手ぬぐいを乗せてやった。
彼はテサの服を身にまとっており、髪が黒い事以外はテサの民にしか見えなかった。おそらく彼は、髪の色をテサの民のような明るい色に、染め変えていたに違いなかった。
テサの民と、ハルカの民の大きな違いは髪の色であり、顔立ちも、かつては多少の違いがあったというが、混血の進んだ今では顔立ちで見分けるのは難しい。そのため、ハルカの血を受け継ぐ者の多くは、髪を魔法で染め変え、名前もテサ風のものに改めて、ひっそりとテサに混じって生きているのだった。
先ほど少年の脇に落ちていた石は、おそらく古代魔法石 の破片に違いなかった。古代魔法石 には古代魔法が封じ込めてあり、割るとそれが解放されるようになっているのである。
魔法使いにものを頼めば簡単ではあるが、一財産失う羽目になる。そこで人々は昔から古代魔法を利用してきたのだが、古代魔法にはとても面倒な手順が必要になるため、石に古代魔法を込めておき、必要な時に割って魔法を呼び出すということを考えついたのである。
この古代魔法石 は、市場へ行けば大抵の者が手に入れられるような値段で取引されており、普通は濁った水を飲み水に変えたり、火を点けたり消したりというような事に使われるのがほとんどである。
しかし最近は、テサの民の間でハルカの民を暴き立てるために、髪の色を元に戻すようなものを石に込めて売る、ということが流行り始めているのだった。
そういう物は一応禁止されていたが、わりと堂々と市場に並んでおり、それほど厳しく取り締まられてはいない。
昔からハルカの民を蔑む風潮はあったが、この国テサの建国にたずさわった《六人の魔法使い》の一人であるオセルがハルカの民であり、一時は居留地すらなくなった時期もあったというが、やはり今でも根強く残っている。
五つある魔法使いの家筋の当主は領主でもあり、そのひとつオセル家の領地であるアナシでは、比較的平等に生活しているという話も聞くが、大抵の場所では、ハルカの民だとわかれば区別された。
とはいえ、昔ながらのハルカの生活をしているのは、もう居留地の中に住む者ぐらいであり、ハルカの言葉を話す者も、もうほとんどいない。ただ髪の色が黒いこと以外に違いは見いだせないのだが、それでも居留地の外でハルカの者と知れれば、まともな職に就くことはできず、「蟻」と罵られることも多いのだった。
若者はどうやら砦に所属している兵士のようで、皆一様に腰に長剣を吊っているのが見えた。
そして、彼らの足元にはみすぼらしい少年が転がっていた。彼らはその少年を「蟻」と嘲りながら、蹴り飛ばしているのである。
「何を騒いでいる」
兵士たちはガレの方をふり返ったが、煙草を吹かしながら、やる気もなさそうに立っている中年男をみとめると、にやにやといけ好かない笑みを浮かべて少年をつま先で小突いた。少年がくぐもったうめき声を上げた。服は土にまみれ、意識もはっきりしないようだった。
「おい、これでも俺はこの辺りの警備長なんだ。返事ぐらいしてもらえんかね」
ガレが面倒くさそうに言うと、警備長という言葉に反応したのか、そこでようやく彼らは少年をいたぶる手を止めた。
警備長というのは、各地に配置されている民間の警備団の
「いや、蟻がぴいぴいわめくもんで、ちょっと躾けてやっていたんだよ」
長身の男が言った。
「そのへんにしておけ。いくら兵士でも、そんなガキをよってたかって蹴り殺したんじゃ、お咎めなしってわけにもいかねえぞ」
「え、でも、こいつ、蟻だぜ?」
「蟻でもだ」
ガレは深々とため息をついた。
蟻とは、テサの者がハルカの民のことを蔑んで呼ぶ言葉だった。
テサは二百年ほど前に
その戦の折に、テサに下った者や捕虜の他に、国外へ逃げることのできなかった人々の子孫が、まだ数多くテサには暮らしている。
その多くは居留地に追いやられていたが、混血も進み、特に居留地の外では、見た目ではハルカの民と区別が難しくなっている。
だが、今目の前に転がっている少年は、テサの民には見られない黒い色の髪をしていた。彼がハルカの民であることは確かだった。
その黒い髪色や、厳しい労働にかり出されて、日々真っ黒に日焼けして働く様子から、彼らを「蟻」と呼ぶのである。
「こいつ、何かしたのか?」
ガレが問うと、若者らは肩をすくめた。
「書庫はどこだって聞くから、そんな物はもうとっくの昔に灰になっちまったよって教えてやったら、何かわめきながらつかみかかってきたんだよ」
書庫とは、五年ほど前に偶然見つかった、洞穴のことだろうと思われた。
それはずいぶんと古い時代の物だったようで、中にはハルカの言葉で書かれた
洞穴で見つかった竹簡は、ハルカの古い書体で書かれており、解読できる者がいなかったのだが、戦禍から守るために、穴の奥深くに隠されていた物だろうという話だった。
ハルカの何か重要な書物には違いなかったが、二年ほど前に、王都からやってきた兵士どもが、火をかけてことごとく焼き払っていた。
苦々しい思いをかみ殺しながら、ガレは少年のそばにしゃがみ込んだ。
「もう気がすんだろう。かわいそうに、虫の息じゃねえか」
「警備長の旦那はこいつの肩を持つのか?」
ガレは少年のそばに落ちていた、ほんの小さな石を拾い上げる。それは自然にはない形をしており、真ん中の所で真っ直ぐに割れていた。
ガレがそれを拾い上げたのを見ると、若者らは少し気まずそうに目配せしあった。
「こういう物を使うのはあまり関心しないな」
「だって、しらをきるから」
「本当に、このガキの方からつかみかかってきたのか?」
「お、俺たちが嘘をついているって言うのか?」
やれやれと息をついて、ガレは腰を上げた。
「上には適当に言っておいてやるから、お前らはもう砦に戻れ」
それを聞くと、兵士たちは不安げな顔をしつつも、ガレに頭を下げて立ち去った。
ガレは暗い気持ちになりながら、足元でうつぶせに横たわっている少年に目を落とす。彼は意識を失っているようで、うめくこともなく、ぴくりとも動かなかったが、彼の呼吸に合わせて、緩やかに背中が上下している。
「ここに捨てておくわけにもいかねえしなあ」
面倒くさそうに独りごちて、ガレは少年を抱え上げた。
家に戻ると、ガレは少年を寝床に横たえてやり、土にまみれた服を適当な自分の服に着替えさせ、汚れを拭ってやる。
顔は酷く腫れているものの、幸い骨が折れた様子はなく、全身に広がる打ち身や擦り傷が治れば、痛みや不自由が後を引くようなことはなさそうだった。
ほっと息をついて、ガレは熱を持った額に、濡れた手ぬぐいを乗せてやった。
彼はテサの服を身にまとっており、髪が黒い事以外はテサの民にしか見えなかった。おそらく彼は、髪の色をテサの民のような明るい色に、染め変えていたに違いなかった。
テサの民と、ハルカの民の大きな違いは髪の色であり、顔立ちも、かつては多少の違いがあったというが、混血の進んだ今では顔立ちで見分けるのは難しい。そのため、ハルカの血を受け継ぐ者の多くは、髪を魔法で染め変え、名前もテサ風のものに改めて、ひっそりとテサに混じって生きているのだった。
先ほど少年の脇に落ちていた石は、おそらく
魔法使いにものを頼めば簡単ではあるが、一財産失う羽目になる。そこで人々は昔から古代魔法を利用してきたのだが、古代魔法にはとても面倒な手順が必要になるため、石に古代魔法を込めておき、必要な時に割って魔法を呼び出すということを考えついたのである。
この
しかし最近は、テサの民の間でハルカの民を暴き立てるために、髪の色を元に戻すようなものを石に込めて売る、ということが流行り始めているのだった。
そういう物は一応禁止されていたが、わりと堂々と市場に並んでおり、それほど厳しく取り締まられてはいない。
昔からハルカの民を蔑む風潮はあったが、この国テサの建国にたずさわった《六人の魔法使い》の一人であるオセルがハルカの民であり、一時は居留地すらなくなった時期もあったというが、やはり今でも根強く残っている。
五つある魔法使いの家筋の当主は領主でもあり、そのひとつオセル家の領地であるアナシでは、比較的平等に生活しているという話も聞くが、大抵の場所では、ハルカの民だとわかれば区別された。
とはいえ、昔ながらのハルカの生活をしているのは、もう居留地の中に住む者ぐらいであり、ハルカの言葉を話す者も、もうほとんどいない。ただ髪の色が黒いこと以外に違いは見いだせないのだが、それでも居留地の外でハルカの者と知れれば、まともな職に就くことはできず、「蟻」と罵られることも多いのだった。