2024年5月30日 ライブ当日

文字数 1,997文字

 どうか間に合ってくれ……。
 改札口を出た僕は、スーツ姿のまま夜の繁華街を駆け抜けた。
 今日のライブには絶対遅れるわけにはいかない。絶対……絶対に。
 僕の念力が通じたのか、何とか開演時間に間に合った。
 階段を駆け降りると、すでに会場は、フェアリーガールズ、略して妖女(ようじょ)のファンで埋め尽くされていた。
 人混みを掻き分けながら前へ進むと、前列中央に立つ、スキンヘッドの大男が見えた。独特な風貌からか、その周囲はぽっかりと空いている。
 あそこしかない。僕はスキンヘッドを目印に進む。ようやく辿り着いた時、「おい」と頭上から声がした。
「ここはお前に譲れるような場所じゃない。他を当たれ」
 声の主はあの大男だ。その頭から判断がしにくいが、四十は過ぎている気がする。
「待ってください。僕は妖女の初ライブから参戦している古参です」
 必死に弁明する僕を見て、男の目がカッと見開いた。
「いくら古参でも開演ギリギリに来るなど、言語道断! そんな奴にここは譲れん」
 男の不動ともいえる信念を感じるも、ここで折れるわけにはいかない。
「僕にとって妖女は……特に心音(ここね)ちゃんは、僕の生き甲斐なんです。今日だって残業を抜け出して駆けつけました。僕の愛は本物です!!」
 しばし沈黙の後、男は口を開いた。
「……では、質問に答えてもらおう。もちろんフェアリーガールズに関することだ。全て答えられたらどいてやる」
「……わかりました」
 男の眼光が鋭く光る。
「第1問。フェアリーガールズの結成日は?」
「2022年5月11日です」
 僕は即答した。
「正解だ。第2問、ファーストシングルのカップリング曲は?」
「『常夏⭐︎ペンギン娘』です」
「正解。最後の質問だ」
 僕は息を呑む。
「今日はフェアリーガールズにとって特別な日だ。なぜだ?」
「今年初の単独ライブです」
 男は黙ったままだ。
「それに今日は、リーダーの心音ちゃんから重大発表があります」
 これはファンクラブ会員だけが知る非公開情報である。僕は男の目をまっすぐ見た。
「……正解だ。さあ、ここへ来い」
「ありがとうございます」
 僕は男の右隣に立った。
「ところで、その……」
「オレのことは『トシ』と呼んでくれ」
「トシさん、僕も質問いいですか?」
「ああ」
「トシさんの推しは誰ですか?」
「箱推しだ」
「なるほどです。ファンになったきっかけってありますか?」
 なぜかトシさんの表情が曇る。
「二年前……オレは離婚した。原因は、趣味のボディビルだ。妻は、『私と筋肉どっちが大事なのッ!?』と言い放ち、娘を連れて出て行った。空っぽの家に取り残されてようやく失ったモノの大きさに気づいたオレは、仕事もろくにせず街を彷徨(さまよ)った。死に場所を探すような心境でな」
 トシさんは前方のステージをじっと見つめていた。
「そこで出会ったのがフェアリーガールズだ。彼女たちの懸命な姿を見て、オレももう一度やり直そう。真人間になって妻と娘を迎えに行こうと誓ったんだ」
「いろいろあったんですね……トシさんも」
 ここで照明が落ち始め、会場のボルテージが高まり出した。
「さて、辛気臭い話はここまでだ。オレたちも精一杯声を出して最高のライブを作り上げよう」
「はい!」
 ついにライブが始まった。
 フェアリーガールズが登場すると、場内は歓喜に包まれ、僕は心音ちゃんに釘付けになった。
 今日の心音ちゃんは何かが違っていた。全てのパフォーマンスが神がかり、まるで本物の妖精が舞い降りたかのようだった。僕は、その姿に心底酔いしれた。
 そして、ライブ終盤。
 心音ちゃんが神妙な顔つきでステージに立った。
 その表情から、これは妖女にとって命運を分けるような発表だと感じた。
「今日は私から皆さんに大事なお知らせがあります」
 会場に緊張が走る。
「私、木下心音は……本日のライブをもって、フェアリーガールズを卒業します」
 リーダーの心音ちゃんが…………卒業?! 会場がどよめいた。
 そして、最後の曲が始まった。
 呆然としているうちに曲は終わり、メンバーはステージを去った。周囲はアンコールを求める声援が鳴り響いている。
 放心状態で立ち尽くしていると、トシさんが呟いた。
「オレは、フェアリーガールズと骨を埋める覚悟でいる」
 僕は抑えていた感情が溢れ、涙が止まらなくなった。
「僕は……心音ちゃんがいない妖女は考えられません。今日でファンを…………引退します」
「馬鹿野郎ッ!!」
 トシさんが突然、大声を上げた。
「まだ、ライブは終わってねえ! 泣いてる場合じゃないだろうッ!!」
 その通りだ。不完全燃焼のままでは死んでも悔いが残る。心音ちゃんも全力でステージに立っているんだ。僕も声が枯れるまで声援を送ろう。彼女のラストステージだ!!
 照明が徐々に暗くなり、デビュー曲のイントロが流れ始めた。
 本当に、本当に、これで最後だ。
 僕は初めて、心音ちゃんが出てくるのが怖いと思った。
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