第4話 お政の誘惑

文字数 7,062文字



 四年の月日が流れた。
 安政五年(1858年)となり、寅之助も十七歳となった。現在の満年齢で言えばまだ十六歳だが、この当時の感覚で言えばもう立派な成人である。
 この間、寅之助は熊谷北郊の四方寺村で家業の農作業を手伝うかたわら、時間を作っては江戸の千葉道場(玄武館)に通って北辰一刀流を学び、二年前に元服を済ませたあとは千葉道場に住み込んで剣術一本に励むようになっていた。

 千葉道場は神田お玉が池というところにあった。お玉が池といっても池はとっくに埋め立てられていたので、当時そこに池があった訳ではない。現在の場所でいえば都営新宿線・岩本町駅のあたりに千葉道場はあった。二階建ての大きな建物で、二階には大勢の子弟が住み込むことができ、寅之助もそこに寝泊まりしていた。千葉道場の門弟は三千人おり、江戸三大道場(玄武館、練兵館、士学館)の中で最大の規模を誇ると言われるが、それはすなわち「日本最大の道場」ということを意味する。
 また千葉周作の弟定吉が八重洲(やえす)(おけ)町で同系列の道場を開いていたが、こちらは坂本龍馬が修行した道場として広く知られている。
 ちなみに千葉周作は三年前に死去した。現在は、父譲りの剣豪で「千葉の小天狗」と異名をとる次男栄次郎(えいじろう)があとを継いでいる。北辰一刀流の宗家は三男道三郎(みちさぶろう)が引き継ぐかたちをとっているものの、実質的な道場の当主は栄次郎である。

 そして寅之助と同様に幼なじみの斎藤健次郎も熊谷から江戸へ出てきていた。
 健次郎の父は三年前に病で亡くなり、すでに母も亡くしていた彼は親戚にあずけられ、そのあと日本橋本町の薬屋に丁稚(でっち)奉公として住み込むことになった。日本橋本町は当時、多くの薬問屋が軒を連ねており、その名残りから現在でも大手製薬会社の本社がいくつかこの地に置かれている。
 日本橋本町とお玉が池はそれほど距離が離れておらず、寅之助と健次郎は時々会って旧交を温めていた。



 ところで、この当時の幕府の様子に目をむけてみると、この年、将軍徳川家定(いえさだ)が死去し、井伊直弼(なおすけ)が大老に就任した。
 そして六月、井伊はアメリカのハリスと日米修好通商条約を締結した。
 第一話の冒頭でも触れたように、このあと幕府は英仏蘭露の四ヶ国とも同様の条約を結び、これらの条約が「安政五ヶ国条約」と呼ばれるいわゆる不平等条約であり、日本は「完全な形で開国」させられることになったのである。

 なぜ幕府がこのような不平等条約をあっさりと許容したのかといえば、端的に言ってしまえば、英仏連合軍がアロー戦争で清国を破ったからである(ただしアロー戦争が最終的に英仏の勝利に終わるのは二年後のこと。しかしこの段階で既に清国の旗色は相当悪くなっていた)。
 十数年前のアヘン戦争の時と同様に、このアロー戦争も開戦理由はいいかげんなものであったが、帝国主義が真っ盛りだった当時は「力こそが正義」であり、大義名分があろうとなかろうと「勝てばすべてが肯定される」、そういった時代だった。
 このように帝国主義丸出しの英仏軍が「日本に対しても武力を背景に強く迫ってくるだろう」ということは火を見るよりも明らかで、このスキを突いてアメリカのハリスが
「アメリカは日本の味方である。我々の助言通り、英仏軍が来るまえに先手をうって開国してしまったほうが最低限の権益は守れるであろう」
 と幕閣を説いて、その結果締結されたのが日米修好通商条約なのであった。ただし、急いで締結してしまったために朝廷の意向を無視するかたちとなり、のちに大きな禍根(かこん)を残すことになった。
 さらにこの条約問題と並行するかたちで紛糾していた将軍継嗣(けいし)問題は、井伊の推していた紀伊の徳川慶福(よしとみ)が第十四代将軍と決まり(慶福は家茂(いえもち)と名を改める)、一橋慶喜(よしのぶ)を推していた一橋派(徳川斉昭(なりあき)や松平春嶽(しゅんがく)など)はことごとく井伊によって排斥されることになった。

 これ以降、日本は幕末の風雲に突入することになるのだが、それが本格的な暴風雨と化すのは翌年以降のことである。



 九月初旬のある日のことだった。
 旧暦の九月初旬といえば彼岸(ひがん)(秋分)も過ぎてめっきりと秋めいてくる頃で、行楽へ出かけるのにもっともふさわしい季節である。江戸で夏に大流行したコレラも秋に入ってからはようやく沈静化し、庶民は日常の暮らしを取り戻しつつあった(ちなみにこのコレラは五月に長崎に入港したアメリカ船が清国(中国)から持ち込んだものと言われており、これも開国の影響の一つと言える)。

 この日、寅之助は稽古が休みだった。そして健次郎も休みをもらっていたので二人で浅草へ出かけることにした。といっても浅草寺(せんそうじ)や吉原へ行くのが目的ではなく、健次郎の親戚の家へ行くつもりであった。その親戚の家というのはお政の実家だった。
「お政姉さんが嫁ぎ先の旦那と別れて離縁になったことは、この前話したろ?」
「ああ。まったくお気の毒になあ……」
 と寅之助は答えながらも、心の中ではわき立つ気持ちで一杯だった。
 四年前、ほんのわずかに会っただけで、今となってはその姿かたちをほとんど思い出せないのだが、そのとき感じた興奮だけは深く心に刻まれていた。今日、再び会えると聞いて、寅之助の心中は数日前から期待と不安で一杯だった。
(あの女性(ひと)はどんな風になってしまったのだろう?今も変わらず美しいのだろうか?)
 そんな気持ちだった。

 お政は四年前に浅草の商家に嫁いだものの、今は離縁となって同じ浅草の実家に戻っていた。離縁の理由は定かではない。ただしこの美人妻にはたびたび不倫の噂がつきまとっていたようで、離縁の理由も大体そんなところだろう、というのがもっぱらの評判だった。

 二人が浅草のあたりまでやって来ると、道路を駆け抜ける異様な騎馬隊の一群と遭遇した。
 このような物々しい騎馬隊が町中を走っていること自体異様だが、さらに異様なのは騎馬隊の中心部に複数の西洋人がいることだった。そしてその周りを幕府役人の騎馬隊が取り囲むように護衛していた。騎馬隊の中には、赤・白・青の三色が横並びになっている旗をひるがえしている者もいた。
 幕府役人は通りの人々に道をあけるよう命令しつつ、先へ先へと進んで行った。どうやらこの一群は浅草寺(せんそうじ)へ向かっている様子だった。
 通りの人々は「唐人(とうじん)だ。唐人が通るぞ」とそこかしこで騒いでいた。「唐人(とうじん)」というのは、この当時の人々からすれば「外人」と言っているのとほぼ同じ感覚で、別に清国人(中国人)を指している訳ではない。

 寅之助は西洋人を初めて見た。
 当時、西洋人を初めて見た日本人が皆等しく感じたように、髪の毛や肌の色が違い、また着ている服も全然違う人々を見てやはり異形(いぎょう)の人々だと感じた。
 隣りにいた健次郎が、得意そうに寅之助に言った。
「皆あの外国人を唐人だ、唐人だと言ってるけど、あれはフランス人だよ」
「お前、よくそんなことが分かるな。どうやって見分けたんだ?」
「三色の旗を掲げていたのがいたろう?あれはフランスの国を表す旗なのさ。まあ、家紋のようなものだな。七月にはイギリス人が同じように馬に乗って走っていったのを店の前で見たよ。どちらもお(かみ)(幕府)と条約を結ぶためにやって来た使節の一行だろう」
 健次郎は独学で蘭学を勉強するようになっており、それなりに外国の知識を身につけていた。
 寅之助はまったく外国のことに疎かったので、この博学な友人を「大したもんだ」と純粋に尊敬した。

 このフランス人たちはグロ男爵が率いる使節の一行で、数日前に幕府と日仏修好通商条約を結んだばかりだった。この日仏条約は「安政五ヶ国条約」の一番最後に結ばれた条約で、七月にはイギリスのエルギン卿が日英修好通商条約を結んでおり、その前にはオランダとロシアも日本との条約を締結していた。
 条約締結を済ませたフランス使節一行は数日後には日本を去る予定なのだが、この日、行楽と視察を兼ねて浅草寺へ出かけたのだった。



 二人は浅草にある健次郎の親戚の家に着いた。
 この家はお政と両親の三人家族で、父親は職人の仕事をしており、この時は仕事に出かけていて留守だった。家にはお政と母親が在宅していた。
 健次郎と寅之助は家にあがって、健次郎が手土産として持ってきた茶菓子を囲んで、たわいもない世間話に興じた。
 寅之助は、四年ぶりに再会したお政の容貌に、内心ひそかに衝撃を受けていた。
 想像していた以上の美しさ、そして妖艶さだった。
(芸者か遊女ならともかく、ただの町民でこんな色気のある女がいるのか?!)
 と寅之助は目を見張った。
 一度結婚したことが、その妖艶さにさらに磨きをかけたとしか思われない。古今亭志ん生の落語の小噺(こばなし)で「後家(ごけ)は良いね。後家は女っぷりが一段あがるよ!うちのかかあも早く後家にしてえ」というのがあるが(まあ、お政は離縁になっただけで別に後家という訳ではないが)、天性の美貌に加えて、なまめかしさの度がさらに増していた。年齢はまだ二十半ばである。
 健次郎がお政に寅之助のことを、四年前、熊谷に来た時に紹介した男だと説明すると「そういえば、そんなこともあったかしら」と、うろ覚えの様子だった。ほんのつかの間会っただけでそれっきりだったのだから、無理もなかった。
 世間話をしているうちに健次郎が、ここへ来る途中、フランス人の一行に出会ったことを話すと、お政が
「面白そうね。これからそのフランス人を見るために浅草寺へ行ってみない?」
 と言い出した。そこで寅之助、健次郎、お政の三人で近くの浅草寺へ行ってみた。


 現在同様、この当時も浅草寺(せんそうじ)は行楽地であり、かつ参詣(さんけい)の場だった。
 純粋に参詣に来る人々もいるにはいるのだが、近くに吉原があり、さらに見世物小屋、水茶屋などが周囲に軒を並べており、遊興客も多かったのである。
 幕末の頃、多くの外国人がこの地を訪れ、仏教寺院の神聖さと、庶民行楽の猥雑(わいざつ)さが混在したこの地について、皆おしなべて「不可思議な場所だった」といった感想を述べている。
 それはこの日ここを訪れたフランス人たちも同じ感想であったろう。
 とにかく境内は多くの人でごった返しており、幕府役人に警護されたフランス人たちは人波をかき分けるようにして境内を観光して歩いた。とはいえ、珍しいフランス人を見るために人々が周囲におし寄せ、どちらかといえばフランス人たちのほうが日本人の観光対象となっているような様相を呈していた。

 そして寅之助たち三人も、そのフランス人を見るために人ごみの中へとかき分けていった。
 そのうち健次郎が
「あいつらも西洋人なんだからオランダ語ぐらい分かるだろう。俺のオランダ語で話しかけてみる!」
 と言って一人でフランス人たちのほうへ接近して行った。
 健次郎は強引に一人のフランス人に話しかけた。
 健次郎のオランダ語は本で勉強した片言のオランダ語で、しかも相手はフランス人なのだから話が通じる訳がないのだが
「フランスは大好きだ。ナポレオンは偉大な男だ」
 といったような事を何とか伝えようとしたところ、隣りにいた通訳のカションというメガネをかけた小男がそのフランス人に伝えてくれて、男は喜んで握手してくれた。さらに持っていた紙切れにペンで何やらサインして、それを手渡してくれた。どうやらその男の名前が書いてあるらしいのだが、もちろん健次郎には読めなかった。そこでカションにその男の名前を聞いてみると「モンブラン」と答えた。
 フランス使節の一員、シャルル・ド・モンブランである。



 一方、寅之助とお政は人ごみの中に取り残され、三人はちりじりになりかけていた。
 するとお政が寅之助の手を握ってきた。そして人ごみをかき分けて境内の外へと寅之助を連れ出して行った。

 寅之助があっけに取られているうちに、お政に命じられるまま、寅之助は近くの甘味処でお政と同席して汁粉を食べていた。
 江戸へ出て来てから剣術修行一筋の寅之助は、女性とこんな店に来た経験などない。というよりも、女性と同伴して二人っきりでどこかへ出かけるという経験すらない。
 ちなみに寅之助は童貞であった。
 性に寛容で、後世の日本人に見られるような禁欲的道徳心など持ち合わせていなかった当時の男たちからすれば、これはかなり堅物の部類に入る男というべきだろう。
 むろん、寅之助にもいっぱしの性欲はあるのだから、江戸に出て来て以来、これまで何度か「悪所」へ行って一度くらい経験しておこうと思ったことはあった。しかしその都度ふんぎりがつかず、先送りしているうちに今に至ってしまったのだった。
 そのうぶ丸出しの寅之助が初めて同伴する相手が、この色気丸出しのお政である。
 蛇ににらまれた蛙のようなものであった。寅之助の口から何か言葉が出てくるはずもなく、当然の流れとしてお政のほうから口を開いた。
「寅ちゃんは剣術をやってるそうだけど、将来お侍さんになるの?」
「……で、できれば、そうです」
「じゃあ、もっと先になればお大名になるの?」
「え?そんな訳がないでしょう。無茶言わんでください」
「なあんだ。つまんない」
(一体何を考えてるんだ?この人は……)
 寅之助は狐につままれたような心地である。

「寅ちゃんは付き合ってる娘とか、許嫁(いいなずけ)とかいないの?」
「いません」
 寅之助の脳裏に一瞬、村のお多恵の顔が浮かんだが、実際正式に許嫁の約束を交わした訳でもないのだから、すぐにその気持ちを洗い流した。
「へえ~、不思議ねえ。寅ちゃん、顔はかわいいし、体もたくましいし、もてないはずがないんだけどねえ……。まさか!健次郎と!なんてことはないわよねえ?」
「絶対にありません!」
「ああ、良かったわ。でも、それじゃあ大変でしょう。不自由しないの?そんなに若いのに」
「……」
「オバサンも不自由してるのよ。旦那と別れたから」
「オバサンという歳じゃないでしょう?まだ若いのに」
「いやねえ。もういい歳なのよ、ほんとうに。……じゃあ、いっそ不自由している者同士ということで、寅ちゃん、オバサンと付き合ってみる?」
 と、お政はサラっと事もなげに言った。

 寅之助の脳みその中は元々沸騰寸前の状態だったが、これで大爆発を起こした。
「え?……いや、あの、その……」
「どうしたの?」
「あの……、おっしゃる意味が……」
「私とまぐわってみない?という意味よ」
 寅之助の脳みそは再び大爆発した。童貞には刺激的すぎる言葉だった。
「……いや、あの、その……」
「寅ちゃん、私とまぐわりたいんでしょう?寅ちゃんが私を見る目つきを見てれば分かるわよ。もっとも大概の男はそういった目つきで私を見るけどね。でも私、素直じゃない人は大嫌いなの。やりたいことは思ったとおりにやれば良いじゃない。なんでガマンするわけ?本当に気に入らないわ。まあ、そんなわけで、今日のところはこれで帰りましょ」
 そう言うと、お政は不機嫌な様子で席を立った。そして二人は店を出て、そのまま別れた。
 寅之助は、健次郎があのあと一体どうなったのか?ということもすっかり忘れて、呆然とした気持ちでトボトボと千葉道場へ帰っていった。



 これ以降、寅之助の生活は完全に歯車が狂ってしまった。
 剣術修行にも身が入らなくなった。煩悩(ぼんのう)に心が埋め尽くされてしまったのである。
(あ~、あのとき素直に承諾していれば良かったのだろうか?もったいないことをしてしまったのだろうか?それともこれから必死にお願いしたら事を成就させてもらえるのだろうか?いや、しかし俺は童貞だぞ。何をどうやって成就すれば良いのか、それすらさっぱり分からぬ。いやいや、それ以前に、お政さんと事を成就するということは結婚するということなのか?その責任を取るということなのか?事を成就したい、ただそれだけの欲望でお政さんの体を求めて良いものなのか?あ~、どうして良いのかさっぱり分からぬ!)
 このように一人で悶々とすることが多くなってしまった。童貞だから仕方ない。
(とにかく、事が成就するかどうかは別として、お政さんと会ってみることだ。何度か会っていれば、そのうち何とかなるかも知れない)
 そんな風に結論づけて、今度また彼女と会う段取りをつけてみよう、などと考えているうちに、当のお政に再婚話が来てしまった。

 考えてみれば至極当然のことで、このような美貌の持ち主を世間の男どもが放っておくはずがなかった。しかも今度の縁談の相手はすこぶる大物であった。
 四谷(よつや)にある五千石の旗本、永井左京という男である。
 一万石あれば大名である。五千石といえば準大名クラスのお殿様と言っていい。
 ただし、町民の娘であるお政がこんなお殿様の正室になれるはずもなく、側室、というよりもお(めかけ)さんとして、という縁談である。とはいえ、立派な妾宅で豪勢な暮らしができることは保証されている。

 お政は金や権力が嫌いではない。いやむしろ、寅之助に対して「素直じゃない人は大嫌い。なんでガマンするの?」と言っていたように、欲望に対してまことに忠実な人間で、金や権力が大好きである。そんなお政が、永井という幕府高級役人の申し出を断るはずがなかった。
 そして結局、それから間もなく、お政は永井が用意した妾宅におさまったのだった。
 ちなみにこの当時、不義(ふぎ)密通(みっつう)(不倫)が発覚した場合、夫は、密通した妻と相手を斬り殺して良い事になっていた。特に武家ではその傾向が強かった。要するに、お政は完全に寅之助の手の届かないところへ行ってしまったということである。
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