第1話

文字数 5,211文字

 ざくざくざくざく。
 穴を掘る。息を吸うように穴を掘っては埋めていく。埋めたのは自分自身だ。平和で穏やかな日々を過ごすために、私は自分で自分を埋める必要があった。いらないものを捨てるように。もしくは、大切なものを誰かに壊されないために。
「でさぁ、バスケ部のキャプテンとそのマネージャーが付き合ったんだって!」
「えっほんと?まだ入学して1か月しか経ってないのに?」
「そういうことぉ。長く続くといいね」
(すぐ別れないかな)
「そうだね、でも、ノリで付き合ったのかも。すぐ別れちゃうかもね」
「わかる!!!私もそんな気がする!!!」
 バニラシェイクを一口飲んで笑う。空気を読まないのはタブーだが、誰か賛同者がいれば話は別だ。予想通り、心の内で別れることを願っていた穂乃佳がすぐに飛びついて話を広げてくれた。「3か月」「2週間」「1日」と、カップル期間をそれぞれ予想し、3人で笑い合う。
「やっぱり別れちゃうかなぁ」
 香奈が少し残念そうに続けた。
「そりゃそっかぁ。たった1か月で誰かを好きになんかなるわけないよね。名前すら知らないっていうの」
「あー。うん、やっぱりそうだよねぇ」
(そんなことない)
「うーん、でも、誰かを気になることはあるかもね。ほら一目惚れっていうとあれだけど」
「う、うん!私もそう思う!」
「えーなになに。美穂、気になる奴いるの!?」
 いきなり香奈の顔が近づいて、勢いよく背もたれに背中を貼り付けた。ちがう、私じゃない。私じゃなくて。さっきはすぐに飛びついてくれた穂乃佳が、「そう思う」と言ってくれてただけで、今や素知らぬふりしてパンケーキを食べている。私のシュミレーションだと、このまま穂乃佳が一目惚れしたであろう人について相談する流れのはずだったのに、上手くいかなかった。
 慌ててパンケーキを口に詰め込みその場をやり過ごす。甘酸っぱいいちごの香りが鼻に抜けた。
「あやしいなぁ」
「そういう香奈はいないの?かっこいい人とか」
「かっこいい奴?いたかなぁ。全員顔が一緒に見えるんだよなぁ」
 香奈は首を横に捻る。本当に全員が同じ顔に見えているようだった。その隙にバニラシェイクをすする。口の中が潤い、やっと口を開けた。気になる人がいる張本人に直接パスを投げる。
「穂乃佳はどうなの?」
「えぇ…、どうって…、うーん」
 ゆるく巻いた長い髪を右に左に垂らしながら、穂乃佳はもったいぶる。口をもじもじとさせて、言葉をこねたり引き伸ばしたりしているみたいだった。穂乃佳は顔を寄せ、小声で言った。
「…あのさ…、6組の遠山和也くんっていう人、かっこよくない?」
 やっと開いた口から出た人物に、グッと顔が強ばった。ひょっこりと穴からでた自分を慌てて埋め直す。脳裏で広がる苦い記憶も一緒に埋める。
「6組の遠山?何部?」
「野球部。背が高めで、しょうゆ顔の」
「しょうゆ顔ってなんだよ」
 しょうゆ顔より麦茶顔だよ、と叫ぶ自分の頭をジャベルで押し込む。いいから早く埋まってほしい。
「美穂わかる?」
「いやぁ、他のクラスの人のことはあんまりわからないや」
 嘘をついた。でも大丈夫。他の人は、人の本音が聞こえないらしいから。


 人と少し違う、と違和感を覚えたのは中学生の頃だった。普通に友達と喋っていたら、いきなり怪訝な顔をされた。言った言ってないの喧嘩になり、初めて絶交を言い交わした。それから別のグループと仲良くなって『それ嘘だ』と言ったら泣き出してしまった。また『そんなことない』と言われ、今度は私が指を指された。『この嘘つき』と。
 私は嘘なんかついていない。本当に聞こえるのだ。副音声のように、実際の声と重なって聞こえるその人の本音が。
 この声は、誰かが嘘をついたときにふと重なって聞こえる。今となれば、そのほとんどは嘘ではなく建前であることを知った。だから、他の人が聞こえないように聞き流す方が正しい。
 正直者は馬鹿を見るということを身をもって学んだ。それから、本音を隠して空気を読めば、全て丸く収まり傷つくことはないと言うことも。そう学んでからは、自分の本音を埋めては隠して笑う日々を平和に過ごした。
 もう失敗はしない。
「美穂、委員会なんだっけ」
「園芸委員会。今日のミーティングはグラウンドに集合だって」
「えーそうなんだ。でも園芸っていいよね!」
(手とか汚れるし絶対やだわ)
「あー、誰も挙手しなかったからさー」
「ねぇ聞いて!6組の体育委員、遠山だって!」
「えっホント!?」
 トイレから帰ってきた香奈が勢いよく小声で情報を共有する。「6組の黒板がまだ消されてなくて、見えた」としたり顔で意気揚々と話してくれた。その度に穂乃佳の肩が小さく飛び跳ねる。
「えー嘘、うれしい!仲良くできるといいな」
「体育委員になると体育倉庫を私物化できるから、ほとんどのクラスは野球部が体育委員になってるらしいよ。だから、穂乃佳も体育委員にしたんでしょ?」
「いやいや、そんなの知らなかったよ。偶然、偶然!」
(知ってたけど)
「本当ぉ?」
 香奈はニヤニヤと笑って穂乃佳を肘でつつく。そう、穂乃佳は遠山狙いで体育委員を選んだんだよ。シャベルを握りしめて、香奈と同じくニヤニヤ笑う自分に土をかける。
 穂乃佳に手を引かれ、一緒に女子トイレに向かう。委員会ミーティングの前に化粧直しをしたいらしい。香奈の「さっき行ったんだけど!」という文句は、廊下中に響き渡った。


 手に汗を握りながら迎えた入学初日。初めて話しかけてくれたのは前の席にいた穂乃佳だった。薄いピンクのリップに、眉毛はきれいに整えられて、きれいに上を向いているまつ毛が印象的だった。穂乃佳と一緒にいたら、なんとなく香奈ともよく話すようになって、いつの間にかこの3人グループが定着した。女子において、最初のグループ分けはこれからの学校生活に左右される。席順がよかったからかそれとも運が向いたのか、はぶれることなくグループの和に入れることができた。よかった。まずは第一関門突破だ。
 次に、このグループと末永く仲良くしていかなければならない。途中でグループをはぐれて、他のグループに途中加入すると、浮いてしまう。このまま何事もなく仲良くしていきたい。
 急いで教室のドアを開ける。思いのほか委員会のミーティングが遅くなった。穂乃佳と香奈が待ちくたびれているかもしれない。
「ごめん!遅くなっちゃっ、た…」
 教室の中は誰もいなかった。いつも一緒に帰ってたから、きっと待ってると思ってた。思い違いをした。携帯を見ると、誰からのメッセージもなく、一瞬で心細さに襲われる。確かに、各委員会によって、ミーティングの終わる時間は違うから、各々終わったらすぐに帰ったのかも。それかふたりの委員会は早めに終わって、ふたりで帰ったとか? それか、もしかして、私、気に触ることしたのかも。
 せめてメッセージを送ってくれたら、こんなモヤモヤしなくてすむのに。あ、でも、メッセージだと嘘かわからないから、やっぱりモヤモヤしちゃうか。
 明日直接聞いてみよう。『園芸委員、遅くなっちゃって』、『昨日ふたりで帰ったの?』。鞄に教科書を詰め込みながら、頭の中に浮かんだ言葉を添削しては吟味した。嫌みにならないように、悟られないように、軽く、言葉を思いつく限り考えて、シュミレーションする。
『私も一緒に帰りたかったなー』
『ねー、さみしかったよ』
(全然さみしくなかったけど)
 ひゅうと息を飲んだ。やっぱり明日聞くのはやめておこう。もしそんな本音を聞いてしまったら、もう立ち直れない気がする。


「えっ、日向じゃね!?」
 昇降口に聳え立つ大きな影がそう叫んだ。逆光の中、私の名前を叫んだそいつは、噂の遠山だった。
 軽く会釈して下駄箱からローファーを取り出す。
「うわー。日向も花坂高なの?知らなかったわー。ほら、西中の奴らはみんな丘高じゃん。ここに来たの俺だけだと思った」
「…うん。私も、私だけだと思った」
 遠山は、同じく西山中学校出身で、同じクラスメイトだった。前はよく一緒に遊んでたりしたのに、もうどんな距離感で喋っていたか忘れてしまった。昇降口のたたきに硬いローファーを放り投げた瞬間、
「あ、ちょ、近づかないで!!!」
と声が響き、息が止まった。遠山は顔の前で腕をクロスしている。その光景に、また脳裏から全身に苦みが走った。その苦しみに手が小さく震え、咄嗟に反応できなかった。
「あ、いや、ごめん、だって、お前人の心読むから、その」
 遠山が我に返ったように言い訳をする。奥歯を強く噛みしめる。この高校でやり直すなら、まず遠山の認識を変えさせなければいけない。
「…読むわけないじゃーん」
 できるだけ軽く、シンプルに、悟られないように。遠山はなんでも信じちゃうような奴だから、あっさり「え?そうなの」とガードを外した。
「そうだよー。なんか私勘違いしてたみたい。恥ずかしいからあんまり言わないでよ」
「…本当に?」
「うん、当たり前じゃーん」
「…そっか、ならいいけど…」
 前髪を利用し、あんまり見えないようにしながら、遠山に笑いかける。ローファーのかかとを少し踏むように履いて、外に出る。シャベルを握りしめて、自分を埋めた場所を何度も叩いて、墓標を立てた。大丈夫。もう昔の自分はいない。
「じゃあね」
「え、待ってよ」
「え」
「どうせ電車だろ?一緒に行こうぜ」
 いやだとは言えなかった。でも、顔は嫌だと言っていたかも知れない。墓標の脇からひょっこりと嫌な顔をした自分が出てきたから。


『日向と一緒にいると心を読まれる』
 そんなくだらない噂が流れたのは、中学3年の2学期からだ。その噂は時間が経つほど様々な尾ひれがついて、最終的には『日向は嘘つきだから近寄らない方がいい』となった。ひそひそと声はするのに、通り過ぎるとしんと静かになる。おかげで本音が聞こえないから楽だった。案外ひとりでいるのは気楽だと気づいたけど、それでも遠くから投げられる白い目には、いつになっても慣れず、いたたまれなかった。遠山も遠くから私を笑うひとりだった。
 柔らかい風が吹き抜け、街路樹の青葉がざわめく。まさか高校になってから、遠山とふたりで歩く日が来るとは思わなかった。遠山は「部活で遅くなった」と話し始めた。1年生は、ボール広いに後片付けに、先輩からたくさんこき使われるらしい。
「花坂高はさ、野球がめっちゃ強くて、毎年県上位なんだ」
「そうなんだ」
「先輩たちはめっちゃ厳しいけど、俺頑張るわ。絶対レギュラーとる」
「うん、がんばれ」
 遠山の長所と短所は素直なところだ。だから、本音が聞こえることはほとんどない。たぶん、思ったことをそのまま口に出しているのだろう。そういう人と話すのは気が楽だった。
「日向はなんで花坂高にしたの?」
「んー。なんか電車通学に憧れてたんだよね。それだけ」
 嘘。ぽこりと土から顔を出した自分が得意げな顔をする。本当は、みんなが私を知らないところに行きたかったから。遠山は私の嘘に「なんだそれ」と笑う。みんながどこに進学するかなんて全くわからなかったから、遠山の名前が出たときは本当に驚いた。同じ中学だと知られたら、すぐに中学の噂が広がって穂乃佳たちに伝わっちゃうかも知れない。そう思うとどっとと背中がじっとりと濡れた。これを機に遠山に釘をささなくちゃいけない。
 約1時間ぐらい電車に揺られ、最寄り駅に着いた。
「じゃあな、日向。これからもよろしくな」
「あ、うん。あのさ、あのこと言いふらしたりしないでほしいんだけど…」
「あのこと?」
「あの、なんか、心が読めるとかそういう変なの」
「あー、わかってるよ」
 遠山は笑いながら背を向けた。本音が聞こえてこなかったことに安堵し、帰路につく。久しぶりに遠山と話した。それも、何事もなかったかのように。思い返して、どろどろにぬかるんだ地面から醜く歪んだ自分が這い出るように出てきた。たぶん、この土はずっと生暖かくぬかるんでいるんだと思う。乾くことも固まることもなく、ぐちゃぐちゃのまま。まるで生傷のように。
 遠山と帰るのはこれっきりにしよう。
 そう思ったのに、遠山とは何故か昇降口でよく会った。特に強制ではなかったが、放課後は委員会活動として花壇の雑草を抜いたり水やりをした。意図的に、香奈と穂乃佳と帰る時間をずらした。傷つく可能性があるなら、最初から一緒に帰らなければ問題ない。
 校内には花壇が8つくらいあるから、それらを全部見てまわるといつの間にか校舎内はしんと静まりかえっていた。そして、なぜかたまに遠山と会うのだ。すると、自ずと一緒に帰る流れになった。
 仕方がないかと気にもとめていなかった。それがいけなかったし、危機感が薄れていた。
 夏休みの話題が出る頃には、水面下で広まっていた根も葉もない噂が、学校中でささやかれるようになるなんて知るよしもなかった。
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