第6話

文字数 4,328文字

  *

 草木も眠る丑三つ時って時間になったんだろうか?それとも、それを過ぎてるんだろうか?朝彦は凍える体を抱えながら思った。
 服はほとんど乾いておらず、着実に体温だけが奪われている気がしたが、今は心中に希望の光がともり始めていた。
 あれから、色々と過去を振り返ってみて、意外極まりない事実が見えてきたからだ。
 10歳の夏休みに彼の前に現れた俊と言う名の少年。彼のことを、長い間、自分とは血のつながりのない子どもだと思っていたのだが、今日初めて、そうでなかった(はず)と分かったのだ。
 つまり、こういうことだ。
 異形の鳥居を抜けて、違う世界へ行ってしまった息子・俊。彼が行った先は、30年近く前の京都だった。そこで、10歳の時の朝彦に出会い、家に住み着いた。だが、いつまでも違う時代にいるわけにはいかないと悟り、再び鳥居を抜けてもとの世界へ戻って行ったのだ。
 あの遠い昔の送り火の夜に。
 そうだ。俊は帰って来る。
「ハハハハハ。」
 声を上げて彼は笑い出した。
 そうだったんだ。彼は息子の俊だったのだ。だから、初めから特別な親しみを感じたのだ。
 今の今まで気が付かなかったのが、むしろ不思議なくらいだが、長年の間に、少年期に出会った俊の方は、次第に理想化されていき、記憶の中の容姿は、実際よりも、ずっと細くて華奢なものに変容していた。本当は、やや肥満気味なのだが。
 それに、記憶では、俊少年は、よく笑い、よくしゃべる子だったが、朝彦の知る息子・俊は、いつも無表情で、敵意さえ漂わせていた。
 これは、たいへんな認識の変化をもたらすものだ。
 いつも苛ついて、叱責や禁止(何々してはいけない)の言葉ばかり浴びせてきた息子、そのため少しも自分に懐かなくなった息子が、自分にとって人生で一番愛情と親近感を覚えた存在、ベストフレンド、最高の相棒であり、最初に生まれた子供に躊躇なく同じ名前を付けた(そのために妻とはかなりの悶着があったのだが)ほどの存在と同一人物だったのだから。
 どちらかの認識が誤っていたのか?幻想だったのか?
 いや、違う。
 何もかも受け入れ、肯定するだけでよかったのだ。
 自分の子供なのだから。
「そうだったんだ。そうだったんだ。」
 朝彦は、暗い森の中の神社に一人座り、つぶやいた。自分が泣いているのか笑っているのかもよく分からなかった。

   *

 次の日も、よく晴れた夏らしい天気だった。
 おはよう会の勤行を済ませ、形ばかりに宿題をやると、俊と朝彦は、意気軒高、神楽岡の建設現場までやって来た。
 昨日手に入れた段ボールは、まずガムテープで繋ぎ合わせてから、枝を張り渡した「土台」(つまり高床)に敷き詰めた。これでふかふかの床が出来た。
 小屋の屋根と壁を作るために、二人は、再度、麓のスーパーマーケットに行って、段ボールを仕入れてきた。
 集めた段ボールを貼り合わせようと言う朝彦に、俊は、「先に支柱を立てよ。」と提案した。
 朝彦も同意して、家からかっぱらってきた園芸用のポールを2本、一部を重ねてから荷造りテープできつく縛り、より長いポールに仕立てた。これを2つ造り、一つは小屋の前側の支柱として地面に突き立て、一つは後ろ側の支柱として同様に地面に突き立てた。それから、この両方に細いロープを張り渡した。
 それから、小屋の本体造りを始める。
 予定通り、平たく広げられた段ボール同士をガムテープで張り合わせ、一つの大きな板にしたものを2つ作った。
 始めの計画では、これを支柱に張り渡したロープで支えるつもりだったのだが、ロープをそこまで信頼しきる気になれなかったので、片一方の板は、支柱自体に立てかけ、離れないようにガムテープでベタベタ貼り付けた。そして、もう一方は、それのつっかい棒となるような感じで、少しだけ低いところに立てかけた(そのため、「入」の字に似た形になった)が、同時に支柱の間のロープでそれがずり落ちるのを防ぐようにした。
 これで屋根が出来たので、取り敢えず、二人でその下に入って、休むことにした。
 床に寝転んで、何も考えず、時間を過ごす。
 吹き抜ける風が心地よい。
 蝉の合唱が聞こえるが、そんなに近くないので、むしろ夏らしいBGMという感じだ。名前は分からないが、とても細かく表情の変わる美しい鳥の鳴き声が聞こえる。
 前と後ろの、まだ何も壁のない隙間から外を見やれば、いっぽうには松の多い、からっとした林があり、もう片方はいじけたような細くて丈の低い灌木の林になっていた。
 ただ、多くはいないが、蚊が飛び回っているのが、唯一の問題点だった。
「この空いてるところに網戸を付けられたらいいのになあ。」朝彦は足に停まった蚊をぺちんと叩いた。「そうしたら、夜でも快適に過ごせるし。」
「え、夜もここで泊まるつもりなん?」俊は不安と期待が入り混じった声を出した。
「そりゃ、せっかく家を作ったんやから、ここで寝てみたいやんか。」
 朝彦は、叩き潰した蚊を指で弾き飛ばしながら答えた。
「お母さんが怒るやろう。おはよう会はどうするん?」
「そうやなあ。」朝彦は顔を曇らせた。「黙って家出してまうか、頼み込んで1日だけ許してもらうか、どっちがええやろ。」
「どっちも難しいんちゃう?」
「嫌な事言うなあ。でも、せっかくキャンプして、次の日の朝、いつものように「おはよう会」に行くのだけは御免やな。」
「それは、全く同感。」
「お許しをもらうしかないか。友達の家に泊まって来るとか言って。」
 俊は噴き出した。「この家のことは話さへんねや。」
「そら、そうやろ。これは秘密の家なんやから。家出する時の隠れ家にもしたいし。」
「そうか。だから昨日、俺が話すのを止めたんやな。まあ、とにかく、この家を完成させようよ。」
「うん。でも、その前にお昼ごはんにしようぜ。」と朝彦が歯を見せて、持参した袋の中から、あんパンを取り出した。家まで昼食に戻る時間がもったいないので、祖母(朝彦にとっては母)に断ったうえで、家に有ったあんパンを持ってきたのだ。ほかに切った梨も持たせてもらっていたし、大きな水筒に入れた麦茶も持参していた。
 2人は、そよ風に吹かれながら、あんパンを食べ、梨をかじり、最後に麦茶を一杯ずつ飲んだ。しみじみと良い気分だった。
 それから、作業を再開。
 網戸として使えるものの心当たりはなかったので、前後の壁も、段ボールを下から少しずつつなぎ合わせて、壁を埋めていくことにした。
 まず裏側の壁を完成させた。壁を作ると、小屋の中が一気に暗くなったので、出入り口となる側は、真ん中から観音開きに、大きく開けられるように作ることにした。
 そして、午後の半ば、林の中では早くも夜の先触れが感じられるようになった頃、小屋は完成した。
 継ぎはぎを重ねた奧の壁がやや見苦しかったが、二人は、その出来に満足して完成を喜び合い、幸せに浸った。
「まだ見張り台は出来ていないし、玄関の階段も作りたいけど、とりあえず、中に入って遊ぼうぜ。」
 俊と朝彦は、入口の扉を大きく開き、中に入って、持ってきた漫画(母親には秘密で買ったものだったが)を読み始めた。ほかにもトランプも持ってきていたので、退屈することはなかった。
 そうやって、生まれて初めて家を持てたことの幸せをかみしめていると、思いがけない来客が現れた。
 森の中にはまったく似つかわしくない、制服・制帽に身を包んだ警察官が4人、藪をかき分けて彼らの方にやって来るのだ。
「なあ、なんかヤバそうやで。」俊が囁いた。
「うん。こっちを見て向かってくるな。何でバレたんやろう。」朝彦がかすれ声で言った。
 恐怖で固まった俊たちの小屋の玄関先まで来て、一番上役らしい警官が、ジロジロと小屋の中や子供たちを眺め回してから、「ここで何をしているんや?」と言った。口調も表情もびっくりするほど厳しく容赦ない感じで、俊は、自分が犯罪者であるような、後ろめたい気持ちを覚えた。
 少年たちが、家を作って遊んでいるのだと説明すると、
「へんな男を見なかったか。」と聞いてきた。
 首を振る二人。
 警官は、危険な犯罪者が刑務所を脱走して逃走中で、この辺りに来ている可能性があるので、捜索しているのだと告げた。
「危ないから、すぐに家に帰りなさい。それから、この小屋は解体して撤去させてもらうよ。脱走犯に利用されたらあかんからな。」と、思いやりの全くなさそうな、その警官は言った。
「自分で解体します。」慌てて朝彦は言った。「解体して、持ち帰れるように作ってあるので。」
「そうか。じゃ、早くやって。」冷酷に警官は命令した。
 少年二人は、唇をかんで、奥の壁をつなぎ合わせているガムテープを剥がし始めた。
 奥の壁を撤去すると、次は、正面の出入り口も、ガムテープを剥がして取り払った。
 じっと見ていた警官たちも、間違いなく解体をする意思はありそうだと判断したのか、
「じゃあ、大急ぎで解体したら、すぐに家に帰るんやで。後でまた来るからな。」
と言い残して、自分たちの捜索活動を続行して、森の斜面を下って行き、やがて見えなくなった。
 それを見送ると、朝彦は、剥がした壁に再びガムテープを貼り付けて元に戻し始めた。
「出来たばかりの家をつぶせるかよ。な?」彼は吐き捨てるように言った。
「うん。でも、また戻って来るって言ってたで。結局は壊されてしまうんと違うか?」
「その時はその時や。今のうちにたっぷり遊んでおこうぜ。」朝彦は言って、剥がしたガムテープで再度壁をつなぎ、小屋をだいたい元通りに復元した。
「今は応急処置程度にしておいて、明日、ちゃんと直そう。」
 朝彦は、無理して平静を装っているが、俊は、警官がまた戻って来るのではないかとか、脱走犯に出くわしたらどうしようとか思って、落ち着かなかった。
 持参した漫画を読んだり、お菓子を食べたりしていても、眼は始終、外を覗っていて、声を潜めて話をしているのだった。

 山に戻って来るカラスの声が聞こえ出すと、それを待っていたように、朝彦が、
「よし。そろそろ帰ろうか。」と言い出した。
「うん。帰ろう。」
 二人は、黙りがちに、小屋を這い出し、山を下った。夕日が差し込む森の樹々が、長い影を曳いていた。
「結局、警察の人らは、やって来なかったね。」俊は言った。
「もしかすると、もう捕まったんかなあ。」朝彦は楽観的なことを言っていたが、家に戻ると、まだ何も解決していないことが判明した。
 鑑別所の勤務を終えて帰宅した祖父が、山科の刑務所を囚人が脱走し、まだ捕まっていないことを告げ、家では常に鍵をかけておくように、子どもだけで人気のない所には行かないように命じたのだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み