第3話

文字数 1,643文字

 ファウストさんの後ろについて歩いている間、彼は私にいろいろな事を聞いてきた。プライベートの事や趣味の事や好きな食べ物の事といった他愛もない会話だ。私が彼の質問に答えると、彼は共感を示したり、時には皮肉やユーモアが入り混じった面白い返答をしてくれた。おそらく、これから私が過去の不幸な身の上話を話す事を考えて、少しでも私の気持ちを楽にしてあげようと彼は気遣っているのであろう。私はこの会話がもっと長く続けばいいのにと思った。
 しかし、楽しい会話をしているうちに私たちは事務所のあるビルに到着した。ビルは5階建てであり、彼の事務所は5階にあるらしいので、私たちはビルの中に入り階段を上り始めた。階段の真横にはエレベーターがあったが、どうやら故障中でどうやら現在は使えないようだった。
 階段を二人で上っている音だけがビルの中をこだました。ビルの階段は暗く、照明も寿命が近いのか明かりがついたり明かりが消えたりを何度も繰り返しており、少し目に悪い感じがした。さらに事務所に向かっている途中で、少しだけ各階の様子も見る事ができたが、どの階も事務所のようなものは存在せず、ほこりの被った用具が散乱していたり、段ボールの山が積みあがっているだけだった。そして彼の事務所のある5階に着いたが、やっぱり他の事務所は見当たらなかった。さっきから不気味な感じがして仕方がない。このビルの異様な静けさはもちろんだが、ファウストさんの様子もおかしい。このビルに向かっている途中は私とくだらないが楽しい雑談をしていたはずなのに、ビルに入った途端、私に話しかけるどころか私の方を一切見てこない。
「私はこの人に着いてきて本当に大丈夫だったのだろうか」
とこの状況に少し疑問と後悔の念を抱いていると、彼は私の方を向いて
「少しだけ、怖い思いをさせてしまったかな?このビルの中には僕の事務所以外には何もないんだ。でも大丈夫もう事務所に着いたよ」
とにこやかに言って、事務所の扉を開け私を中に迎え入れた。
 事務所の中に入ってまず思った事は、このビルの不気味な様相とは打って変わって、明るい内装でキチンと整頓された居心地の良い空間だという点である。中には作業用のデスクが二つあり、どちらのデスクも綺麗に整えられていた。本棚には難しそうな本と仕事に関係しているであろう書類の入っているであろうファイルが分類され見ていて気持ちの良いくらい綺麗に並べられていた。
「金花さん。さぁ、こちらのソファにどうぞ掛けてください。」
彼は、事務所のさらに奥の方に私を迎え入れソファに案内した。私はソファにゆっくり腰掛けると、彼は私の前に紅茶を差し出して私の対面のソファに座った。
「さぁ、あなたの事をもっと教えてください。なぜ自殺を決行しようと思ったのかその経緯を僕に話してみてください。大丈夫、自分のペースで話してもらってかまいませんよ、話すのが辛くなったら無理に語らなくても大丈夫です。紅茶でも飲みながらゆっくりと…ね」
彼は早速、私になにがあったのか聞いてきた。先ほどまでの彼は明るい雰囲気で尚且つ私を包み込んでくれるような優しい大人の気配をしていたが、私の過去を聞こうとする今の彼はどこか子供らしい感じがしたし、何より少し危険で怪しい気配を漂わせていた。私は自分の過去を話す前に質問を彼に投げかけた。
「どうして、私を助けてくれたんですか?」
「助けられるのに、見殺しにしたら寝覚めが悪いじゃないですか。それに僕なら何か力になれるかもしれないと思いましたし」
私は続けて質問した。
「力になるとは具体的に私に何をしてくれるんですか」
「それはまだ言えません。あなたが僕に悩みを教えてくれた後に話します。約束します. 必ずあなたの力になりますよ。私はそういう仕事をここでしてるんです。」
明確な答えは得られなかったが、彼の目を見る限り本当に力になってくれそうな気配がしたので私は彼の事を信じてみる事にした。私は紅茶を一口啜り味わった後、自分の過去を語り始めた。
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