5話 痛みの記憶1

文字数 1,234文字

 母はいつも何かに怒っていた。
 私たちがコップのお茶やジュースをこぼすのは日常茶飯事。
 そのたびに母が怒鳴る。時には手が出てくる。
 そのうち母の手が飛び出す前に、雑巾を持ってくる事を覚えた。

 私よりも、ほっちゃんの方が(たた)かれていたらしい。
 母(いわ)
『あんたは大きくなっていてモノが分かると思った。
 はーちゃんは小さくて手が出せない。
 ほっちゃんがまだ小さくてモノが分からず、多少手を出しても大丈夫なくらいには育っていると思った』

 ほっちゃんは、兄弟の中で一番短気で怒りやすい人になった。
 それが、もともとの性格なのか、母の短気にさらされた結果なのかは分からない。


 3歳児の頃、よく足をひねった。
 今ならあれが『足をひねった痛み』だと分かるが、当時は『なんだか分らないけれど、足が痛い』だった。

 それはいつも唐突で、歩きだそうとしてすぐの事もあれば、歩いていてひねる事もあった。
 なぜなのかはよく分らないが、身体のバランスが悪かったのかもしれない。
 あまりにも頻繁に起きるので、それが普通だと思うくらいには起きていた。
 痛みを誰かに訴えたことはない。それはいつも短時間で消えたからだ。
 鋭い痛みは一瞬で、しばらくは鈍い痛みが続く。それが徐々に消えていく。というのが、いつものパターンだった。
 もちろん、痛みが起きた後はなるべく動かないし、じっとしているようにする。
 保育園ではほとんど動かなかない子で、家でもそんなに激しく動く子供ではなかったので誰も気が付かなかった。

 時には、痛みが起きた後に「お山(体育)座りをして。絵本を読むよ」なんて事があった。
 座るのも痛いので、なるべく長く立っているようにしていた。
 皆が座り終わりそうになるのを見て、そぅーと足を曲げる。
 そして、なるべく痛くない姿勢を探す。

 物心がついたとき、すでに足の痛みとそうやってつき合って生きていた。



 保育園で先生に足の痛みが、バレたことがある。

 その日もいつもの通り、壁際でじっとしていた。
 少し位置を移動しようと足を一歩出した時、ビリッといつもの痛みが足に走った。
 『また、やっちゃった』と思った。
 いつものようにじっとしていれば、痛みも治まると思っていた。
 移動するのをやめて、元の壁に寄りかかる。
 ジンジンといつもなら落ち着く痛みが、痛いままだった。
『気のせい気のせい。じっとしていれば、やがて治まる』
 そう信じて、その場でじっとしている。

 そのうち、きょう先生が「帰りの準備を始めましょう」と言いだした。
 足の痛みは治まらない。歩こうと足に体重を乗せると痛い。
 周りの子達は帰りの準備を始めだす。

 カバンをとって、先生のところに行って、連絡帳を受け取る。
 先生も今日のひとことらしきことを一人一人に言う。
 戻ってきて、カバンに連絡張を入れる。

 皆が動きだして、連絡張を受け取る列に並んでいる。
 半数がすでに連絡帳を受け取っている。
 とりあえず、カバンをとってこようと決めた。

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