川村アヤ 15歳。中学生の時から共産主義に目覚めた。

文字数 9,219文字

※アヤ

チャラい感じの男が私に声をかけて来た。

「おう、嬢ちゃん。暇だったら俺と話でもしないか?」

なんなのこいつ?

伸ばしすぎた髪の毛はぼさぼさ。無精ひげ。
だらしない生活をしてる浪人生って感じの負のオーラ。
肌を見ると若いから大学生くらいの年齢なんだろうけど、
おっさんみたいなダミ声が、不快!!

私は近寄ってくるそいつから、1メートル以上の距離を取る。

「おいおい。別に取って食おうってわけじゃねえぞ?
 親交を深めようと思ってな。
 俺らは同じキャンプで訓練を受けてる同志じゃねえかよ」

気安く…

「あなたの」

「あん?」

「あなたの同志って言葉は、軽い」

「そいつはどういう意味だ?
 仲間のことは同志と呼ぶよう教育されたんで
 使ってみただけだが、気に触ったかい?」

「あなたの顔は、本当のボリシェビキじゃない。
 ボリシェビキは、気安く女の子に声を掛けたりしないはず」

「おっと。ナンパしたつもりはねえんだが。
 栃木ソビエトでは男性が
 女性に声をかけるのは禁止されてるのかい?」

「違う。そうじゃない。あなたは言動が軽い。
 ボリシェビキになる覚悟もないのに、軽い気持ちで
 訓練を受けて、それで良い気になってるだけの、資本主義者」

「そう言ってくれるなよ。俺だってちと事情があってここに来てるんだ。
 話すと長くなるからあえて説明はしねえが……まっ、とりあえずよ!!
 好きでここにいるわけじゃねえのは分かってほしいもんだね」

私は鼻で笑った。

「あんたみたいなエセボリシェビキが増えると、近い将来、内輪もめの原因になる。
 どうせボリシェビキの真の思想を知ったら怖くなって逃げだす臆病者のくせに。
 私はずっと前から、本当の志願者以外は入党させるべきじゃないって、
 ナツキ様にお願いしていたのに、それなのに全然聞いてくれなかった!!」

「ナツキ様って誰だよ。関ジャニの新メンバーの名前か?」

そんな低俗なアイドルなわけない!!
だいたい私はテレビ見ないし。

「高倉ナツキ様のお名前を知らないなんて、さすが俗物。
 栃木評議会(ソビエト)の中央委員会所属の委員。
 つまり我々の行政組織の閣僚に位置するお方なのに」

「そもそも栃木評議会ってなんだよ? うまいのか?
 きのこの山やたけのこの里と何が違うんだ?」

今の問いは、私を始め全ボリシェビキを侮辱した。
私は心に火がついてしまい、
ナツキ様を初め、栃木ソビエトのことをマシンガンの
ような勢いで説明してやった。

そしたらこの男、鳩が豆鉄砲を食らった感じになって、
途中からは興味なさそうな顔していたけど、
構わず10分くらいまくしたててやった!!

これがボリシェビキの革命的情熱なのよ!!

「あー、おめえがそのナツキって男に惚れてるのは良く分かった。
 話が長いんで途中でスマホいじりそうになったがな。
 おめーが男性恐怖症って噂は嘘だったんだな」

「男性恐怖症? 意味わかんない。 
 私は資本主義者の男が死ぬほど大嫌いなだけ。
 話をする価値もない。視界に入れる価値もない。
 そう。あんたと同じようにね」

男がふぅーとため息をついた。

「邪魔したな。気分が悪いんで自分のテントに戻って
 寝ることにするぜ。ガキの戯言には付き合ってられねえや」

だったら何で話しかけて来たの!!
むしゃくしゃする。日本の資本主義者たちは愚図ばかりだ。

夜8時すぎに大雨になる。勢いのある雨水がテントをバチバチと叩く。
ちゃんとペグを打ったか。ロープの張りは問題なかったかと不安になる。
グラウンドシートの一部が浸水してきて、パニックを起こしそうになった。
けど漏れ出したのは一部分だけで、マットを敷いた寝室部分は無事だった。

夜テントの中で一人ってのも、思っていたよりつらかった。
独りでいるのは、小学生の時から慣れていたはずなのに。
小6の時、同じクラスだったムカつく女子達の顔が浮かぶ。

雨は30分で止んだ。

テントから出て、空を見上げる。
くすんだ色の雲だ。大きな雲のすきまから、二等星が輝いている。
この星空を、かつてソビエトの同士達も眺めていたんだろうか。

全ては高倉ナツキさんと偶然出会ったことで始まった。
中学二年の夏休み、私は塾の夏期講習の帰り道を独りで歩いていた。
私は小学生の時から、女の子同士で上辺だけの仲良しごっこをするのが嫌いだったから、
中学に上がってから友達を作らなかった。クラスでは表面上はお話はするけど、
ただそれだけ。プライベートまでは関わらない。

どいつもこいつも、考えてることが幼稚すぎるのよ。
サッカー部でイケメンの男子のうわさ話とか、
○○ちゃんちのお父さんが会社を首になったとか、
女の先生が三十路で婚期を逃してるとか、そんな身近なことなんて興味ない。

私は家で勉強ばかりしていたから、成績は学校でも塾でもトップクラスだった。
それなりに裕福な家庭で両親に大切に育てられたから、
きっと自分も父と同じように立派な仕事につくんだと信じていた。

でも、全部間違っていた。

私が14歳の誕生日を迎える時、父が朝の通勤電車に飛び込んだ。
日本では一時期アベーノミクシューの効果で、大企業の利益が
過去最大化した時期があった。

その時、父は電機メーカーのエンジニアをしていたんだけど、
なぜか早期退職のメンバーに選ばれてしまった。
早期退職とは、会社の求めに応じて早めに職願すれば、
その時期の速さに応じて退職金を多く支給する
という腐った制度。つまり首だ。

私の家は父と母、私の三人家族だった。
父は東京の本社勤務で、栃木に住む私達母子に十分すぎる
仕送りをしてくれていた。父は仕事に専念するため、
私達家族と同居するのを拒んで都内の社宅に住んでいた。

父は解雇される理由が分からず、怒り狂った。
父は優秀なエンジニアで、本社勤務の人だった。
年収は750万を超えていたし、世間的にはエリートの部類だと思う。

母は父とこれからのことを相談するためといい、東京へ行った。
残された私には何もできなかった。
私は家事全般が苦手。勉強することだけが取り柄で、
家の仕事は全部お母さんに任せっきりだったから、
毎日コンビニご飯になってしまった。
買い物がめんどくさい時は、ピザの宅配サービスを利用した。

今は便利な世の中。お金さえあれば何でもできる。

「帰るのが遅くなるかもしれないから」と
お母さんが30万円も生活費を置いていってくれたから、
当分の間は母親なしでも生きていける。

でもお父さんは……。

父はその一か月後、自ら命を絶った。
母ともかなりの口論をしたらしい。
毎朝起きるたびに狭い部屋で怒声が飛び交う日々。

再就職先を探すために就職あっせん業者と何度も顔を合わせ、仕事を紹介される。

エリートの父は、相談窓口で声を荒げていたと母は証言した。
前職に比べて給料が半減。ひどいものでは、三分の一にまで減ってしまう。
40を過ぎた父の年齢では、満足する転職先を探すのは相当に難航した。

父は母に暴力までふるうようになり、朝からお酒を飲んで堕落した。そして……。

私の世界が全て真っ白になった。

私は葬式の最中、父の遺影の前で泣きながら、いったいこの恨みを
どこへぶつければいいのか、分からなかった。
心のモヤモヤを消してしまいたい。父が解雇された本当の理由が知りたいのだ。

父は優秀なエンジニアだったはずだ。
アベーノミクシューの成果で国は豊かになったと、あれほど
自民党が自信をもって宣伝していた。テレビで官房長官も毎日自画自賛している。
母も新聞を読みながら、私達は自民党のおかげで将来安泰だと、
これからも自民党を支持しようと、同じことを繰り返した。

私たち家族を苦しめた原因を作った人間がいたら、
もしそんな奴の正体を知ることができたら、
自分の人生の全てをかけてでも殺してやりたいと思った。


「君、ずっと橋の下を眺めているけど、どうしたの?」

ナツキさんに初めて声をかけてもらえたのは、
ちょうど私が橋の上でボーっとしていた時だ。

きっと落ち込んだ顔してるから自殺志願者だと思われたのか。
水面を眺めていると心が落ち着くから、ここにいるだけなんだけど。

「ここ、こうやってじっとしていると、たまにカワセミが飛んでくるの。
 ほら、あそこのヨシの上にね。お兄さんはカワセミって知ってる?」

「もちろん知っているよ。素敵な鳥だ。
 瑠璃色とオレンジの組み合わせが宝石みたいに綺麗だよね」

「本当に、綺麗です……。でも小さくて、
 ここからじゃ距離が合って、こめつぶにしか見えなくて」

「この写真を見てごらん」

「わあ綺麗。お兄さんが撮ったんですか?」

「あいにく僕には撮影の腕はなくてね。僕の部下がプレゼントしてくれたんだ。
 部下に野鳥観察の得意なソ連人がいてね……おっと、余計なことを言ってしまったかな」

私はナツキさんのスマホの写真のことよりも、
この人の話の内容が気になった。ソ連人……? 部下……?

この人は会社の偉い人なんだろうか。
背は高いし、瞳がすんでいて、とってもきれい。
紳士的な話し方をするから穏やかそうなイメージだけど、
どこかミステリアスで危なっかしい感じもする。

少なくとも私の身の回りにいる身近な大人
(学校の先生とか)にこんな雰囲気の人はいない。

他人に全く興味のない私でも引かれてしまう何かが、この男性にはあった。

「あの、ソ連は崩壊したって学校の授業で習いました。
 あなたはどうして今ソ連人って言い方をしたんですか?」

「あはは。まいったなぁ。
 聞き間違えってことにしてくれると助かるんだけど」

「失礼ですけど、会社員の方ですか?
 どこの会社に勤めてらっしゃるんですか?」

「会社というか……僕の場合は政治組織だからな」

「政治家の方なんですか!? すごく偉い人なんですね!!」

それから私は質問を繰り返したけど、ナツキさんは
愛想笑いをするだけで質問をかわしてしまう。
仕事があるからと、そそくさと帰ってしまう。

残念ね。もっと話がしたかった……。

私は次の日も彼に会えるかと思って、昨日と同じ弁天池にいった。
出流原町にあるこの弁天池は、栃木県の観光名所になるほど有名な場所。
私は気分が落ち込んだ時に寄って癒されている。
ちょうど塾の帰り道にあるから寄りやすい。

澄み切った池の中に色とりどりのコイが泳ぐ。
コイが泳いでいる。黄色のコイも……。泳いでる……。

その日は彼……来なかった。
初めて会った人なのに……胸がドキドキする。
来てほしかった……。けど伝える手段がないし。
こんな感覚、生まれて初めてだった。

同級生の女子がよく言っていた初恋って言葉を昔の私はバカにしていた。
でも今は初恋って本当にあるのだと知った。

次の日も来週も待った。
けど彼は来なかった。
彼と再会したのは、セブンだった。

私は母に買い物を頼まれて、本当はスーパーまで行こうかと思ったけど
距離が離れるので、なら近所のコンビニでいいやと思って寄った時だった。

クールビズのYシャツでびしっと決めたナツキさんが、
コピー機の前で真剣な顔をしていた。
不思議な感覚だった。それに怖かった。
ナツキさん、あんなに鋭い目つきをしている。

事務用紙みたいなのをどこかへ送信していたように見えた。
たかがFAXで送信するのにそんな顔する必要あるんだろうか。
たまたま機嫌が悪いだけ? それに今時電子メールじゃなくて
実物の紙で送信するなんてめずらしい。

「久しぶり。前に会ったことあるよね。覚えてるかな?」

また、あの時の優しい微笑みだった。
私は彼の顔が大好き。

私は正直に、ナツキさんに会えなくてさみしかったと伝えた。
女の方から告白してるみたいで耳まで真っ赤になったけど。

するとナツキさんは、少し照れくさそうに咳払いをしてから、
私をファミレスに誘ってくれた。
この人の雰囲気だと高級レストランの方が似合うけど、
私がお子様だからファミレスになってしまうのは仕方ない。

実はお腹は全然減ってなかったんだけど、彼と話ができればどこでも良かった。
そんな私の気分を察してか、ナツキさんはドリンクバーだけを注文してくれた。
そして初めてお互いの名前を知った。

「川村さんはこの近所に住んでるんだね。
 ご両親も一緒に住んでるの?」

「いえ。私の父は、一ヵ月前に亡くなりました」

「え」

冷静なナツキさんもさすがに固まった。
やば……。せっかく会えたのに空気が悪くなる。

「いえっ!! あのっ、私は全然気にしてませんから。
 父は、その、仕事は真面目だったんですけどっ。
 自民党がいい加減なこと言ってるから私たちは
 それに騙されちゃって。ママもいつもいつもっパパの会社は
 安泰だって…ってあれ? 私何言って…」

私はナツキさんの前だと言うのに、ふいに父のことを
思い出してしまったからか、涙が流れていた。
ナツキさんは空気を読んでお店の外に連れ出してハンカチを貸してくれた。

「最初に君に会った時、すごく心配しちゃったんだ。なんだか深刻な
 悩みを抱えているような気がしてさ。僕のカンは当たったようだね。
 さっきは無神経なこと聞いてしまってごめんね」

「いえっ、本当にいいですからっ。
 私なんかに頭を下げないでください」

この人は、人を思いやれる人なんだと思った。
こんな一度しか会ったことのない小娘なんかに謝ってくれるなんて。

私はすっかり気分が落ち着いたんだけど、
ナツキさんは今度は真剣な顔をして私にこう聞いてきた。

「川村さん。君は自民党が嫌いなのかい?」

「はい。大っ嫌いです」

「そうか。奇遇だね。僕も自民党が大っ嫌いなんだ」

「え?」

ナツキさんは、この時初めて自分の組織について語ってくれた。
栃木評議会。別名、栃木ソビエト共産党……。
ここは田舎だけど、そんな名前の政治組織があったのね。

資本主義の批判の部分は難しくて理解できなかったけど、
自民党のやってる経済政策が間違っていて、多くの人が
苦しんでいることってことは納得しておこう。

私の父の死因についても、ナツキさんがあとで
調べてくれると約束した。連絡先を交換してから別れた。

後日。
ナツキさんからLINEでメールが来た。

どうやら父の解雇理由は、『経営の合理化』によるものらしい。
ナツキさんの説明は、子供の私にも理解できるように
平坦な文章で書かれている。下手な参考書よりも丁寧な文章だった。

でも内容が高度な経営に関するものなので、全部を理解するには私はまだ幼過ぎる。
ナツキさんはそこまで見越したうえで、文章の最後に要点をまとめてあった。

・日本の大手企業は、2017年に一番お金がもうかった。
・もうかった後は、次の不景気に備えて準備が必要。
・だから、お給料をたくさんもらってる人が、邪魔になる時もある。

あれからボリシェビキとして勉強を続け、
高校生になった今の私なら、もっと複雑に説明できる。

日銀の規制緩和の加速により、円安を維持したまま貿易量が
増えた2016年以降に、電気、自動車メーカーを中心に利益が過去最大になった。

しかし、経営上の判断では、45歳から50歳以上で、年次昇給を重ね、満額の賞与を
得ている社員を長期の負債と定義し、整理解雇を断行した。

これは長期経営を考えるうえで重要なことだった。
まだまだバブルの名残の有る45歳以上の世代は、
今の学生たちと違い、デフレ前で物価も賃金も高かった。

その高すぎる(今と比べて)給料水準の彼らに人件費を払い続けるよりも、
彼らの半分の人件費ですむ若者の採用を積極的に行った結果がこれだ。

つまり金のかかるジジイの一部は切り捨て、低賃金が当たり前、
最悪賞与も昇給もない条件さえ飲んでくれる、不景気時代を生きる若者を
採用したほうが、経営上のメリットとなると判断したのだ。

過去最高益を得た状態ならば、若者に対する投資、すなわち
教育を行う資金的余裕が企業に生まれている。
企業は、今後100年の繁栄を得るために中高年の社員を切り捨てたのだ。

この年は特に早期退職(整理解雇)が多かった。
前述の製造業を初め、小売ではセブンイレブン、
低金利で苦しむメガバンク三行など。日経新聞の報道では
二年間の累計で14000人以上が解雇された計算になる。

これらは、脂の乗り切った「幹部クラス」も多数含まれており、
ただの末端作業員を大量解雇したのとは訳が違う。

ナツキさんは言った。

「アヤちゃんは父の敵として恨む者が欲しいと言ったね。
 恨むべきは資本家だ。資本家とは自民党でもあるけど、
 企業そのものといっていい。企業は利潤の最大化を目的として
 行動している。企業にとって従業員とは使い捨てのゴミだ。
 労働基準法も日本国憲法も国民を守ってくれない」

かつてソ連では、全ての企業は国営化されて、
一般の労働者は定時退社が当たり前。解雇もなかったという。
計画経済に基づいて働くので、毎日決められたノルマをこなせばそれで終わり。
世界の市場によって景気が左右されないので、突然解雇になる従業員はいない。

そもそも企業の経営権を握っているのは国である。
国家の中枢を担う共産党員が、企業を管理する。

日本人を初め、世界の資本主義国の国民は、企業の犬だ。
企業を操っているのは、経営者や出資者などの資本家。
やつらにいいように使われて、最後はごみとして捨てられる。

運が良い人は一生同じ会社で働き、最後は満額の退職金を
貰えるかもしれない。今の日本の公務員がそれに当てはまるのだろう。
だが、多くの国民は民間企業で働いている。奴隷として……。


私は月に一度、例のファミレスでナツキさんと会うようになった。
ナツキさんは組織の中枢の人だから、普段だったら時間なんて
取れないらしいけど、私の誘いはほとんど断らなかった。

ファミレスは私たちにとっての政治サロンだった。

「生産手段を資本家に独占させてはいけない。
 僕たちの力で取り戻すんだ。生産手段を、
 国民全員で管理する。それが共産主義の原理だ」

「ナツキさんの言ってることがすごく立派なのは分かります。
 でも本当にそんな社会を実現できるものなんですか?
 資本家の奴らは自分たちの権利を守ろうとするでしょう。
 それこそ命がけで。もし自民党から政権を奪えたとしても
 すぐ奪い返されちゃうかもしれない」

「資本家は国外追放。もしくは収容所送りだ」

「はい?……」

「我々の理想とする社会では資本家は抹殺されるべきだ。
 奴らを生かしておくわけにはいかない。アヤちゃんが
 言いたいのは反乱が起きるってことだと思うんだけど、
 そもそも反対主義者は全員抹殺するのが僕らの仕事なんだ」

下半身の力が一瞬で抜け、失禁してしまいそうになる。
今まで感じたことのない恐怖だった。

この人は、ただ優しいだけの男性じゃないんだ……。
この人の殺すって言葉は、重みがある。
冗談じゃなくて、この人は、過去に何人もの人を殺しているんだ。

でもそれは快楽殺人じゃない。信念に基づいた殺人。
それにこの人が直接手を下しているわけじゃなくて、この人は
テーブルに肘をついたまま部下に命令できる立場の人。
この人の指示一つで、反対主義者は粛清される……。

「怖がらせちゃったようだね。ごめんねアヤちゃん。
 ただ我々の党が、どういう政治をするのかを君に教えてあげたくてね。
 君は、僕から見て十分にボリシェビキになる素質がある。
 僕はこれでも人事をつかさどるポジションにいてね。
 人を見る目はある方だと自負しているよ」

共産主義者にとって、一番の敵は資本主義者や民主主義者など
自分達と反対の考えを持つ人達。人種国籍は関係ない。

同じ日本人でも、資本主義者は敵。
普通だったら同じ日本人を殺すことに抵抗があるかもしれない。
でも、この人たちには全くそれがない。

重要なのは『敵か味方か』

同じソビエトの理想を持つ者なら、モンゴル人でもグルジア人でも
私達の同士。共産主義はグローバルな思想。全世界の全ての人が
同時に革命を起こせば、世界は一つになれる。

私は帰り際にナツキさんにもらったビラを大切にとっておいた。
寝る前に読むのが日課だった。広告のチラシくらいの
大きさで裏表にびっしりと文字が書かれた、2、3枚の紙。

一度に手渡す量は少なくて、会うたびに新しい紙をくれる。

ボリシェビキは、電子メールより紙を好む。
電子上では内務省や警察からハックされる恐れがある。
今でもマイナンバーの活用によって全国民の預貯金残高は
全て政府に把握され、オレオレ詐欺に利用されている。

・コミンテルン。通称、第三インターナショナル。
 我々はかつて滅亡してしまった国際組織を復活させる。
 国際スパイ組織の歴史や詳細は、後日配布されるビラに掲載予定。

・足利市にある『学園』の入学案内。
 『学園』は特定の地名や法人役員の名前を有さない、世界で唯一の私立校である。
 『学園』では生徒の間に階級の上下はない。
 階級の敵をせん滅するための ボリシェビキを養成するための高等教育機関。

私が今年受験なのを知ってこのビラをくれたのね。
つまり私に学園に入れってことなんだろう。もちろん普通の学校なんて
絶対にごめんだから、ナツキさんのコネで推薦で淹れてもらうかしら。
なんて卑怯なことを考えていると。

「ナツキさんの隣で写真に写ってるこの女は誰……?」

校長は若い女だった。どう見ても日本人なんだけど
どこかエキゾチックというか、異国情緒あふれる女だった。
悔しいけど、ものすごく綺麗だ。
スーツ姿が良く似合ってるし、おだやかな微笑みと
後ろで結った髪型がすごく知的な印象を与える。

名前は高野ミウ……?
どこかで聞いたことがあるような。

それは学園の幹部5名による集合写真。
ナツキさんは今は学校関係者じゃないけど、
市議会の代表として出席したって解説に書いてある。

ミウという女が、ナツキさんと肩を並べてる姿がなんか怪しい。
仕事の関係にしては距離が近すぎる気がする。
苗字は違うから結婚してないんだろうけど、付き合ってるのかな?
女のカンだけど、この二人は普通の関係じゃないような気がする。

私は学生だからナツキさんとはたまにしか会えないけど。
この女は仕事の関係でよく会えるんだろうな。彼と。

胸の奥に何かが刺さる。
私はナツキさんに電話してみようかと思ったけど、

夜の8時過ぎ。
彼は多忙だから出てもらえるわけがない。
メールするのが無難だろう。

ナツキさんは、その日のメールは必ずその日のうちに返してくれる。
返事が来たのは11時過ぎだった。

『ミウと僕は同い年でね。
 学生時代に僕が生徒会長。ミウが副会長だったんだ。
 ミウは大学卒業後に結婚して子供もいるんだよ』

なんだ……既婚者だったのか。
だったら安心した。でも下の名前で呼ぶほどには親しいようだ。

それに高校生の時に二人で生徒会のトップをやっていたなんて。
私の知らないナツキさんをこの女は知っているのね。
ナツキさんはミウは少し怒りっぽい子だったけど、
組織をまとめる才能はすごかったって言っていた。

彼がそこまで褒めるんだったらどんな女か、この目で見てみたい。
私は学園のオープンキャンパス(学園案内)に参加することにした。
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