第十三話 出口へ

文字数 4,415文字

オリビアは、グリンデの忠告を守り、ひたすらあの赤い球体を辿っていた。額の汗を冷やす微かな風が、彼女が既に出口に近い場所にいる事を教えている。
ふと天井から、細かな砂の粒が頭に降りかかった。
(……グリンデさん、大丈夫かな)
数秒前から感じているこの妙な揺れが、余計にグリンデを気にかける理由を煽っていた。長く、小刻みに揺れるこの振動は、少し前に見せられた、あの岩の扉から発せられるものとは、種類が異なるのが、はっきりとわかる。
(……もしかして、あの大蛇が何かしたんじゃ!)
立っていられない程のものではないが、揺れは大きい。殆どの人間は予期せぬ事態が起きた時、悪い方向へと思考が急ぐ。少し無鉄砲なところのあるオリビアでも、やはりこの時は、その例に習った。
脳裏には、あの大蛇がこの振動を引き起こしている姿がはっきりと浮かんでいる。尻尾を何度も地面に叩きつけ、グリンデを追いやっているのではないか。もはや最悪の事態しか想像できない。
今すぐにでも引き返し、グリンデの元に駆けつけたいが、自分が行ったところで何が変わるというのか。それに彼女には考えがあると言っていた。
(きっとグリンデさんの魔法によるものだわ)
そう自分に言い聞かせたが、何か引っかかる。仮に外で待っていたところで、もし彼女が戻ってこなかったら、これからどうすれば良いのか。
(……確かめるだけ)
大蛇に見つからないくらいの距離でこっそり見守っていれば良い。気付かれなければ問題ない。
それにもし本当に先程考えたような、最悪の事態が起きていたら……そう思ったら迷っている時間はなかった。オリビアの足は再び地底へと向かった。

グリンデと別れた地点まで、目と鼻の先の所まで行った時だった。大きな爆発音と、その後、岩が崩れるような音が行く先から鳴り響いてきた。
それを聞いて嫌な予感は益々増してきた。辺りの生き物に気配を察せられないように、と気を配らせていた足元は、すっかり静寂を忘れている。
(もしもグリンデさんの身に何かあったら、この世界はどうなるの?)
思い切り駆けているからだけではない。鼓動は大きな音を立てていた。

見覚えのある、開けた空間に辿り着いた。
(たしかグリンデさんはここを下っていったはず……)
そう思いランタンの灯りで斜面を照らした時だった。何か大きな生き物二匹が蠢いている姿が目に入った。その生き物たちが向かう先でもう一つ何かの塊があるように見える。
オリビアは大きな音を立てないよう、うまく両手を使いながら、岩たちがつくる斜面を下っていった。
辿り着いた先の地面には、身を隠せるほどの大きな岩が転がっており、それを背にして、再び先程見た塊に目をやった。その塊は黒い布をまとっており、ランタンの灯りで細く影を伸ばしている。
(う、うそだ!)
それはグリンデ以外の何者でもなかった。彼女は、さっきの音の原因なのか、崩れて山のように積み重なった岩たちに、覆いかぶさるようにして倒れている。
上から見た時に蠢いていた二匹の生き物の正体は、たしかグリンデが【ロックワーム】とか呼んでいた、百足のような姿をした蟲達だった。先ほどの音で驚いて、辺りを探っているのかもしれない。うろうろと、グリンデの近くをゆっくりと徘徊している。
グリンデもスノウミントの香水を振りかけており、おそらく完全には存在を気付かれてはいない。だが流石に前足で触れられようものなら、ごまかせるはずがないだろう。もうすぐという所で、その前足は動いている。
ロックワームは、グリンデと離れてから、出口を出る際にも何度か見かけていたが、彼らは足が遅いのもあって、こちらの存在に気付かれたとしても全力で駆ければ、逃げられる程度のものだった。出口に向かうまでの道中は相手にもしていなかったが、今はそんな事は言っていられない。
(助けないと!な、なにか投げるものを!)
とっさに近くに落ちていた、拳大の石をつかんでいた。石は勢いよく投げられ、放物線を描き、ロックワームの背中に当たった。
ロックワームは、キキッと金属を引っ掻くような声をあげると、オリビアがいる場所とは別方向の暗闇へ消えていった。
だがそれは二匹のうちの片方だけで、もう一匹のほうは、その音に反応し、前足を大きく上げ、辺りを探りだした。彼らは光を認識しない、とグリンデから教わったのを覚えていたが、どういう理由かわからないが、オリビアがいるところを怪しく感じ取っているらしく、ゆっくり、のそっとこちらへ近づいてきている。
一度引き返して、上から石を当てればなんとかなるかもしれない。そう思ってきた道を見上げた時だった。灯りの先に、何かが蠢いている。なんと、もう何匹かのロックワームがこちらに向かっているではないか。
(ど、どうしよう!)
駆け出して自分自身が囮になろうか。時間を稼いで回り込み、その隙にグリンデを助ければなんとかなるかもしれない。そう思ったが、やはりその判断はとても危険な香りしかしない。
向こうは何匹いるのかわからない。先ほどの岩が崩れる大きな音で、もしかしたら十匹以上この空間に集まってきているかもしれない。ただでさえ岩が転がっていて歩き辛い。どんな地形になっているのかわからない場所でもある。囲まれたらどうすれば良いのだろうか。やはりそれは賢いとは言えなかった。
ただ、怪しまれているとはいえ、向こうは完全にこちらを把握できてはいない。最善の策としては、この疑いを散らすために、どこかに興味を引き付けるのが一番正しいと思われた。どこか遠くの別の一点にロックワーム達を集め、それに興味を惹かれているうちにグリンデを救出するのが一番良い。
光を感じないとするならば、どうやってこちらを認識しているのだろう。考えられるとするならば、やはり音や振動を頼りにしているのではないか。岩が崩れる音に反応して、ここに集まってきている様子もある。それに先ほど石を投げた時、軽く地面を擦って、音を立ててしまったような記憶があった。それを疑って、こちらを探っているのではないか。
ではもう一度、音を立てずに石を投げるしかない。そう思ったが、辺りに丁度いい石は一つもなかった。
(な、なにか投げれる物を!あ、あれだ!)
それは服の内側に入っていた。洞窟を入って間もない頃に渡された、あのスノウミントの香水の瓶であった。ガラスでできているだけあって、大きな音が鳴るのは想像できる。
もう一度中身を再び首元に振りかけた。思えばこの空間に来た時、少しかび臭い匂いがし始めたような気もする。もしかしたらスノウミントの効力が薄れていたのかもしれない。それも伴って、ロックワームは自分の存在に気づきつつあるのかもしれない。
どちらにせよ急がなければ。ロックワーム達はすぐ傍まで来ている。
オリビアは出来るだけ遠くに飛ぶように、思い切り力を込めて瓶を投げた。数秒後、ぱりんと想像通りの音が遠くで鳴った。
岩の隙間から覗いていた、あのロックワームは、やはりその音に強く反応した。音のした方へ前足を向け探りだすと、それへ向けて動き出した。
(はやくどこかへ行って頂戴……)
一秒がとても長く感じる。ただ、今動いて見つかっては元も子もない。焦る気持ちを抑えながら彼らが遠くに行くのを待つしかなかった。

暫くして、気配がなくなった頃に、オリビアは音を出来るだけ立てないように、グリンデへと駆けつけた。
グリンデは横向きにして倒れており、向けられたランタンの光が、血色のない青白い肌を照らし出している。額は大粒の汗にまみれており、ただ事ではない状態であるのが一目でわかった。
「グ、グリンデさん!」
耳元に投げられた囁き声は震えていた。
「……こ、小娘」
グリンデは、その震える声に微かに反応した。そのあとも何か口を動かしていたが、聞き取れない。
「た、立てますか?」
「……あ、あぁ」
グリンデは微かに返事をすると、腕を伸ばした。その手先は小刻みに痙攣している。
オリビアはその手を握ると、思い切り後ろへ引っ張り上げた。
(つ、冷たい!)
グリンデの手は氷のように冷たく、生気を感じるのがやっとだった。
手を引かれた勢いで、グリンデは、辛うじて立ち上がる事ができた。しかし、その表情は苦痛に歪み、身体はふらふらと揺れている。
オリビアは彼女に肩を回した。少女には耐えるのがやっとなくらい、重い力が膝にかかった。
ゴブリンたちは背が低かったと聞いている。きっとあの岩を下るより、別に使われていた安全な道があるはずだ。空いている右手でランタンを持ち、辺りを見渡すと、灯りを向けている方向に、うっすらと道らしきものが確認できた。それは滑らかに、回り込むような形で上へと続いているように見える。
グリンデの意識があるうちに、急いで外に出なければ。二人はゆっくりとその道を進み始めた。

やっとの思いで、ロックワーム達を見下ろした、あの岩が連なる場所まで辿り着いた。心なしか自分にかかる体重は重くなり、震えはどんどん増している。
「グ、グリンデさん。もう少しです……頑張れますか?」
「……あぁ」
もはや返事も最低限のものしか聞こえてこない。
もう少し。それは大きな嘘だった。そうでも思わなければ、自分も心が折れそうなくらい、身体も精神も疲弊していた。
だが、止まる訳にはいかない。赤い球体が示す、狭い道を進み、次の開けた空間を目指す。
何とか、その開けた空間に差し掛かった時あたりから、背中を伝うグリンデの震えが強さを増してきた。
「あ、あと少しですよ」
「……」
とうとう返事がなくなった。
それから一歩踏み出した時、大きな負荷が両膝を襲った。
(ま、負けるものか……)
オリビアは気力を振り絞り、足を踏み出す。
(も、もう一歩……)
そう思い再び足に力を入れた時だった。緊張した糸をぷつりと切るように、足に力が入らなくなった。
(そ、そんな!)
想いに反して、勢いよく膝が曲がり、全身が地面に押し付けられた。辺りに空しく、どさっとなだれ込む音が響き、ランタンがごろごろと音を立てて転がった。
ここまで重力を憎んだことはない。手のひらで地を抑え、起き上がろうとするも、背中にかかるグリンデの体重には逆らえなかった。グリンデは、オリビアの背に十字を描くようにしっかりと覆いかぶさっている。
オリビアの手足の疲弊も限界に達していた。動かそうにも地をかすめ、ざりざりと擦るだけで、まるで何の役にも立たない。指に力を込めようとも、地面に窪みが生まれるだけで、現実は変えられなかった。
頬に触れる小石の痛さも、あまり感じなくなってきた。少女の目から一筋の涙が零れ、洞窟の地面に小さな染みを作った。
とうとう二人はそのまま、起き上がることが出来なくなってしまった。
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