「忘れられない友達」

文字数 1,798文字

「私たちって付き合ってたの?」
 あの夜、背を向けてベッドに腰を掛けた彼女は、胸元で下着を整えながらそう言った。

——お客様の同意を確認することが大切です。ニーズだけを捉えて提案を勧めることは認識のすれ違いに繋がります。
 新入社員へこんなトークをマニュアル通りに述べる自分に、あの日の彼女の言葉は鋭く深く、思考と心をザラザラとしたノイズまみれのフラッシュバックへと誘う。
 湧き上がってくるのは後悔じゃない、自責の感情とも違う。
「ずっと友達でいましょう」
 抗いたかった。納得なんてありえなかった。恋人の定義とは何だろうかと声をあげたかった。彼女の言葉こそ使い尽くされたマニュアルトークだったはずなのに。
 食事や旅行、イベントやサプライズ、二年という月日の夜をも共にした関係は何だったのだろう。しかしながら彼女が恋人であったにしろ何であったにしろ自分は最後に初めて二人の関係を確認してラストワードに同意した。友達でいること、良き同僚でいることを選んだ。
 そうした理由はちっぽけなものだったのかもしれない。頭をよぎったのは同僚であるということ。加えて子供のように抗うことをする自分を認めない理性だった。今後も会社で彼女と顔を合わせることに波風を立てず、良き男性、大人としての判断をするべきだ。そうする事が正解なのだと。

 未練。それは季節が移り変わるよりも先にざわめき始めた。
 彼女と友達の関係に同意した後は文字通りの同僚としての関係となった。メールやアプリでの連絡はぴたりと(つい)え、会社以外で彼女と接する機会も当然に失われた。
 もともとオープンな性格だった彼女はSNSの発信も活発で、自分だけが知る彼女の匿名アカウントを目で追うことを止められなかった。見るべきじゃない、未練がましい自分を再確認するだけだとしても、どこかでもう一度、次は恋人として同意を得てやりなおしたい願望があった。関係を解消したはずの社会的な理性と、願望として復縁を望むことへのバランスは理屈でコントロールできるものじゃなかった。
 SNSの画像とテキストを追えば追うほどに、タイムラインは彼女が別の男性と行動を共にし、海外旅行を楽しむ姿を赤裸々にしていった。彼女が他の男性に抱かれているという妄想は追い打ちをかけるように夜毎(よごと)に自分の身体を悩ませ、男としての(さが)を抑え込むために彼女に似た女性をポルノサイトで探しては嫌悪するという汚い夜ばかりが未練を染めあげていった。

 一年後、彼女の結婚披露宴に招待を受けて出席することになった。
正直出席などしたくなかったが会社を挙げてのお祝いや余興が準備され、精一杯の笑顔でその席をやり過ごす以外に自分に選択肢は無かった。初めて顔を見た彼女のお相手は所謂(いわゆる)本社の上役であり、彼女の一ダースは年上の年輩男性だった。
 二次会で酒が回った頃、ふと自分は思いを馳せた。どうして忘れられないのだろう、祝福の日を迎えた彼女をなぜ今も忘れられないのだろうか。スクリーンに映された新郎新婦の馴れ初め映像を見て、彼女が自分と一緒だった頃からお相手とアウトドアを楽しんでいたことに未練が再燃したのだろうか? 
 理性が訴える答えは自分も幸せな結婚をして向上すべきだ、プライベートの時間を増やして別の出会いに向かうべきだと訴えている。無責任に、それこそ自分の同意を無視した正論だ。そんなテンプレの理性が次々に疑問を掻きたてる。
 友達? 彼女はいつから自分を友達として見ていたのだろうか。自分は……

***

「連絡をよこさなくなったのは貴方でしょ? 私は構わなかったのに」
 ベッドに腰を掛け、髪をほどきながら彼女はそう言った。身体を包むバスタオルからはいつもの清涼な香りが漂う。
「友達、なんだよな、俺たち」
「そうよ、最初から貴方とは友達。今も変わらないの。忘れないで? 私のこと」
「そのさ、今の関係っていうのは、不倫ってことでいいのか?」
 寄り添った彼女は指を絡め、いつもの悪戯めいた顔で結婚指輪を俺に外させた。
「まさか。あの人だって愛人は抱えているのだし、それに自分より年上じゃなきゃ遊んでもいいってお墨付きなの。貴方はフリーだし、お互いに不倫はしていないわ」
「今度はきちんと同意しよう、俺たちの、この関係が友達ってことを」
「そうね、もう忘れないで、私たちは友達だから」
「忘れることなんて無い。忘れられないさ、キミはそういう友達だから」
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