第3話 ついに爺と婆へのお仕置きが始まった

文字数 4,221文字

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 暫くの時が経ち、この年寄りだらけで、活気がなく、老人の年金と介護費用の為に国の借金だけが増えていく、永遠に停滞した世界が続くように思われた。しかし、世の中はところがどっこいそうはいかんという事が度々起こるものだ。力があまりにありすぎる者がその力を過信するあまり、弱い者の力を侮るという事で起こった逆転現象は歴史上に見受けられる事が多い。今回もその例の一つだ。
 老人政治家達は若者の力を侮っていたのだ。だが、それも無理はない。老人政治家の権力基盤は老人票によってできている。老人以外の若者や中年はそもそも、この時代においては政治に興味を失っていた。老人があまりにも多すぎるこの世界において、若者や中年が団結してもそんなに力が発揮できるわけではない。おまけに、若者はファッションや恋人や音楽に興味があり、中年は仕事と子育て、ローンの返済とゴルフに大変だ。老人みたいに時間が余っているわけではない。老人政治家にとっては権力基盤として重視するには老人以外は数が少なすぎる。民主主義は数が力なのだ。質は問わない数が力なのだ。余談だが、本当の質を問う民主主義は未成年に選挙権・被選挙権を与えないだけでなく、八十歳を過ぎた老人にも与えない。この事が徹底されている国があるだろうか? なぜ人は歳をとると大人から子供に帰るという事実を直視できないのだろうか?
 まあ、御託はともかく、老人政治家達が力をあわせて、ある法案を可決した。それが、先程も説明した。 
「四十五歳未満の者は年金を九十歳から支給する」だ。
 しかし、よくこんな法案を通したものだ。常識的な視点で言えば、あきれて物も言えない。エゴイズムの塊のような法案であり、生類憐れみの令に匹敵する悪法だ。
 この法案は破綻しかけの国家財政を無視して、老人政治家と老人の国民が結託する事で、若者や中年層を犠牲に自分達の世代だけ勝ち逃げできるように仕向けた法案である。後の日本への完全な無関心と無責任、自己中心の塊のような法案である。老人達は中年や若者の政治的無関心からこのような法案は上手くいくと思っていた。政治的無関心とは決して、完全に無関心という事ではなく、一定以内の損失であれば、諦めざるをえないという態度をともなっている事を理解できなかったのだ。一定以内の損失であればと言う事を・・・・。
 法案が可決された日は何も起こらなかった。そして、次の日も、一週間後も、一ヶ月後も何も起こらなかった。そして、ついに事件が起こったのだ。それはこういう事件だった。
 ある時、若者が電車で老人優先の座席に座っていた。
 「すいません、席を譲ってくれませんか?」
 「ヤダね」
 「お年寄りに席を譲るのは常識の範囲だ、そこを今すぐにドケ!」
 「老人に生きている価値があるのですか? 価値のある人間がここに座る権利がある」
 「お前らに何か生きている価値があるのかな?」
 「じゃあ、あんたら老人にイスを作る事ができるかな? それも効率的に? イスを作れる人間がイスに座れないで、イスを作れない人間がイスに座るのはおかしくないか? 狩の時に獲物を取れる若い狼が餌にありつけないで、狩の時に獲物を取れない年老いた狼が餌にありつくのはおかしくないか?」
 「じゃあ、子供の狼の時に餌が取れないのを、与えてあげたのは誰なのかな? 私達年老いた狼じゃないのかね?」
 「その事は理解できるが、少しは遠慮したらどうだいジイさん? 若い狼の世代からの贈り物である年金で堂々と威張って生きるんじゃなくて、謙虚に紳士らしくしたらどうだい。そうしたら、席を譲ってあげるよ」
 「じゃかあしいわい! そこどけ若造」と叫んで老人は若者の襟首を掴んで、電車の席から引きずり降ろそうとした。だが、若者の襟首を老人が掴んだ瞬間に、駅員がその事に気がつき、仲裁に入った。そこでこの事件は終わったように見えたのだが、実は終わってなかったのだ。
 この若者とそれに共感した若者グループがこの事件の顛末に不満を持ち、檄文を撒きながら、町で老人を暴行し始めたのだ。檄文の内容はこうだ。
 「老人と若い世代は確かに助け合わなければならない。しかし、老人の最近の傲慢にはヘドがでる。老人は私達、若い世代の幼い時に確かに飴玉を与えてくれた。しかし、若い世代は飴玉に対して、莫大な利子を請求されるのだ。それは複利であり、搾取である。飴玉に対して黄金のビー玉を請求されるようなものだ。老人の正体は高利貸しである。高利貸しに人権はない。若者よ。高利貸しを打倒しろ! 中年も我々に続け」
 このような檄文の内容を撒きながら、老人に暴行を付け加えたので、一部の過激な吟遊詩人や若年貴族が暇つぶしをかねて、同じく、暴行に加わった。そして、それは若者の不満を代弁した事もあって、猛烈に広がった。東京はスラム街となったのだ。
 おまけに、この私、吉村も自慢ではないが、隠れて暴行に加わった。暴行に加わるのを親に見られたら、泣かれる。おまけに足が付く可能性も考えられるので、覆面をして、家の窓から夜中にコッソリ出て行ったのだ。
 町は若年貴族や吟遊詩人と機動隊がもみ合っていた。若者は機動隊に火炎瓶を投げつけ、機動隊は盾と棒で反撃しているような状態だった。そして、その周りは血まみれの老人が転がって、倒れており、中年がひきながら見ていた。その時に私は機動隊に火炎瓶を投げつけるような事はしなかった。恨みがあるのは機動隊ではなく、老人だからだ。そして、ある言葉をひたすら念仏のように唱えながら、血まみれになっている老人の頭を踏み続けた。
 「この馬鹿野朗! くたばりぞこないめ」
 「この税金泥棒の高利貸しめ! 今すぐ三途の川に送ってやる」
 「クサイ、クサイ、クサイ、ジジババクサイ」
 更に効果が期待できるように尖ったスパイクが付いている靴をはいてきた。今までの恨みはらさずにおくべきか! このような暴動はめったに起こる事はない。特に日本ではまず起こらない。千載一遇のチャンス。空前絶後のチャンス。
 私はドサクサに紛れて、血まみれで倒れているジジババの頭や胸を尖ったスパイクがついている靴で踏み続けた。中には意識があって「止めてくれ」「助けてくれ」という奴らもいたが、無視し続けた。更にあの泣き叫ぶ声は私の同情よりも、サディズムの心に火をつけた。「バキッ、ボキッ」と足の下で胸の骨や頭蓋骨が折れる音がした。大量報復をしたかったので、ジジババを踏み続ける時間は一人あたり、三分と決め、一時間、踏み続けたので、ざっと二十人は踏めたと思う。踏んだのはすべて七十歳以上だ。
 しかし、これを後で振り返って考えると人間という物は悪魔になれるもんだ。あのジジババを踏み続けた時の心情を振り返ってみると、同情だとかそういう気持ちは全くおこらなかった。ただ、自分が強いという優越感と相手が醜く崩れ落ちていく様子への好奇心と火炎瓶から発生する火とが相まって、何か得体の知れない感情につつまれた。まさしく、シャーマンが陶酔し、神と交信するような興奮だ。
 又、私には二面性がある。ここでジジババの顔面を尖ったスパイクがついた靴で踏んでも、明日には母や妹や父に優しくし、近所の友人にも愛想よく普通に接するだろう。そして、ここでやった悪事は絶対に言わない。私の仮面が日常の世界でバレては困るのだ。優しい私に優しくしてくれる人々は私にとってはかけがえのない人である。そして、ここで命乞いをする人々も私にとっては必要だ。私が優しい人でいるには必要な人々である。それはなぜかって?
 それは私の中に二つ相互に矛盾する感情が同居しているからだ。この矛盾を相互に満たさないと私は生きていけない。人に優しくすると、どんどん人を殺したくなる気持ちが強くなる。そして、人を殺したくなる気持ちが強くなると今度は人に優しくしたくなる。両方を満たさないと生きられないのだ。そして、そういう自分自身を私は好きだ。それは正義にかなっているからだ。この善、悪の両面が人生にとっては必要だ。それも、合法という枠の中で収まらなければならない。しかし、私はどうやら合法の枠には収まっていないようだ。合法の中での善と悪のバランスが取れる事。私はそれに憧れているが、どうやらそういった枠に私ははまらないようだ。
 そして、翌日の新聞には暴動の事が大きく出ていた。
 「死者二十人、重軽傷者百人、逮捕者五十人」
 死者は私が踏んだ老人と同数だった。でも、覆面をして、火はあるが、闇夜の暴動の中、どさくさに紛れて、踏み続けた私はどうやら逮捕を免れたようだ。もちろん用心深い私は手袋をつけ、指紋がつかないようにした。おまけにそれだけではない。服の中には沢山の綿をいれて体形を変えた。更には綿をブラジャーの中につめこんで偽のおっぱいまで作って、性別まで変えた。最近は科学技術の発達や管理社会の影響でおもわぬ所から足がつく事がよくある。その典型例が監視カメラだ。間抜けな犯罪者は町中に監視カメラがはりめぐらされている事を知らない。だから、監視カメラの前で堂々と犯罪をやるアホが沢山いるのも事実。おまけに監視カメラも監視カメラとわからないように形状が工夫されている物も多い。
 だから、こういう時代に生きている私達は犯罪をする時、特に注意しなければならない。過去の時代は日常の常識で犯罪が露見するか、しないか判断する事ができた。指紋もなかったし、DNA鑑定もなかったし、監視カメラもなかった。善人が馬鹿を見る時代。しかし、今は善人が救われる時代だ。高度な科学技術が悪人を監視し、逮捕するシステムが確立している。最近は令状さえあれば、GPS捜査だって可能なのだ。だから、馬鹿な悪人は完全淘汰される。今、生き残るのは知識と教養で武装した勇気のある悪人ともしくはインテリの相談役と馬鹿で勇気のある実行役で編成された犯罪組織のみだ。
 まあ、話はそれてしまったが、家に警察が着てないという事は犯罪が露見はしていないという明確な証拠だ。未だ、堂々とジジババを殺せないのが口惜しいが、それは仕方ない。政治権力をジジババが掌握しているから仕方がない。今の悪さは政治権力がよそ見をしている間に、コソコソ隠れてするしかないのが現状だ。
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