第8話

文字数 3,295文字

 ユニットのメンバーは自然とユニットに集まっていった。勿論、その中には丹野も含まれる。あの施設長や主任の説明では納得できないと誰もが感じ取っていた。
「どうして何も家族さんと話しちゃいけないの? それが全然分かんない。施設長も主任もバカじゃないの」
 若菜の怒りのトーンは天をも突き抜けんばかりであった。
「怒る気持ちは分からないでもないけど、ここで言うことじゃないよ」
「丹野さん、じゃあどこで怒りをぶつけたらいいんですか? 青嶋さんのことに関しては、私たち、ほとんど部外者じゃないですか。全部上で決まってしまって、私たちには指示が下りてくるだけ。しかも、その指示は二転三転してばかり。こんなの、誰を信用したらいいんですかっ」
 興奮しすぎて、感情のコントロールができなくなっている若菜の眼は潤んでいた。そして、丹野の元に身を寄せ、彼女は泣きじゃくった。いつまでも、長いこと泣いていた。


 その日の晩、丹野は結衣を職場まで迎えに行っていた。結衣は普段、電車を使って、地元の銀行に通勤しているのだが、今日はどうしても会いたいというので、迎えに行くことになったのだ。
「ごめん、急に迎えに来てなんて言って。マー君も大変な時期だからどうしようと思ってたんだけど」
「いいんだ、一人だといろいろ余計なことを考えてしまうからな。気を使わなくていい」
 車に乗った二人はそう会話を交わすと、同じタイミングでシートベルトを締めた。発車すると、すぐ結衣の方から
「あの、今日会いたいって言ったのには訳があるの」
 と声をかけてきた。
「訳って?」
 と丹野は短く返した。その返しが怖かったのか、結衣は
「それは後で話す。今日はマー君の家に行きたい」
 と震えながら言った。
「何だよ、それ。何もったいぶってるの?」
 丹野がそう言うと、結衣は黙りこくってしまった。しばらく、沈黙が続いた。窓の外ではようやく日が沈み、薄暗がりが広がりつつあった。沈黙の中、オーディオから流れる女性シンガーソングライターの歌声が車内を覆っている。
「分かったよ、後で話聞くから。ただ、俺ん家行っても、冷蔵庫空っぽだから、スーパーに寄らなきゃな」
 丹野が話すと、再び沈黙の時間が訪れた。

 スーパーで惣菜を買い込むと、丹野と結衣は車を飛ばして丹野の住むアパートに戻った。部屋が散らかっていたので、先に丹野が部屋に入って、片づけをした。散乱していた酒の空き缶をベランダに放り投げ、脱ぎ散らかした服をハンガーにかけたり、洗濯機に放り込んだりした。見られては困るエロDVDをいつもの隠し場所に入れ込んだ。そのようにして、結衣を迎える。
「お邪魔します」
 といつも言わないことを言う結衣を、丹野は訝しげに見つめた。テーブルの上にはスーパーで買ったものが袋のまま置かれている。二人は無言のまま、買ってきた惣菜を並べた。冷蔵庫に入れておくべきもの、例えば、デザートや酒の缶などは冷蔵庫に入れておいた。全て並べ終えると、
「ところでさ、車の中で言ってたことなんだけど……」
 と丹野が言いかけた。結衣はそれを遮るように、
「おなかすいたから、先に食べようよ」
 と囁くように言った。丹野は結衣の何かをごまかすような態度が気に入らず、一瞬怒りが込み上げてきたが、それよりもユニットミーティングを終えたという疲労が勝った。振り上げた拳を下ろすことになり、小声で
「分かった、食べようか」
 と言うしかなかった。黙々と丹野は焼肉弁当を、結衣は中華丼を食べ、さらに彼女は缶チューハイを飲んだ。少しずつ酔いが回ってきたのか、
「車の中で言ってたことなんだけど、あの続きを教えてくれない?」
 と言う丹野の問いに、少しずつ答えを言い始めた。
「実はね、今度お見合いすることになったの」
「お、お見合い?」
 丹野はたまらず、弁当を噴き出してしまった。二人で慌てて、噴き出したご飯の類をティッシュで集める。
「お見合いって、何で断らなかったんだよ。それに今どき、お見合いってこんな田舎でも聞いたことないぞ」
「部長直々の頼みだったの。だから、どうしても断れなかった。でも、会うだけでいいって上司が言ってたから、勿論、断るけどね」
「当たり前だ。俺の虫の居所が悪かったら、追い出してるところだ」
 丹野が結衣に厳しい視線を送ると、視線を逸らして、その場に座り込んだ。
「でも、結婚していたら、こんな風になることもなかったんだよ」
 ボソッと呟く、丹野はひどくたじろいだ。
「バカ言え、それとこれとは別問題だ。今回のお見合いの件は仕方ないにしても、結婚はままごととは違うからな」
「ままごとって何? 私だって真剣に考えてるんですけど。マー君しかいないって思ってるし、お金の準備もしてる。でも、マー君は結婚をどう考えているのか分からない。貯金してるのかも、怪しいし。だから、薄給の仕事なんか辞めて、違う職種に転職してほしいと思ってる。今がそのラストチャンスだよ」
 丹野が拳を握りかけた瞬間に、結衣はこらえきれず、泣き出してしまった。我に返った丹野は、結衣を見て、しばらく呆然としていた。もし、泣き出さなかったら、丹野は彼女の顔めがけて拳をお見舞いしていたかもしれない。
「ごめん、俺は結衣に対して誠実でなかったのかもしれない」
 そう言うのが精いっぱいだった。結衣の言ったことが図星だったからなのか、結衣を殴ろうとしていたことに驚いたからなのかは分からないが、それ以上は何も言えなかった。
「一服してくる」
 そう言って、家の外へ出ていった丹野はいつもの電子タバコを机の上に置いてきてしまったことに気が付いた。だが、しばらく家には戻れそうにない。タバコを諦め、外を散歩することにした。
「結衣があそこまで思い詰めていたとは知らなかったな」
 そう呟くと、薄暗い街灯に照らされた道を一人歩いた。その様子はひどく打ちひしがれていて、誰も近寄れないオーラを纏っているようだ。


 ひとりで丹野が夜道を歩いていた頃、部屋にポツンと残された結衣は窓の外から夜空を眺めていた。初夏の夜空には星が散りばめられている。
「そういえば、初めてデートしたときも、夜空を眺めてたんだっけ。確か、近くの峠道を下ったところに駐車場があって、そこから星を眺めようって、マー君が言ったんだよね」
 そう言いながら、結衣はあの頃を思い出していた。
「あの頃は何も先のことなんて考えてなくて、いや、考えなくてよかったのよね。だから、無責任に好きでいられたし、喧嘩したら別れようって思えた。だけど今は違う。だんだん歳を取ってくるし、周りも結婚する人が多くなってきた。何より、私自身がこの人とずっと一緒にいたいと思えるようになってきた。だから、マー君にも自覚を持ってほしいのに・・・。お見合いするって言ったのも、それに気付いてほしいから。でも、却ってマー君を傷付けたかな。だけども、そうしないと結婚を意識しないと思ったの。分かって」
 不意にテーブルを見ると、電子タバコが置かれていることに気がついた。そのうちに、取りに帰るだろうと思っていたが、なかなか帰ってこない。結衣は少し心配になってきた頃、ガチャと音を立てて玄関ドアが開いた。
「帰ったぞ」
 丹野の声だった。そして、手にはコンビニの袋を持っている。
「おかえりなさい、電子タバコ忘れてたよ。まったく、タバコもないのにどこ行ったんだろうと思って……」
「これ、買ってた」
 結衣は袋の中を覗き込んだ。
「うわー、ありがとう!これ食べたかったんだ」
 中には新商品のシュークリームが入っている。喜ぶ結衣を尻目に
「ごめんな、寂しい思いをさせて」
 と丹野は一言呟いた。
「ううん、大丈夫だから。私がマー君に相談しなかったのが悪いの。ちゃんと話してれば、マー君を傷つけることにはならなかったんだよね。謝らなきゃいけないのは私の方……」
 丹野は結衣が話し続けるのを我慢できず、グッと彼女の体を抱き寄せた。そして、唇を重ね合わせた。結衣は初めに戸惑いを見せたものの、すぐ丹野に身をゆだねた。コンビニの袋は玄関口に落ちてしまったが、誰もそれを気にすることはなかった。

つづく
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み