第15話 のじゃロリ
文字数 3,723文字
「プロに勝って、ちょっとしたニュースになったんじゃ。一年半ほど前のことじゃが」
「えっ?」
その時期って……。おばあちゃんの介護のことで毎日しんどくて、ニュースを気にしている余裕はなかった。もしかすると、将棋のあの人みたいな感じで報道されたのかも。
「下町生まれ。元気だけが取り柄のスポーツ少女だったからな」
知ってる。素の人格に聞いてるから。
「国のお偉いさんにパーテーとやらに呼ばれた時には感動したもんじゃ」
「へー」
「瀟洒なホテルで、豪華絢爛な料理の数々。まさに、妾のために供えられた饗宴。舌鼓を打ったのじゃ」
彼女は涎を垂らしていて、楽しそう。
「あっ、そういえば……他の参加者は妾と同じぐらいの少女じゃった。いや、待てよ!」
突然、叫んだ美紅ちゃんは小夜さんの方を見て。
「小夜ちんも。いや、入院中の先輩たちも、あそこにいた。小夜も凜とした美少女でな。意識高い系は近づかんと思うておったんじゃ」
「えっ?」
想定外の発言に、僕も驚きの声を漏らした。
どうして?
話からして、小夜さんがロリババア病を発症する前と思われる。ふたりに接点はないはず。
考えてみる。
ひとりの女子中学生がプロ選手に勝った。おそらくマスコミで天才ともてはやされる。その後、国が彼女をパーティへ招待した。しかも、そこに小夜さんや他のロリババア病患者もいた。
気になるところは、なぜ国が美紅ちゃんに声をかけたのか?
マスコミとかだったらわかるけど、国はいきなりすぎる。それこそ、海外の大会で優勝するとかしない限りは。
それに、『国』って曖昧すぎる気が。
「ねえ、パーティーに呼んだの、どんな人だったか覚えてる?」
「うむ。初老の男性とお姉さんじゃった。お姉さんなー、顔は二十代なのに幼児体型だったし。胸も平坦で、よう覚えとる」
見知らぬ人に失礼なような。
「しかも、お姉さん。パーティに白衣じゃぞ。スマホゲーに興じておったし」
それは強烈すぎる。
「面白かったから見ておったんじゃ。そしたら、名刺を渡された」
「ふーん」
「独立なんちゃら高齢化ながい奴って組織だったぞ。肩書きは博士じゃった」
「もしかして、『高齢化社会対策センター』じゃなかった?」
「ああ。それかも知らぬ」
けど、なんで?
少子高齢化が異常に進んでいる日本。
2022年には団塊の世代が後期高齢者になる。一般的に、七十五歳頃を境に病気が急増すると言われている。ということは、病気の老人を多数抱えることになり、大きな対策を採る必要に迫られているのだ。
そのため、内閣府が設置した独立行政法人がある。
それが、高齢化社会対策センターだった。
福祉や介護についてもガイドラインを定めていて、教科書でもよく見かけるんだよね。
それだけに引っかかる。
どうして、美紅ちゃんや小夜さんをパーティに呼んだのだろう。
「汝よ、聞いておるか」
「ああ、ごめんね」
今は考えてもしょうがないか。
「パーテーから数ヶ月ほど経った、一年前の春。妾はロリババア病を発症したのじゃ」
美紅ちゃんは眉根を寄せる。一年前といえば、中二になったばかりの頃。普段の彼女はボケていないし、発言が中二病なだけ。でも、意味不明な病気になったと言われて、平静でいられるはずもない。
「妾な。普通に見えるじゃろ?」
「うん」
「でもな、脳の障害で、繊細なプレイができなくなったんじゃ」
「えっ?」
「判断力障害。それが、妾の真実の病である」
僕は大事なことを見落としていた気がする。
美紅ちゃんの症状は、『のじゃロリ』とばかり思い込んでいた。
素は明るくて元気なスポーツ少女。脳の障害で、『のじゃロリ』になったのだと……。
しかし、実際は判断力障害を患っていた。
判断力障害。その名のとおり、判断力が狂う障害である。
善悪の区別がつかずに万引きをする。赤信号を平気で渡る。高速道路を逆走する。みたいなケースがわかりやすいか。
そんな素振りは普段の美紅ちゃんはなかったから、ただのロリババアだと勘違いしていた。
不覚すぎる。
「今のところは日常生活に支障はない。じゃが、テニスの試合は無理じゃ。一瞬で判断を求められ、最適な行動を取らねばついていけぬ」
「……」
「最初は試合で負けるだけじゃった。じゃが、やがてラケットを持つことが怖くなって……手が震えるようになった。ここで世話になるようになって、テニスをやめてたのじゃが」
隣に座る少女の太ももが震えていた。振動が伝わってくる。
「じゃが、妾には他に目標もない。どうしてもテニスが諦めきれなくて……」
「美紅ちゃん」
他にうまい言葉が見つからない。
「ロリババア教師に相談したんじゃ。そしたら、『気晴らしでやってみたら。運動しないと、性欲も溜まるだろうし』などと言いおった。奴め、妾がこっそり処理して……今のなしじゃ」
なぜか美紅ちゃんは真っ赤になる。
「なのに、このざま。当たればすごいんじゃが、空振りばかりよ。すっかりポンコツになってのう」
彼女は深くため息を吐く。
僕の胸にも、やるせなさがこみあげてきた。
僕は空を見上げる。太陽がビルの狭間に消えようとしていた。
どうしたらいいんだろう?
神様がいるなら、祈りたくなる。
けっして現実を変えてくれないとわかっていても。
「じゃが、妾は悠久の刻に生きる身。いずれかは治るやもしれぬ」
前向きな言葉に打ちのめされそうになった。
本人ががんばってるんだ。僕が弱気になってどうする。
「僕で良かったら、練習に付き合うから」
「うむ。汝は眷属だ。びしばし鍛えるから覚悟するがええ」
「うへー……お手柔らかに」
顔を見合わせて笑い合う。金色のツインテールがピョコピョコ跳ねる。
「ありがとう」
あかね色に染まる空。カラスが賑やかに鳴いていても、小さな声が届いた。
そういえば、小夜さんの姿が見えないけど、どこに行ったんだろう。穂乃花がいるから大丈夫だけど。
などと思っていたら、ふたりは腕を組んで歩いていた。
「ユウ、お疲れ」
「穂乃花も、ありがとう」
「ううん、滝を喜んでくれて……その良い子ね」
すっかり仲良くなったみたいで安心する。
「入学式の時は、ツンケンしちゃってごめんなさい」
穂乃花は美紅ちゃんにも頭を下げる。
「穂乃花、ありがとう」
「ユウのためだもん」
照れくさそうに頬をかく。
「眷属よ。汝に豚丼を食うことを許そう」
腹を鳴らして言うから説得力がない。みんな笑った。
着替えてから公園を出る。
駅前にある豚丼の店へ。
メニューの上に、なんというか厳しい言葉が書かれている。
『食事中のスマホ禁止』『紙ナプキンを丼の中に入れるなかれ』とか。
五十すぎと思われるオジサンがひとりで切り盛りしている。店主さん、スキンヘッドで顔が怖い。
夕方で学生が多い街にもかかわらず、狭い店内には僕たちしかいなかった。あの外見に加えて、客に要求するものがアレだし、うなずける。
「オジサン、いつもの」
「お嬢ちゃんもいいか?」
小夜さんはこくりとうなずいた。
あれ、ふたりとも店主さんと知り合い?
「坊主。彼女たちの友だちか?」
「ええ、まあ」
怖い人に話しかけられたので、緊張しつつ答える。
「いつも迷惑をかけて、すいません」
軽く謝ると睨まれた。
「バカ言っちゃいけねえよ。この子たちは変な子だ。でもな、誰にも迷惑をかけてるわけじゃねえ」
あれ、僕が悪いことしたみたい。
「それどころか、下らねえ連中に比べたら、心根は素直で優しい子だよ。俺は客の行動をあげつらって厳しいことを言ってんじゃねえ。奴らは他人様の迷惑を顧みずやりたいことやってるから怒ってんだ」
「は、はあ」
「嬢ちゃんたちみたいなお客さんは大歓迎だ。卵の上にネギをおまけしておくぜ」
見た目は怖いけど、小夜さんたちを受け入れてくれている。
「うぇーい。ありがとうなのじゃ」
「ありがとうございます」
僕は何度も頭を下げた。
特製の豚丼。炭火焼きの豚の上に卵を炒めたものとネギが乗っている。
疲れた身体に優しい味だった。
すっかり満腹になり、店を出る。執事さんには迷惑かけるけど、夕飯はいらないな。
最寄りの地下鉄出入り口で穂乃花と別れた。
去り際。幼なじみは振り返り、僕を見る。
「ユウ、応援してるから」
「穂乃花、ありがとう。僕、がんばるよ」
僕なりに明るい声で答える。
すると、穂乃花は軽くため息を吐いた。
「ユウは……。まあ、ユウらしくて、なんていうか」
幼なじみの言葉が尻すぼみになる。なにが言いたいの?
訊ね返す間もなく、穂乃花は階段を下りていった。
次の日から幼なじみが寮に訪ねてくるようになった。
「えっ?」
その時期って……。おばあちゃんの介護のことで毎日しんどくて、ニュースを気にしている余裕はなかった。もしかすると、将棋のあの人みたいな感じで報道されたのかも。
「下町生まれ。元気だけが取り柄のスポーツ少女だったからな」
知ってる。素の人格に聞いてるから。
「国のお偉いさんにパーテーとやらに呼ばれた時には感動したもんじゃ」
「へー」
「瀟洒なホテルで、豪華絢爛な料理の数々。まさに、妾のために供えられた饗宴。舌鼓を打ったのじゃ」
彼女は涎を垂らしていて、楽しそう。
「あっ、そういえば……他の参加者は妾と同じぐらいの少女じゃった。いや、待てよ!」
突然、叫んだ美紅ちゃんは小夜さんの方を見て。
「小夜ちんも。いや、入院中の先輩たちも、あそこにいた。小夜も凜とした美少女でな。意識高い系は近づかんと思うておったんじゃ」
「えっ?」
想定外の発言に、僕も驚きの声を漏らした。
どうして?
話からして、小夜さんがロリババア病を発症する前と思われる。ふたりに接点はないはず。
考えてみる。
ひとりの女子中学生がプロ選手に勝った。おそらくマスコミで天才ともてはやされる。その後、国が彼女をパーティへ招待した。しかも、そこに小夜さんや他のロリババア病患者もいた。
気になるところは、なぜ国が美紅ちゃんに声をかけたのか?
マスコミとかだったらわかるけど、国はいきなりすぎる。それこそ、海外の大会で優勝するとかしない限りは。
それに、『国』って曖昧すぎる気が。
「ねえ、パーティーに呼んだの、どんな人だったか覚えてる?」
「うむ。初老の男性とお姉さんじゃった。お姉さんなー、顔は二十代なのに幼児体型だったし。胸も平坦で、よう覚えとる」
見知らぬ人に失礼なような。
「しかも、お姉さん。パーティに白衣じゃぞ。スマホゲーに興じておったし」
それは強烈すぎる。
「面白かったから見ておったんじゃ。そしたら、名刺を渡された」
「ふーん」
「独立なんちゃら高齢化ながい奴って組織だったぞ。肩書きは博士じゃった」
「もしかして、『高齢化社会対策センター』じゃなかった?」
「ああ。それかも知らぬ」
けど、なんで?
少子高齢化が異常に進んでいる日本。
2022年には団塊の世代が後期高齢者になる。一般的に、七十五歳頃を境に病気が急増すると言われている。ということは、病気の老人を多数抱えることになり、大きな対策を採る必要に迫られているのだ。
そのため、内閣府が設置した独立行政法人がある。
それが、高齢化社会対策センターだった。
福祉や介護についてもガイドラインを定めていて、教科書でもよく見かけるんだよね。
それだけに引っかかる。
どうして、美紅ちゃんや小夜さんをパーティに呼んだのだろう。
「汝よ、聞いておるか」
「ああ、ごめんね」
今は考えてもしょうがないか。
「パーテーから数ヶ月ほど経った、一年前の春。妾はロリババア病を発症したのじゃ」
美紅ちゃんは眉根を寄せる。一年前といえば、中二になったばかりの頃。普段の彼女はボケていないし、発言が中二病なだけ。でも、意味不明な病気になったと言われて、平静でいられるはずもない。
「妾な。普通に見えるじゃろ?」
「うん」
「でもな、脳の障害で、繊細なプレイができなくなったんじゃ」
「えっ?」
「判断力障害。それが、妾の真実の病である」
僕は大事なことを見落としていた気がする。
美紅ちゃんの症状は、『のじゃロリ』とばかり思い込んでいた。
素は明るくて元気なスポーツ少女。脳の障害で、『のじゃロリ』になったのだと……。
しかし、実際は判断力障害を患っていた。
判断力障害。その名のとおり、判断力が狂う障害である。
善悪の区別がつかずに万引きをする。赤信号を平気で渡る。高速道路を逆走する。みたいなケースがわかりやすいか。
そんな素振りは普段の美紅ちゃんはなかったから、ただのロリババアだと勘違いしていた。
不覚すぎる。
「今のところは日常生活に支障はない。じゃが、テニスの試合は無理じゃ。一瞬で判断を求められ、最適な行動を取らねばついていけぬ」
「……」
「最初は試合で負けるだけじゃった。じゃが、やがてラケットを持つことが怖くなって……手が震えるようになった。ここで世話になるようになって、テニスをやめてたのじゃが」
隣に座る少女の太ももが震えていた。振動が伝わってくる。
「じゃが、妾には他に目標もない。どうしてもテニスが諦めきれなくて……」
「美紅ちゃん」
他にうまい言葉が見つからない。
「ロリババア教師に相談したんじゃ。そしたら、『気晴らしでやってみたら。運動しないと、性欲も溜まるだろうし』などと言いおった。奴め、妾がこっそり処理して……今のなしじゃ」
なぜか美紅ちゃんは真っ赤になる。
「なのに、このざま。当たればすごいんじゃが、空振りばかりよ。すっかりポンコツになってのう」
彼女は深くため息を吐く。
僕の胸にも、やるせなさがこみあげてきた。
僕は空を見上げる。太陽がビルの狭間に消えようとしていた。
どうしたらいいんだろう?
神様がいるなら、祈りたくなる。
けっして現実を変えてくれないとわかっていても。
「じゃが、妾は悠久の刻に生きる身。いずれかは治るやもしれぬ」
前向きな言葉に打ちのめされそうになった。
本人ががんばってるんだ。僕が弱気になってどうする。
「僕で良かったら、練習に付き合うから」
「うむ。汝は眷属だ。びしばし鍛えるから覚悟するがええ」
「うへー……お手柔らかに」
顔を見合わせて笑い合う。金色のツインテールがピョコピョコ跳ねる。
「ありがとう」
あかね色に染まる空。カラスが賑やかに鳴いていても、小さな声が届いた。
そういえば、小夜さんの姿が見えないけど、どこに行ったんだろう。穂乃花がいるから大丈夫だけど。
などと思っていたら、ふたりは腕を組んで歩いていた。
「ユウ、お疲れ」
「穂乃花も、ありがとう」
「ううん、滝を喜んでくれて……その良い子ね」
すっかり仲良くなったみたいで安心する。
「入学式の時は、ツンケンしちゃってごめんなさい」
穂乃花は美紅ちゃんにも頭を下げる。
「穂乃花、ありがとう」
「ユウのためだもん」
照れくさそうに頬をかく。
「眷属よ。汝に豚丼を食うことを許そう」
腹を鳴らして言うから説得力がない。みんな笑った。
着替えてから公園を出る。
駅前にある豚丼の店へ。
メニューの上に、なんというか厳しい言葉が書かれている。
『食事中のスマホ禁止』『紙ナプキンを丼の中に入れるなかれ』とか。
五十すぎと思われるオジサンがひとりで切り盛りしている。店主さん、スキンヘッドで顔が怖い。
夕方で学生が多い街にもかかわらず、狭い店内には僕たちしかいなかった。あの外見に加えて、客に要求するものがアレだし、うなずける。
「オジサン、いつもの」
「お嬢ちゃんもいいか?」
小夜さんはこくりとうなずいた。
あれ、ふたりとも店主さんと知り合い?
「坊主。彼女たちの友だちか?」
「ええ、まあ」
怖い人に話しかけられたので、緊張しつつ答える。
「いつも迷惑をかけて、すいません」
軽く謝ると睨まれた。
「バカ言っちゃいけねえよ。この子たちは変な子だ。でもな、誰にも迷惑をかけてるわけじゃねえ」
あれ、僕が悪いことしたみたい。
「それどころか、下らねえ連中に比べたら、心根は素直で優しい子だよ。俺は客の行動をあげつらって厳しいことを言ってんじゃねえ。奴らは他人様の迷惑を顧みずやりたいことやってるから怒ってんだ」
「は、はあ」
「嬢ちゃんたちみたいなお客さんは大歓迎だ。卵の上にネギをおまけしておくぜ」
見た目は怖いけど、小夜さんたちを受け入れてくれている。
「うぇーい。ありがとうなのじゃ」
「ありがとうございます」
僕は何度も頭を下げた。
特製の豚丼。炭火焼きの豚の上に卵を炒めたものとネギが乗っている。
疲れた身体に優しい味だった。
すっかり満腹になり、店を出る。執事さんには迷惑かけるけど、夕飯はいらないな。
最寄りの地下鉄出入り口で穂乃花と別れた。
去り際。幼なじみは振り返り、僕を見る。
「ユウ、応援してるから」
「穂乃花、ありがとう。僕、がんばるよ」
僕なりに明るい声で答える。
すると、穂乃花は軽くため息を吐いた。
「ユウは……。まあ、ユウらしくて、なんていうか」
幼なじみの言葉が尻すぼみになる。なにが言いたいの?
訊ね返す間もなく、穂乃花は階段を下りていった。
次の日から幼なじみが寮に訪ねてくるようになった。