18*ツクヨミのプレッシャー

文字数 3,696文字

***
「どのへんで戦ったのか」
 石切劔箭神社の鳥居の前。生駒山の山影がうっすらと見える。
 生駒山は往馬坐伊古麻都比古神社などの多数の古社や古寺が建つ、神の隠れる山。熊野と同じく鬼の伝承もある。畿内の神社や寺院の石塔、大坂城の石垣は生駒山を削った生駒石で造ってる。神様の山を削り、神様の社を建てる、か。
「石切劔箭神社も古社なのに」
 神話の雰囲気を感じない。
 境内に生駒石で造った石塔、石像、石柱が並ぶ。生駒石の展示会だ。神話(神代)は現実(現代)に続いてるけど、神社経営という、しかたがない事情がある、きっと。

 どのへんで戦ったか、スサノヲさんに聞いてもわからない。本陣に移動中だったらしい。
 石切劔箭神社を後に、調べながら歩く。徒歩60分。生駒山の山腹に孔舍衞坂の顕彰碑があり、そのへんで戦ったという。山道を歩く。しんどい。ほんと天ツ軍は歩いたのか。
「疲れた。休もう」
「もっと兄神は鍛えないと天ツ神と戦えない」
 黒衣を捲り、腕の筋肉を見せる。いつまで私は男神でいなければならないんだ。
 巨岩に登り、大阪湾を見る。
「見えないか」
 山頂は見えるのかな。でも、市街の夜景はきれい。隣が鈍感筋肉神でなく、オオクニヌシさんだったらいいのに。
 昔の生駒山の麓の河内国北部、今の東大阪市は内湾の河内湾で、上町台地が半島となって大阪湾と隔てた。半島の先端は石山本願寺、後の大阪城が建ってる。淀川(大川)の運ぶ砂や石が積もり、河内湾は河内湖、河内平野となった。
 大阪は港湾貿易の地。朝鮮半島から瀬戸内海を通り、奈良、京都へと人や物を運んだ。大阪が宮処の時代もあった。
 トミビコさんと私、昔のツクヨミは戦勝を喜びあったんだろうな。
「兄神、思いだしたか」
「思いだせない。戻ろうか」
 顕彰碑は諦める。あと10分くらいらしいけど、夜道のうえ、細い険しい山道なので。
 こんな処で、よくも戦ったもんだ。こんな処に、よくも顕彰碑を建てたもんだ。
 神話(神代)は現実(現代)に続いてるけど、遠い、長い時間で隔たれてる。遠い、長い時間を越えて記憶を戻すは、やはり難しい。私も神威はあるらしく、大坂への時空間移動は、そんな疲れなかったけど、やはりムリがある。
 昔の私の、ツクヨミの記憶を、神威を戻すのは今の私のキャラを、キャパを超えてる。やはり私は『今晩も肉じゃがね』というくらいの、4コママンガくらいの主役なんだ。
 そうだ、思いだせないのは、神様もムリするなという心づかいなんだ、きっと。
「そうだ、兄神。翔びまわったら神威も記憶も早く戻せるぞ、きっと」
 スサノヲさんを殴り、私は兄神らしく背おうように命じる。


 石切劔箭神社に戻ると、参道の石切参道商店街は暗く、占い屋や漬物屋などの商店は閉まり、人気もない。なんか隠世に隠れてる感じ。私を下ろし、スサノヲさんが周囲を伺う。
「どうしたん……」
「姫様ー」聞き覚えのある声。
 どこにいる。隠世に隠れてる。いや、黄昏時以外は隠世は交わらないはず。なんで聞こえるの。
「遅かったなァ、待ってたぞォ」聞き覚えのある、とても嫌な声。
「ニギハヤヒか」
 スサノヲさんが隠世に隠れる。境内の木々が風で揺れる。
「兄神、逃げろ」
 言われても、どこに。どこに逃げればいいの。
 風が空を切る。なにが起きてるかわからない。頭上の電線が揺れる。店頭の幟旗が倒れ、提灯が落ちる。声は聞こえるが、姿は見えない。怖い。
「ニウゥ、ツクヨミをォ連れていけェ」
 同じ展開。見えなければ拒めない、逃げられない。
 手を引かれる。やめて。
「姫」聞き覚えのある声。
 手を引かれ、私も隠世に隠れる。
「トミビコさん、ワカヒコくん」
「ワタシは戦に戻ります。ワカヒコ、姫をしっかりと守るように」
「ツーちゃん、ボクが守る。ゼッタイ、守るからね」ワカヒコくんが大剣を構える。
「クーさんがボク達はニギハヤヒの本貫のカワチで待てって」
 そうだ。このへんは戦地であり、ニギハヤヒの本貫地。ニギハヤヒを祀る磐船神社がある。
「もうちょっと早く来て欲しかったけど」
「トミさんが行きたい処があるって。ゴメンネ、ツーちゃん。遅くなって」
 行っていたんだ。顕彰碑の処に。行けば良かった。行って色々と話したかった。

 ニギハヤヒとニウヒメさんの丹土で塗られた赤い顔。充血で赤い目。恐ろしく、醜く、鬼気を感じる。剣術も拙く、ただ振りまわしてる。正気を失ってる。
 トミビコさんが加わり、ニギハヤヒは苦戦を強いられる。剣を弾かれ、トミビコさんの切先が向けられる。さすが天ツ軍を退けた武神。スサノヲさんの長剣もニウヒメさんを制する。
「中ツ国に降り、義兄弟の契を交わした弟神。なぜ、ワタシに剣を向け、天ツ軍に下る。なぜ、ヤマト国を渡す。初めから、ワタシを騙そうとしたのか」
「うるさいィ……」
 親指の爪を噛み、ニギハヤヒは目をそらす。正気に戻ってる。なにか呟いてる。聞きとれない。
「ワタシはわからない。ニギハヤヒ、なにを謀ってる」
 地面に陽炎のように黒い影が湧き上がる。
「教えてくれ……」トミビコさんの切先がニギハヤヒに迫る。
 熊野で見た黒い影がニギハヤヒを包む。

《饑に冒されよ。されば大神を超える神威を得よう》

「うるさいィィキサマにィィ……」
 トミビコさんの刃先を握る。手は血だらけ。トミビコさんは驚き、剣を離す。ニギハヤヒは柄を握り直す。なんて強引な技。
「……わかるかァァァァ」
 トミビコさんの剣を振りまわす。トミビコさんは躱す。斬られた神衣が舞う。
「甘いーー」
 やはりニギハヤヒに怯んだスサノヲさんの股間をニウヒメさんが蹴り上げる。なんて強気な技。
「だからーー国ツ軍は負けたんだーー」ニウヒメさんもヘンだ。
「オレサマはァァもっとォォ強くなりィィキサマをォォ殺すゥゥゥゥ」
「殺すーー」
 ふたつの笑い声の主の周囲を、黒い影が廻りながら広がる。
「ニギハヤヒ。もう逃げてもいいんだぞ」
 廻る黒い影の風圧に後ずさるスサノヲさん。
「キサマをォォォォ殺すゥゥゥゥゥゥ」
「姫、あの黒い影は禍しき物でございます。もっと退がってください。体が斬られても、腐っても感じず、欲望の赴くまま進みます」
「ヒダル衆か」
 スサノヲさんと、剣を奪われたトミビコさんも退がる。
「行けェェェェ」
 ニギハヤヒが指すと、多数の黒い影が襲いかかる。スサノヲさんが斬るが、斬りきれない。
「トミさん、剣」
 ワカヒコくんが大剣を投げる。受けとり、トミヒコさんも斬る。
「大殿、キリがございません」
「わかってる」
「姫、もっと、もっと退がってください」
 次から次へと襲いかかる黒い影。斬りきれない黒い影が私とワカヒコくんに迫る。躱す。

「姫様ーー、そこにいたのーー」
 ニウヒメさんが私達に気がつく。ワカヒコくんが前に立ちふさがる。大剣はない。
「姫様ーー行きましょーー」
 ニウヒメが黒い影を放つ。

 黒い影がワカヒコくんに襲いかかったとき。目前で黒い影は断ち斬られる。
「断る」目前に立っていたのは。
「ワタシはタカヒメ、亦名はカヤヒメ。父神オオクニヌシに呼ばれ、比売許曽神社より、ツクヨミを助けるべく参った」タカヒメさんとワカフツヌシさん。
「赤の女神、ツクヨミは渡せない」短剣を構える。
 ニウヒメさんは固まってる。なんか展開が逆になる。ニウヒメさんが大きく息を吸う。

「ならば殺すーーーー」
 迫ってくるニウヒメさんの周囲に黒い影が湧き上がり、タカヒメさんを襲う。
「ワカヒコ、ツクヨミと逃げろ。邪魔になる。ワカフツ、ヒダル衆を削ぎ落とせッ」
 ワカフツヌシさんが前に立ち、黒い影を乱れ斬りながら進む。その後にタカヒメ。凄い。ワカフツヌシさんは、かんたんにニウヒメさんに詰め寄る。タカヒメさんがワカフツヌシさんの頭上を越え、短剣を振りおろす。
「やめてッッ」
 私の叫び声に、タカヒメさんは振りおろす手を緩める。
 ニウヒメさんは短剣を左腕で受け、右手の細剣でタカヒメさんの左肩を貫く。ワカフツヌシさんがニウヒメの体を蹴る。ニウヒメさんは大きく飛ばされる。動かない。……なんで。
「ニウヒメさん」
「ツーちゃん、危ないッ。退がってッ」なんで。
「ツ、ツクヨミッ、助けにきてやったんだぞ。めんどうをかけ、……ッ」なんで。
 タカヒメさんの左肩に黒い火傷。苦悶。硝煙のような煙が上がってる。
「ワカフツヌシ殿、タカヒメ殿と上之社に早く行かれなさい。イコマの山神の処に。ワカヒコ、先ほどの場所を。早く。ヒダルに冒される」なんで、なんで。
「カラス衆よォォオレサマにィィ霊威をォォ。妬みィ、嫉みィ、僻みィ、恨みィ、怨讐をォォ、オレサマに注ぎ込めェェェェ」
 多数の黒い影がニギハヤヒの体を貫く。いや、溶け込む。ニギハヤヒの体中の血管が黒く浮き上がる。なんで戦うの。なんで戦いたいの。
「トミビコ、兄神と先に行け。ニギハヤヒだけなら、ここはオレが押さえる」なんで、なんで。
 足元に迫る黒い影。陽炎のように湧き上がる。足が……。
「姫、行きますぞ」なんで、なんで、なんで。
「スサノヲさんが戦ってるのに」
「ツーちゃん、行こう。ボク達はスサノヲ様の足を引っぱる」戦えない私は、逃げる。
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