第1話

文字数 1,944文字

 ずっとひとりで生きていくのだろうな、ということへの漠然とした予感を、近頃は感じるようになっていた。
 誰かと繋がりながら生きていきたい、という淡い希望は、もう十五年ほど前になるだろうか、就職のため地元を離れる間際に恋人と別れてからは抱かないようにしていた。
 執着したって意味はない。そもそも、人付き合いが苦手なのだ。会話から逃げる癖がなければ、親友と呼べるような人も、ひとりくらいはいたかもしれない。仲良くなれそうだった級友との、関係を繋ぐことが目的で特に中身のないメッセージのやり取りを、続けることに苦しむこともなかったし、その人とはいまも友達でいられただろう。目抜き通りを歩く人たちに紛れながら、ちょっとした寂しさを感じることもなかったかもしれない。
 そのようなことを考えながら、出張で名古屋に向かう道中の新幹線で、とある少年と出会った。静岡駅から乗ってきた少年は、自分の耳からかすかに音が漏れていることを知らないようだった。車窓を流れていく鉄塔を数えることに飽きていた私は、こそっと耳を澄ませてみる。怠そうに歪んだギターは、九〇年代のイギリスで生まれたロックバンドのもので、私の世代でも知っている人は少なかった。耳によく馴染んだ曲なので、しばらく膝でリズムをとっていると、ばれてしまったのか少年にちょこんと肩を叩かれた。
「あの、音漏れしてましたよね。すみません」
「ああ、うん。大丈夫」
 突然の声かけに驚いて、私はやや食い気味に返事をしてしまった。謝られたというのに、私のほうがぎこちなくなっている。
 少年が安心したように口元を緩めたので、興に乗って、色々なことを話した。彼はサッカーの試合を観るために静岡まで来ていて、なんと贔屓のチームは私と同じなのだという。
「さっきの曲、もしかして知ってるんですか」
と、すっかり揺れが止まった私の膝を見て言った。
「僕、最近この曲がめっちゃ好きで。なんていうんですかね、声もギターも汚い感じがすんですけど、それが逆に気持ちいいよくて。最近のヒップホップとかにはない感じがします」
 年の割には批評家ぶった口調がおかしくて、私は喉の奥で笑ってしまった。
「君くらいの年齢で、よく知ってたよね」
「ラジオとか聴いてたら、結構流れてきますよ」
 ラジオだっていまの子はあまり聴かないだろう、なんて思った。
「でも一番は、親の影響かもしれません。車に乗ってると、昔の音楽とかよく流すんですよ。懐かしいって。そのうちに僕まで好きになりました」
 間もなく豊橋です、と端正なアナウンスが、私の故郷の名前を告げる。
「それってお父さん?それともお母さんかい」
「うーん、両方ですね」
 恥ずかしいな、って感じが少年の声に出てきた。
「二人とも、めっちゃ仲がいいんですよ。趣味が近いっつうか、出会ったのも音楽がきっかけみたいで。でも、凄いのは母さんのほうですね。新譜もめちゃ聴いてて、良いのあるよって薦めてくれるんです」
 記憶の奥から、学生の頃によく通ったレンタルショップの記憶が蘇る。
「特に、さっきの曲は特別みたいで」
 旧譜が十枚千円で借りれる日に、お互いに五枚ずつアルバムを選んで、聴き合った記憶。
「特別?」
「学生のときに好きだった人が好きだった、大切な曲って。」
 豊橋、豊橋です。お忘れ物に、ご注意ください。
「あ、ぼくここで降りるんです。それじゃあ、また。お元気で!」
 少年はぱっと席を立って、笑顔でお辞儀をして、乗降口まで駆けていった。去っていく背中を眺めながら、私は人生のどこかで、その人となりに触れたことがある気がしていた。
「あの子、もしかして」
 新幹線は動き出した。ゆっくりと、速度を上げ始めた。その一瞬の刹那、窓越しに少年の母親らしき女性を見つけた。彼女の表情には、覚えのある皺があった。しかし少年に向けた笑顔は、私が知っているよりも、ずっと柔いものだった。
 きっと、少年の中にも私がいたかもしれない。私の思い出は、知らぬ間に彼女の内で反芻されて、少年のところへ届いて、私の元に還ってくるまで生き続けた。
 私が出会ってきた色々な人のなかで、生まれた触れ合いは過去から未来まで、懐かしまれて共有されるのだろうか。へべれけで呟いた言葉。真摯な面持ち。人ぎらいといっても、多くの表情を他人に見せてきたのだと思った。私は再び窓に目を向けて、電柱の向こうの景色、ちょっと暗い晴れ空の下にある家々を眺めた。その一つ一つの下で暮らしている、顔も知らぬ人たちのことを考える。
 ひとりのつもりでも、ひとりではいられない。知らぬ間に共鳴して、繋がって、だから寂しくはない。
 新幹線が目的地に近づいて、高いビルに陽が遮られて景色が陰る。そのときガラスに映った私の口元は、わずかに緩んでいた。
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