第1話:お互いの立場と境遇。

文字数 4,762文字

 ――長い夢を見ていた。

 どこかの工場で、機械の調整をするのだけれど、何をしても一向に直らず困り果てているところに、例の赤い工具箱が視界に現れた。
 夢の中のおれはそれを使うかどうか悩んで……。
 最終的にその夢がどうなったのか結末は覚えてない。
 どちらにせよ、意識が拓いた時点で、夢は終わってしまう。
 目を閉じたまま、ゆっくりと深呼吸をした。
 まず最初に気が付いたのは、恐らくおれは今、ミザリイのベッドに寝かされているのだろう、と言う事。
 マットが硬い……いや、厚手の布を敷いただけの木の板か。そして、掛布団がごわごわしている。
 様々な香料や薬草の匂いがするのも彼女の家の証明のひとつになるだろう。
 ひとまず安堵を得たと言った所だろうか。
 恐らく、おれはまだ生きていて、恐らく、金髪碧眼の美しい魔女の家にいるのだ。
 火に焼かれたショックで死んで、また別の世界へと異世界転生してリザードマンの集落とかに飛ばされて無いだけ、おれはまだ神様から見放されては無いのかもしれない。

 それから、おれはゆっくりと目蓋を開けた。
 視線のすぐ先には、こちらを覗き込むミザリイの顔があった。
 彼女は相変わらず無表情だが、変わらず美しい。
 寝起きに見るには最高の顔だと思った。これで笑顔があれば、もう本当に何も言う事は無い。
「――起きたか?どうだ、具合は?」
 ミザリイはそう言うと、柔らかな布でおれの額を拭いてくれた。
 寝汗でもかいていたのだろうか。
「具合は、まだよく分からない。少し頭がぼうっとするかな。怠いか怠くないかで言えば、前者なのは間違いない、かな」
「ふむ、そうか。それだけ喋れば問題無かろう。どうする?起きるか?それとも、まだ寝ておくか?」
 そう言うと、彼女はすうっと音も無く立ち上がった。
 そのままおれの視界から消え隣りの部屋へと移ってしまう。
「いや、起きるよ。怠いけど、このまま二度寝する気分じゃ無いから。一体、どのくらい寝ていたのかな?」
「三日、いや四日目になるか……」
「四日目!?そんなに寝てたのか」
 おれは上半身を起こしつつ、そう言った。
 かなり長時間眠っていたのだろうか?少し動いただけで身体の節々が痛い。
「ああ、もうそれだけ動けるのか。魔紋を刻んでいるとはいえ、脅威的な回復力だな」
「体中が、包帯だらけ……。ああ、この世界にも包帯はあるのか」
 恐らく全裸で、包帯でぐるぐる巻きにされている。
 所々血が滲んでいるのかと思ったが、よく見ると包帯には赤色で何やら文字が綴られていた。

「知り合いの魔女に、火傷の治療が得意な者がおってな、そやつに処置させた。軽傷であれば私でも治せるのだがな、あそこまで酷いと流石にどうにもならん」
「そんなにヤバかったのか。よく生きてたな、おれ」
「貴様が着ておった作業着が、かなり耐性力を秘めておったのだろう。あれが無ければ今頃死んでおったかもしれん。それと、その腕時計だが……どうやらそれも何かしら力を秘めておるな」
 ミザリイは隣りの部屋からこちら側へと移ってきた。
 手には茶を淹れた器があるので、目覚めの一杯を用意してくれていた様だ。
 おれは器を受け取りつつ、左腕の腕時計を見詰めていた。
「これって、魔力疎通の魔導具になったんじゃ無かったけ?」
「それはそうなのだが、それとは別の力を秘めておると、私はみておる。しかし、それが何かは分からん。あと、あの赤い工具箱とその中身も、中々厄介な代物だぞ」
「あ、工具箱どうなった?爆発しちゃっただろう?たしか……」
 爆発というか、箱が勝手に開いて中から炎が溢れ出した様に見えた。それが余りにも凄い勢いだったために、爆発したようなイメージが頭に鮮明に残っている。

「いや、爆発したのは工具箱の中に溜まった魔力だ。あの工具箱自体が魔導具化しておってな。転生の際に生じた膨大な魔力を取り込んでしまったのであろう。それに貴様が触れて……これもまた憶測の域を出んが、魔力暴走を引き起こした、ということなのだろうな。あの時、工具箱から噴き出た炎は中々厄介でな、私の水魔法でも消火するのに時間を要した。その上、異常に火の手の回りが早い。貴様を第一に助けたかったのだが、私には支配域に住む生き物たちや森を守る義務と責任がある故な、救い出すのに時間が掛かってしまった」
 彼女はそう言うと、ベッドの端に腰かけていた。
 おれには背を向けて、両手で器を持ち茶を飲んでいる。
 言葉に出して謝りこそしないが、恐らく自らに否があったと認めてはいるのだろう。
 しかし今回の件に関しては、安易に工具箱に触れてしまった俺に否があると思う。
 腕時計が魔導具化してるのだから、その他の持ち物も同じような変化を起こしていると考えるの道理で、ただ触れるにしても彼女に意見を求めるべきだった。

「なあ、ミザリイ?」
「うむ、どうした?」
「この腕時計とか作業服の耐性がどうのこうのじゃ無くてさ、多分おれ、魔紋を刻まれる前に工具箱に触れてたら、確実に死んでたんだろう?」
 そう言って、茶を啜る。魔力回復を促進させる茶が、いつもより身体に染み渡る様な感じがした。
「そうだな。死んで、今頃元の世界へと無事転生しておったかもしれん」
「あはは。いやいや、そんな都合よく転生出来ないだろう。どちらにせよ、金輪際迂闊な事はしないって肝に銘じておくよ」
「それは、私も同様だ。貴様に迂闊な事はもうさせん。私の魔紋を刻んだからには、貴様を生かす義務と責任が私にはあるからな」
「そうか、おれも森や獣たちと同じってことだな。それはそうと、あの赤い工具箱はどうしたんだ?まだあの空き地にあるのか?」
 おれがそう尋ねると、ミザリイはまた音も無く立ち上がった。
 そして、隣の部屋へと歩いてゆく。
 彼女は部屋を移ると、こちら側へと振り返った。

「赤い工具箱は回収して来た。得体の知れんモノを支配域に放置しておきたくは無いからな」
「え?持って来たの?もう爆発しない?」
「うむ、爆発はせんよ。溜め込んだ魔力はあの時に吐き出しおったからな。しかし、工具箱の中に入っている道具類も全て魔導具化しておる様なのだ。箱型の魔導具の中に魔導具を入れて放置しておくのは危険と判断して、持ち帰り中身を全て出した。こちらの部屋の机に出しておる故、歩いて来れるのなら見てみるがよい」
 そう言われ、おれは身を乗り出しベッドから下りようとした……が、自分が全裸に包帯を巻かれただけの姿だった事を思い出した。
 掛布団を覗き込み、下半身の状態を確認する。どうやら、下着の様なものは穿かせてくれている様だ。
 恐らく、おれが全裸で部屋を歩き回ってもミザリイは何とも思わないのだろうけど、そこはそれ、どの世界に飛ばされたとしても、そう言う羞恥心やモラルは大切にしたい。
 おれは生まれ変わっても日本人になりたい純朴な人間だから、基本的には。

 さて。
 兎に角、素っ裸では無いので、おれはゆっくりとベッドから下り、足を擦りつつ部屋を移った。
 机の上は、床に垂れ着く程大きな黒い生地が敷いてあり、赤い工具箱が蓋を開けて置いてあり、工具類は長いものから左から順に並べてあった。
 さながら、工具の整備をする前の様な光景に思わず笑みが零れてしまう。

 工具は左から、コンビハンマー、貫通ドライバーのプラスとマイナス、モンキーレンチ、パイプレンチ、六角レンチセット、電工ドライバーのプラスとマイナス、鉄工ヤスリ、ダイヤモンドヤスリ、精密ヤスリ、プライヤー、ラジペン、ペンチ、ニッパー、スチールスケール、カッターナイフ、シックネスゲージ、シールテープ、絶縁テープ。
 至って一般的な工具やテープ類。
 勿論、田中さんの工具なので一級品の道具ばかりだし、全部綺麗に整備されてある。あのお方はこの赤い工具箱以外にも車に自前のツールボックスをいくつも搭載しているから、この工具箱の中身はさながら数多ある工具の中からの選抜と言ったところか。

「こ、これが、全部、魔導具化してる、ってこと?」
 おれは、声を上擦らせつつ、そう尋ねた。
「うむ、恐らくな。その赤い工具箱を含め全てが、何等かの効果を秘めた魔導具になっておる」
「それって、どうやって調べるの?」
「それに関してなのだが、本来は貴様がひとつずつ試して確認するのが筋だと、私は思うのだ。しかし、貴様は魔法に関して無知なのでな、魔導具の研究者を一人紹介してやるから、そやつと一緒にそれらを解明してみせよ」と、ミザリイはいきなり突き放してくる。
 表情は相変わらずなので、その本意は掴みにくい。
「えーっと、それって、ミザリイは手伝ってくれないってこと?」
「基本的には手伝えん。それらの道具が余りにも未知数ゆえ」
「ごめん、もう少し詳しく手伝えない理由を教えて欲しい」
 おれがそう訊ねると、彼女は少し間を設けた。
 安易に迂闊なことを言いたくないのだろう。この間は彼女の特徴のひとつだと思う。

「――それは魔女の本分が支配域の繁栄にあるからだ。支配域を繁栄させるために魔法の知識を深め腕を磨く。それに全てを注ぎ込まなければならん。貴様と、その道具らは将来、私の支配域繁栄に役にたつかもしれんが、全く役立たずかもしれんだろう?故に、役に立たん者や物には必要以上に注力は出来ん、という事だ。しかしながら、貴様をこちらの世界に転生させてしまった起因は少なからず私にあるからな、貴様がこの世界で生きていく最低限の面倒はみてやる。だが、それすらも魔女の本分の片手間、というわけだ。もうひとつ付け加えるなら、正直な話、この魔導具化した道具らは、私の手には負えん。魔女は多くの特殊な能力を有してはいるが万能では無いからな。とここまで申せば、貴様なら、理解出来るであろう?貴様が置かれた立場と境遇と、私の立場と境遇を」
 理解出来た……では無くて、理解しなくてはならない事を、理解した。
 逆転の発想に至ったと言うか。
 例えば、異世界転生したのがミザリイだったとして。
 金髪碧眼の魔女が、おれが元いた世界に転生してきて、偶然おれが保護して家に連れ帰ったとしてだ。
 翌日から、仕事を休んで付きっ切りでミザリイの面倒がみれるか?と言うと、そんな事はあり得ないわけで。
 寝場所や食事の用意はある程度出来たとしても、今後の生き方や生き様は本人に委ねるしかない。

「り、理解、出来たと、思う。いや、理解した。そうか、そうだな……」
「無闇に突き放してる訳では無い事は、分かって欲しい。こちらにもこちらの都合があるのだ。だが最低限は保障する。魔力制御が出来る様になれば、魔導具の暴走は起こらんし、上手く使いこなせる様にもなるからな。魔力制御は私の得意分野故、しっかりと叩き込んでやる」
「ああ、そうか。それは助かる。要するに、おれが外の世界に出て行けるのも、魔力制御が出来る様になってから、という事か?」
「うむ、そうなるな。それと同時に、この世界の言葉を覚える必要がある。貴様は魔力疎通は出来るが、それが出来ぬ相手とは言葉を交わす事が出来んからな。この世界で、一般的な会話をする様に魔力疎通が出来るのは魔女と高位の魔導師だけだからな」
 彼女はそう告げると、湯を沸かし始めた。
 おれは口を閉ざし、改めて魔導具化したと言う工具を見詰めた。
 腕時計と同じく、見た目には普通の工具にしか見えない。
 ハンマーとかレンチが一体どの様な効果を秘めていると言うのか。
 それこそ、もう漫画やゲームの世界だな、と思った。
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