決意 /Grommof/
文字数 3,726文字
Gritz phen pri le.(緑のはじまりよ)
Lamto mawsha min za lea.(そなたを植えたのは誰?)
Gritz phen pri le.(緑のはじまりよ)
Gritz phen pri le.(緑のはじまりよ)
Lamto mawsha phen to li to lae.(そなたを始めに植えたのは誰?)
A endo mawsha phen to niela te.(すべてのはじまりが終わりによるならば)
Eeendo mawsha phen to niela te lae, phen to.(終わりが先か、始めが先か)
Gritz phen pri le.(緑のはじまりよ)
Gritz phen pri le.(緑のはじまりよ)
Eeendo...(そして、緑の終わりよ……)
カッツェンは、余韻を残すように髪を振るわせた。鍵盤に指を走らせ終えたチェンバリストが、よくやる癖である。
大陸の南を統治するリネル国の王城の中庭は、緑の木々が植えられ青々とし、それをゆっくり見られるよう石畳の交差路が設えてある。
道が交差をなした庭の中央には、優雅な装いをしたチェンバロ、そして礼服のタキシードを着たチェンバリストの少年、カッツェンがいる。
チェンバロの奏でが創り出した余韻を残したまま、そばにある噴水が嫋やかで物静かに、清水を噴き出した。
「ふぅ」と言いながらカッツェンは、いま弾き語ったものを思い起こしながら、歌詞とメロディを楽譜に描いていく。
「カッツェ」
カッツェンが横を見やると、クリオーネ・リネルがいた。弱冠十七歳にしてリネル国を統治する女王だ。
緑色をしたドレスの裾を、石畳のすれすれで触れずに歩行しながら、麦わらのような黄金色の長い髪を揺らしながら、カッツェンが座る椅子の袂まで来る。
「クリオ」
カッツェンとクリオーネの間では、互いに「クリオ」「カッツェ」という愛称で呼び合っている。
「相変わらず、作曲に熱心ですね」
「それしかやることないからね」
趣味もこう突き詰めると、楽しくなくなるものだとカッツェンは今日この頃思う。
もともと音楽は好きだ。この不思議な音色を奏でるチェンバロ。クリオーネに買ってもらったが、決して安い買い物ではなかった。けれど、カッツェンが欲しいと言いながらねだると、二つ返事と笑顔ですぐに特注品を用意してくれた。
「あなたの曲は本当にいいものです。楽譜が飛ぶように売れて、いまでは多くの晩餐会であなたの曲が演奏されておりますわ」
嬉しくない。自分が楽しいものを創れずにいると彼は思っているのだから。
そして、こうやってカッツェンが義務的に遊び、みんなが楽しく暮らせるのもいつの日までになるか。
「なぁ、クリオ。あの件のこと、考えてくれた?」
「なんですか?」
やはりまだ王国議会の議題には挙げてはいなかったようだ。
念押しのためにカッツェンは、椅子の背もたれに両腕をかけ、クリオーネのほうを向き、こう言った。
「東国ベニアカネと西国ブリオーダ。この二国と早く平和条約を結んでよ」
「……」
とても上品とは思えないほど耳が痛い音をパチンと立てて、クリオーネは扇子を開いて口元を隠した。
「それは先日も申し上げました。我らがリネル国は、リネル国こそが三国を統一することこそが積年の夢。国民はそう思っております。その心情を察すると、わたくしはとても提案できません」
「僕が代わりに掛け合う?」
それを言うと、クリオーネも黙っていられなかった。
「国政のことを何ひとつ知らないで、何をおっしゃってるのですか? カッツェ」
「僕も国政のひとつに参加してるんだけどね」
「あら、何をされたんですの?」
「リネルに国歌をひとつ献上したよ、クリオーネ女王陛下」
二五〇年前に制定されたリネルの国歌、これを作詞作曲したのはカッツェンだったが、それをクリオーネは信じようとはしなかった。
「何をおっしゃるんですの? いくらあなたが不老病とはいえ、そのようなこと」
カッツェンはクリオーネが生まれたころから少年だった。赤子のときも少年の姿をしていた。幼子となったときも少年だった。少女となったときクリオーネは、はじめてカッツエンと同じ背丈となった。年頃の女子になったとき、すでにいつの間にかカッツェンの背丈を越す。そして十七歳になった。
カッツェンは自身を六〇〇〇歳と言っている。去年も六〇〇〇歳と言い、おととしも六〇〇〇歳と言っている。本当の齢はよくわかっていない。
人々は彼を不老病と呼んでいる。三国の中に唯一残ってる歴史書、世界の開闢から現在までを綴った聖典「コロル」でも、この世界は創られてから高く見積もっても四〇〇〇年しか経っていないとされている。真面目に考えて、六〇〇〇歳というのはありえないと考えるのが、学者、常識人、一般人の考えであり、その考えは意固地でならなかった。
六〇〇〇年を一〇〇年に言い換えてたとしても、カッツェンの言葉を信じる者は誰もいなかった。
三〇〇年前、大陸を統治していたひとつの国が三国に分かれたときも、カッツェンは生きていたというのに。
「四〇〇〇年以上の歴史なんて存在しないよ、クリオ」
文字も文書も所詮は人が作ったもの。悲しいかな。人の作製物は神の創造物を借りて作ったものに過ぎない。だから簡単に壊れてしまう。いくら写本作業を重ねたとしても、歴史を文書という形で残すのは、四〇〇〇年が限度だ。
歴史書は一〇〇の真実のうち一つを残せればいいほうだ。すべての真実は残せない。まして文書は伝言遊戯だ。翻訳や解釈の過程で、語彙が変えられ真実をねじ曲げられる。だからカッツェンは思う。四〇〇〇年以上の歴史はない、と。
「暗闇星が紅蓮星を破壊したときからのことだよ。そのころに大陸はひとつの国に統一された」
だが、クリオの先祖が崩御した際、この国は三つに分割統治され、それがいつの間にか独立国家の三すくみとなってしまった。
「暗黒星? 紅蓮星? なんです? まるで理解ができませんわ」
「僕はね、クリオ……神の命令とともにここに降りたった。空の向こう、宇宙の果て、人が魔界と呼ぶ彼方。魔界は暗闇星を僕らの星々に向かわせ、かつて人が目にしていた紅蓮星に穴を開けて壊してしまった。そして次はこの星、クリオたちの星の番だ。巨大恒星が統べるこの星系を、暗闇星は周回し、六〇〇〇年周期で星をひとつひとつ壊していったんだ。その暗闇星からこの星を守るのが神から与えられた命令だ」
「本気でおっしゃってるのですの?」
「本気だよ」
「浮世離れもほどほどにしてください、カッツェ」
「クリオ、浮世を離れ真実を知らないのは君たちだ。いま言ったことを君たち人間は知らない。人は現実から目をそらしている。僕は……」
「いい加減にしてください。会議がありますのでこれで」
「その会議に僕の意見を投じ……」
言い終える前に、お付きの者が現れて、クリオーネを連れていってしまった。カッツェンは彼らの間に割って入ることもできず、クリオーネを呼び止めることもできなかった。
チェンバロの鍵盤に向き直りカッツェンは、失意の中、その失意を曲に込め歌う。
Diane hosta.(これが憂いか)
Sam bar dienla.(涙が零れる)
Tula leska.(わかるものか)
Sam bar inda.(涙は形)
Holda lide, mercia.(悲しみの形があっても、理解されない)
Inda...(形があっても)
Inda...(形があっても)
Mercia Inda...da...ta...(悲しみの形はあれど、人はわかろうと……しない)
久方ぶりである。自分の曲が弾けた。失意の情が曲にうまく移り、カッツェンから失意は消え去っていた。
「行こう、東国ベニアカネと西国ブリオーダへ……僕の話を聞いてもらうんだ」
決断してカッツェンが指笛を吹く。王城の屋根で待っていた二羽の河原鳩(かわらばと)が飛んできた。
「君たちに仕事がある」
カッツェンの伝書鳩。本来、伝書鳩は帰巣本能を利用して手紙を送り届ける。しかし、この二羽はカッツェンが特別に調教した。どんな僻地でも手紙を届けてくれる。
カッツェンは、書き貯めていた楽曲を記した楽譜に歌詞を書いた。わざわざ歌詞の体裁にしてカッツェンは、相手への文(ふみ)を伝える。
「拝啓、シアリィ。拝啓、セロ」
二人の女性の名を口にしながら、カッツェンは楽譜を折りたたんで、伝書鳩の足に結んでくくりつける。
「これを東国と西国の女王陛下二人にお渡しして。くれぐれも粗相のないようにね」
そう言われるなり、伝書鳩はバサバサと空高く飛翔した。
「さて、僕も旅支度しないとね」
カッツェンは自室に戻ってタキシードを脱ぎ、マントを羽織り、身動きがしやすい旅人の装いに着替え、城を出た。