文字数 1,595文字

 その医師は、病葉鉄二郎(わくらばてつじろう)が黙ったままでも、メンテナンスのあいだしゃべり続けていた。
「いやあ、何度検査してみても、やっぱり不思議なものだね。きみ、死んでるよ。間違いなく死んでる。脈は止まってるし、心臓も動いてない。生体反応なし。完膚なきまでに死んでる。きみ、どうなってんの? どんな原理で動いてるの?」
「……自分の身体のことなんて、自分でもわかりませんよ」
 寝台に横たわった病葉の身体には、べたべたと検査用の医療器具がつけられ、針が刺され、いたるところからケーブルがのびており、さながら蜘蛛の巣にかかった蛾のようだった。
「きみの瞳孔、動いてるよね? 外界みえてるの? 脳のシナプスどうなってんの? いやあ、笑えるわ。笑えないやつの方が多いみたいだけど。屍体が甦るっていうんで、廃業しちゃった医者や科学者いっぱいいたわけだし。この世の関節が外れてしまった、ってなもんだよね。幽霊みたくらいでびびるハムレットとおんなじだ」
 ケーブルのつながった先のモニターを見ながら、御厨(みくりや)医師は愉快げに、限りなく無表情に近いニヤケ顔でしゃべり続ける。
「きみってさ、こころとかはどうなってんの? 生きてる人間と同じなわけ? まあ、生きてる人間のこころだって、ボクはあるんだかないんだかよくわかんないけど。哲学的ゾンビなんて話もあるけど、きみは肉体的にもゾンビなわけだ。同じゾンビをぶち殺した時に、どんなことを感じるのかな?」
「それなりの物思いはありますよ」
「そりゃそうだわな。ゴキブリ殺した時だって、物思いくらいはあるわけだし。きみさ、行く先々で人に不快感あたえてるでしょ? いや、別にきみの性格が悪いとかそういう話ではないよ。屍体って、普通の人は目を背けたがるものだから。誰もが死なんて知りませんって顔でせっかく日常を送ってるのに、死臭ぷんぷんで歩いてくるから、きみは日常の裂け目を感じさせちゃうわけ。だからきみって、TPO的に言えば、基本どこに行ってもアウトだよ。日陰者だね。ご愁傷さま」
 さらさらとカルテにペンで書き込み、御厨医師は満足げに検査を終えた。
「いやあ、相変わらずさっぱりわかんないわ。こんなに意味不明な存在があるって、世の中捨てたもんじゃないね」
「“ホレイショー、この天地のあいだには、おまえの哲学では夢にもおよばないことが数多くあるのだ”」
 病葉の抑揚のない棒読みに、御厨医師はきょとんとした。
「……なんだい、それ?」
「ハムレットの台詞ですよ」
「あ、そうなの。ボク、あれ読んだことないんだよね。面白いの? 面白いって言われても、読む気ないけど。幽霊が出る話って個人的に嫌いなんだよね。未練がましいのって、理解できないから。さあ、メンテナンスは終わったよ、ゾンビは行った行った。早いところ寝台を空かしてくださいね」

 医務室から出てきた病葉の足音で、廊下のベンチでまどろんでいた真司ははっとして頭を振り、立ち上がった。
「終わったか。またあのおっさんのおしゃべりに付き合わされたのか?」
「向こうが勝手に話しているだけですよ」
「聞いててうんざりしないのか? あのおっさん、人を人とも思ってないし、それを隠す気もないからな。まして屍者なんて、珍獣としか思ってなさそうだ」
「御厨医師は優秀ですよ。仕事を早く済ませてくれますから。手と一緒に口が動くというだけです。それに、人に対しても屍者に対してもあの人は平等ですよ。どれだけ自分を楽しませてくれるか、その一点でしか他者に関心を持っていませんから」
「それもどうなのかね……。ちょっと壊れてるというか、欠落している感じがするな」
「それは彼に限ったことではありません」
「……ま、そうかもな。この仕事やってると、ざらにあることだな」
 二人は駐車場へと向かうため、署の階段を下りた。
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