第2話 誠です。

文字数 2,410文字

血なまぐさい臭い、男たちの汗の臭い、酒の臭い、煙草の臭いが、入り交じり思わず鼻をつまみたくなる程の激臭が立ち込める飲食店。酒に溺れ暴れる者たち、ただただ喚き散らす者たち、そんなもの達によって、酒場は無廃の地と化しているようだった。
そんな酒場では、色々な情報や仕事が舞い込んでくる。傭兵にとってここはある意味楽園でもあった。一瞬でも現実を忘れられる。生きていてよかったと感じられる。そんな殺人集団の楽園。皆、自己嫌悪を忘れられた。
三十過ぎのぐらいの男と九つ程の子どもの親子が、酒場に入ってきていつものカウンター席にすわる。この酒場には、似ても似つかない親子の姿に一瞬酒場が静かになったような気がする。しかし、親子が席に座った時にはいつもの騒がしさに戻っていた。
実際、二人の存在を、特にこどもの存在を快く思わない者が何人かいるのも事実であった。子どもの容姿がそれに拍車をかけていた。肌は白く、少し丸みのある細い体つき。髪は細く奇麗な淡い黄金色で、肩につくかつない当たりで切りそろえられている。奇麗に整ったその顔立ちは、性別をも押し隠していた。その容姿が明らかに浮いていた。普通に外を歩いていても人目に付くであろう、その容姿はこの空間では尚更異様だった。しかし、その子どもの父はよく顔のきく人物であったため、少年が被害を受けることは今のところはなかった。
白髪とシワ、それにタクシード姿が印象的なこの店のオーナーは、この酒場にとてもよくにあっていた。
オーナーは、二人分の酒を慣れた手つきで注ぐ。それを手慣れた手つきで受け取る親子。常連であることを疑う必要はない。それからしばらく何か話すことはなく、淡々とお酒を飲む。
少し頬が赤くなり酔った子どもの僕は、僕の父親の直樹の横顔を見て思いにふけた。

何故僕を助けてくれたのか、何故僕を育ててくれているのか。
聞いた事はあるが、無口な直樹が口を開く事はなかった。
だけど、僕はそんな直樹が好きだった。父親という存在がどんな物か分からないけど、仕事が上手い、人を殺すのが上手い直樹は僕にとって憧れだった。
尊敬している。ああ、こうなりたいなぁ。

そんなことを僕が思っていると、直樹が唐突に席を立ち移動を始めた。無言で立ち上がった直樹は、トイレに行くようではではなかった。
新しい仕事を探しに行ったのか、席を外した直樹を目で追う。
その時、急に頭がクラクラし、酔いが回っているのを感じる。確かにいつもよりも飲むペースがはやかったかも。

ああ。えっとね。ちょっとだけ昔の話します。
物心ついた時から僕に親はいなかった。そう、一人だった。そんな中、知らない男の人が、僕に役割をくれた。その人は僕に奴隷としての立場をくれた。だけど、僕は売れなかった。言葉が喋れない、理解出来なかった僕は不要だった。
ただいるだけの邪魔な粗大ゴミ。だから、僕は捨てられた。
自分の人生を呪った事なんてない。普通の人の人生に、憧れたこともなかった。
あの人たちが普段何をしているのかなんて何も知らない。
だから、実感が湧かない。幸せってなんなの分からないし、不幸がなんなのかも分からない。
捨てられた僕は、落ちている食べ物をあさって食べた。何とか、生きようと思った。
僕に奴隷と言う役割をくれた人が言っていた。死んでしまったら意味が無いと。
檻の中でその言葉をなんとなく理解した僕は、生きないと行けないのだ、と理解した。
そして、生きるために人の死体を食べていた時、知らない男の人が僕の前にたった。
その人は僕に「生きたいか」と言った。
最初僕は、何を言われたのか分からなかった。
それでも、何を言っているか、何をしようとしているのか。必死になって理解しようと、細かい顔の表情に目を凝らした。
少し驚いた顔をした男の人。
その男の人こそ、直樹。
僕に誠という名をくれた、ただ死を迎える僕を救ってくれた。
「私がお前の父だ」そう言ってくれた。
父なんだ。

僕は、頭をぼーっとさせていた。
物凄い眠気が襲い、体のコントロールが効かなくなってくる。飲みすぎたみたいだった。
気分が良く視界がグルグルと動く。そんな視界でなんとか直樹を見ているが、そのまま潰れてしまう。
目的を果たした直樹がカウンター席の誠の隣の席に戻ってくる。直樹は自分の羽織っていたコートを脱ぎ、寝ている誠にかけてやる。体が冷えないようにと。すると、今まで沈黙を保っていたカウンター席の向かいで、グラスを拭いているオーナーが声をかけてきた。
「あなたが子供を持つとは。」
ハッハッハ。と見た目通り、年通りの渋い声で笑う。直樹は黙って口元に酒を運ぶ。その姿にオーナーはそのまま話を続けた。
「はじめは驚きましたよ、こんな店に幼い男の子を連れて来られた時は。他の客も動揺し警戒しておりましたな」
「ああ。その説はどうも」
顔を上げることなく、テーブルを見つめたまま礼を口にする直樹。
オーナーは直樹の態度に笑顔を崩す事無く、いつものように話を続ける。
「最近このあたりも騒がしくなりまして…。いつの間にか一目置かれるようになったではありませんか。随分立派になられて」
直樹は隣で潰れている誠を一目見てからオーナーに向き直り言う。
「最近は大人しい仕事ばかりこなしてるからな。まだ、大きな仕事は難しい。素質があるかは私には分からんが、育ててみせる。この世界を生き残れる者に。」
「そうですか。そういえば、噂話のようなものを耳にしまして。傭兵を育てている集落があるとか。貴方のような家族が集まる」
「私達のようなものたち…か」
「ええ、あそこにいるものからそのような話を聴きました」
「相変わらず、地獄耳は健在のようで」
ハハハと大袈裟に笑ったあと、声のトーンを落とし、小さな声でボソッと言った。
まるで独り言のようにも聞こえる声は、確かに直樹に対して放った言葉だった。
「狙われておりますぞ」
直樹は黙って席を立つと、誠をおんぶして、その店を後にした。
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