明日香先輩から「あなたは敵だ」って言われた

文字数 3,915文字

 何度も列車やバスを乗り換えた。最後はタクシーで銀河ホテルに向かった。
 ホテルで301号室のチャイムを鳴らすと、すぐにドアが開いた。
 腕をつかまれた。
 部屋の中に引っ張り込まれた。
 そのままぼく、床に倒れた。
 紺のブラウスに白のミニスカート。紺のハイソックス。ぼくの大好きな先輩のファッションだった。

 「このファッションが一番すてきです」

って言った時の、先輩の恥ずかしそうで嬉しそうな顔だって覚えてる。  
 同じ洋服、二セット用意してあったって思う。
 ぼくの大好きなファッション。
 いま、先輩はそのかっこうで、頭上からぼくを見下ろしてる。
 怒りの表情。
 先輩のこんな表情見るなんて初めてだった。
 ぼくが床に倒れてるのに知らん顔。
 こんな姿も初めてだった。

 ぼく、この時・・・
 本当に絶望的な気分になった・・・

 子どもの時から、ずっと手をつないでいた先輩。
 ぼくが転んで泣いた時、すぐに手を差し伸べてくれた先輩。
 でもいま、知らん顔している。
 もうおしまいなんだ・・・
 どんなにつらくたって、先輩がそばにいれば平気だった。
 先輩を喜ばせることだけ考え、先輩の力になることだけめざしてきた。
 でもいま、長い年月で結ばれて来た絆が、完全に切れてしまった。
 ハッキリ、ぼくにも分かった。

 「先輩」

 大きな声で呼んでみた。返事はない。
 ぼくの目、霞がかかって見えなくなった。

 「先輩」

 もう一度、呼んでみた。

 「バカ!」

 きびしい声が飛んだ。
 先輩がぼくの体に馬乗りになった。
 頬に痛み!
 ずっと・・・ずっと・・・長い時間・・・
 先輩、ずっとぼくの頬に平手打ち。
 涙があふれた。
 止まらなかった。
 頬の痛みなんかじゃない。
 先輩に平手打ちをされてるって事実。
 いつも優しくて・・・
 ぼくがちょっと怪我した時だって、おおあわてでぼくを助け起こした先輩。
 いま、ぼくの体を傷つけているんだ。
 ぼくにとっては、世界の終わりだった。
 高校進学できなかった時だって、いざとなったら先輩が待ってくれてた。
 最後には、帰っていくことのできる先輩のあたてたかな胸があった。
 でもいまはもう、ぼくの先輩はいないんだ・・・
 『英単語100で行う日常会話システム』を開発したって、なにもかも高城さんが独占してしまうんだ。
 通信制の高校に通えるようにはなったけど、東部高校でなければ日本英語学院に進学なんかできるはずない。
 それでも夢をあきらめずに勉強するつもりだった。
 
 その気持ち・・・
 いま、この瞬間・・・
 完全に消え去った・・・

 先輩が泣いてる。
 ぼくを叩けば叩くほど絶望に落ち込んでる。
 先輩にぜんぶ話してしまおうか。
 一瞬、そう思った。
 先輩の誤解だって解けるはず・・・
 でも先輩の両親のことを話せば、今度こそ、先輩と両親の間が決裂してしまう。
 もしかしたら先輩、王道女学園を退学するかもしれない。
 先輩には、将来、日本を動かすようなスーパーレディになってもらいたかった。
 ぜったい、王道女学園を卒業して欲しい。
 ぼく、なにも言わないことにした。
 先輩が平手打ちをやめた。ぼくから離れて背を向けた。
 ぼくは起き上がった。
 鼻血がすごい勢いで流れ落ちた。あわてて自分のハンカチで押さえた。
 先輩は知らん顔をしてた。

 「わたしが悪かったって、分ってる」

 先輩が、ぼくに背を向けたまま言った。

 「高校に行けなくて困ってる時、高城さんに誘われたんだってことも。
 『英単語100で行う日常会話システム』を開発して高城さんに協力すれば、お金もたくさん入るし、日本英語学院の入学だって約束してもらったのでしょ。
 大物国会議員の父親がいるんだし、そんなこと簡単だよね。それにさ・・・」

 先輩がぼくの方を振り返った。先輩の目からはまだ涙が流れ続けている。

 「高城さん。きれいだし・・・
 役に立たないわたしなんかより、高城さんのそばに行きたいよね。
 いまの洋ちゃんに一番必要なのは、お金なんだし・・・
 わたしなんか、なにもできないって言われればそれまでだから・・・」 

 先輩がぼくの方ににじり寄った。
 またぼくの頬が大きな音を立てた。
 先輩の右手、ぼくの鼻血で赤く染まった。

 「でも許せない」

 またぼくの頬が大きく鳴った。

 「ずっといままでのこと思い出していた。
 小さい時のことだった。
 洋ちゃんの家に遊びに行くと、わたしが帰る時、洋ちゃんは泣いて泣いて、何度もわたしに、

 『明日香お姉ちゃん!帰らないで。帰らないで』

って言った。
 わたしの乗ったバスをいつまでも追いかけてきた。わたしだって涙が出て止まらなかった。
 ずっと洋ちゃんのそばにいるんだ。洋ちゃんと一緒にいようって思った。
 王道女学園の寮に洋ちゃんがいないのは、とっても寂しかった。
 だからベッドの中でずっと未来の夢を見ていた。
 将来、洋ちゃんが大学で英語を教える。
 わたしは国家公務員の仕事をする。
 仕事が終わったら、わたしが車を運転して大学に洋ちゃんを迎えに行って・・・
 夢の中で、ずっと洋ちゃんは、わたしのそばにいてくれるた。
 でも現実の洋ちゃんは、変わっちゃった。
 わたしが悪いってわかってる。
 でもやっぱり変わってもらいたくなかった」

 先輩の話す思い出。ぼく、ぜんぶ覚えてた。先輩と同じくらいよく覚えてた。
 先輩の家が近くになってからだって、会えない日は心が暗くなった。
 いまだってそうなんだ。

 「ぼく変わってません」

 先輩の目をしっかりと見つめた。

 「先輩のところに行きたい。いつもそう思ってます」

 ぼくが叫んだ後に、頬が大きな音。
 その場に倒れた。
 鼻血がどんどん喉を通り過ぎていく。

 「嘘つき」

 先輩の大声が部屋中に響き渡った。
 紙袋を手にすると中身をぶちまけた。先輩の笑顔がいくつも見えた。
 ぼくらが前に撮った写真。
 何百枚もあった。
 どれも引きちぎられていた。
 ぼくが先輩にプレゼントした絵やハンカチ、スカーフ、マグカップなんかが、あちこちに転がった。
 みんな破られたり割られたりしてた。
 先輩の怒りだった。
 破られた写真を手にとった。ぼくと先輩が腕を組んで笑ってた。

 「返す。こんなもん」

 先輩がにらみつけてきた。

 「これからは敵同士だから」

 ぼく、あわてて、高城さんから貰ったバームクーヘンの箱を差し出した。

 「ぼくの気持ちです」

 先輩、不機嫌な顔。それでも丁寧に包装紙をはがした。

 「バームクーヘンです」

 少しでも、先輩の喜ぶ顔が見たかった。
 でもムリだった。

 「なに、これ!」

 先輩の怒りの叫び。
 ぼくの顔にバームクーヘンが投げつけられた。
 床にカードが落ちた。

 <協力者の松山君へ 英語科生徒委員委員長・高城より
 いつも協力してくれてありがとう。
 ずっとわたしに協力してほしいからよろしく。
 役に立たなくい迷惑ばかりかける友人がいないかどうか心配してます。
 悪い人間との関係を断ち切る勇気も大切です。
 わたしは年上の人間なので、アドバイスをしっかり聞いて欲しいと思ってます>

 襟首をつかまれ、何度も揺さぶられた。
 鼻血が飛び散った。
 先輩の顔が汚れた。
 また何度も平手打ち。
 首を思いっきり絞められた。
 そのまま死んでしまえばよかったんだ。
 でも先輩を殺人犯なんかにはできない。
 何度も頭を床に叩きつけられた。ぼく、抵抗なんてしなかった。
 最後に先輩が立ち上がった。

 「待ってください!」

 立ち上がろうってした。
 でも頭がふらふらしている。
 そのまま、バランスをくずして倒れた。
 でもぼくの右腕の先、黒のハイソックスはいた先輩の足首、つかんでいた。
 先輩がぼくの手を払った。靴底で踏みつけた。
 もう一度、ぼくを見た。憎しみのこもった目だった。
 そのまま部屋を出て行った。
 右手の甲から血があふれてた。
 先輩がしたんだ。
 先輩が、ぼくの手を踏みつけたんだ。
 心は真っ暗だった。
 光はどこにも見えなかった。
 涙はずっと止まらなかった。
 遠回りしながら学校に戻った。
 星のない黒天。
 黒天の下、高城さんたちの目をくらますため、時間をかけて帰宅する。
 正直、つらかった。
 列車の中で・・・
 バスの中で・・・
 歩きながら・・・
 今日の悲しい出来事が思い出されてくる。
 列車の中。うとうとして目が覚めた。
 もしかしたらぜんぶ夢だったんだろうか。
 でも頬の痛みはまだ残ってた。鼻血のせいか、頭がフラフラしていた。
 やっぱりぼくの先輩は、もういないんだ。
 もよりの駅に着いた。
 駅前広場に出た時、見覚えある自動車が停車していた。
 高城さんが手を振った。

 「学校に戻るんでしょ」

 高城さんが後ろの席から声をかけてきた。

 「乗って!」

 えっ、どうしてここに・・・
 
 「早く」

 強い口調。ひっぱられるように、高城さんの隣に座った。

 「どうしたの?顔色悪いよ。それに怪我してるじゃない」

 あわてて、

 「大丈夫です。家で階段から落ちて・・・」

って答えた。

 「学校の診療所に行くといい。お金かかるけど、これはきちんと治療しなきゃだめね」

 高城さんは親切に言ってくれた。

 「可哀そうに。治療費はかかる。おまけに安月給じゃ食事もろくにとれないね。でもバームクーヘン食べたでしょう。美味しかった?」
 「はい。ありがとうございました」

 高城さんだって、バームクーヘンのたどった運命は知らないはず・・・

 「今日はおごってあげるから・・・」

 高城さんはぼくをステーキ専門店に連れてってくれた。ステーキをご馳走になって、高城さんはスマホでぼくらを自撮りした。
 なんで急にそんなことするんだろうか?
 ぼくには分からなかった。

 
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登場人物紹介

高城サキ 《たかしろさき》  名門女子校・王道女学園二年。『王道女学園振興会』会長。JK起業家。『JKカンパニー』会長。父親は有力国会議員。


「ごきげんよう。生徒会長。

 いいこと教えましょうか。

 基本、わたし・・・生徒会長のこと、大キライなんです。

 分かります?」

「IQの低いおじさん。

 分数分かる?九九は?

 可哀想なおじさんはね。

 もうすぐ死んじゃうんだよ」


井上明日香《いのうえあすか》 名門女子校・王道女学園二年。生徒会長。松山洋介の幼馴染。


「洋ちゃんはね。離れていたって家族と一緒。

 だから友だちといてもね。

 最後は洋ちゃんとこへ帰ってくるの」




蘭美莉《ランメイリー》 台湾からの留学生。父親は公安幹部。

「松山さん。純愛ドラマは、

 ハッピーエンドって決まってるんです。

 加油!我的最親愛的好朋友(負けないで。わたしの一番大切な人!)」

進藤早智子《しんどうさちこ》高城サキの秘書。眼鏡美人。

 「会長。松山君に暴力をふるうのはやめてください。

 松山君の言っていることが正しいんです。

 それは・・・会長が一番、よく知ってるはずです」

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