14、

文字数 3,954文字

「リンコレッタは、ヒュルストーのことをどれくらい知ってる?」
 ヒュルストーが「アーレインを探してくる」と言って出かけた後。
 舞踏会用のドレスをようやく片づけ終えたリンコレッタに、アイルは問いかけた。
「何よ、藪から棒に」
「いやあ、どれくらい知っているのかなと思って」
「ヒュルストー様は、わたくしのお父様の弟でしょう?」
「それだけ?」
「ご事情があって、子どものころからうちのお祖父様に預けられたのでしょう?」
「それだけ?」
「……アイル。あなた、いったい何が言いたいの?」
 リンコレッタは大きな丸い目をできうる限り吊り上げて、アイルに向き直った。
「ヘーデンのお館を出たときから、ずっと変だわ。考えにふけってばっかりで、口数少ないんだもの。そうかと思えば、突拍子もないことを聞いてくるし。アイルはわたくしよりもヒュルストー様のことを知っているとでも言うの?」
「知っていたのではなくて、気づいたんだよ」
 アイルはベッドに腰かけて、窓の外を見遣った。
「ヒュルストーは君のことを大切に思っている。だから傷つけないように、秘密を守りぬいて隠し通すつもりでいたんだろうね。だけどアーレインが来てから、ヒュルストーの守りは甘くなった――アーレインには、秘密を話したみたいだから」
「秘密って、なんだというの」
「リンコレッタが知る必要はないことなんだよ」
「そこまで言っておいて、わたくしには教えないつもり? 許されると思って?」
「ふふ。君は伯爵家の令嬢だものね」
「そうよ。養子同然とはいえ、あなたはわたくしと血のつながったきょうだいではないのだもの。わたくしはヘーデン城館の主となるのだし、あなたは居候でしかないのだわ。だからあなたには、主となるわたくしに、きちんと全部教えなくてはならない義務があるのよ」
 息巻くリンコレッタに、アイルは微笑んだ。
「もしも……もしもだよ? 僕がひょんなことから君よりもえらくなったら、君はどうする? 今は居候にすぎない僕だけど、そんな僕のお妃になるつもりはあるかい?」
「それとさっきの義務と、いったいどういう関係があるの!」
 頬を(くれない)に染めてリンコレッタは叫んだ。
「アイルが爵位を賜ったところで、お祖父様は伯爵よ。それよりもえらいって、まさか侯爵か公爵に叙せられる見込みがあって? たとえ公爵になっても、その妻は公爵夫人よ。お妃は、皇王の王配だけだわ」
「そうだね。でも僕が皇王になったら、ヒュルストーを助けてあげられるんだよ」
「疲れて寝ぼけているの? アイルが皇王になるなんて、あるはずないのに。王太子のルバート様がいらっしゃるじゃないの」
「だから、もしもだよ」
「おことわりよ」
 赤い両頬を手のひらではさんで、リンコレッタはうつむきながらまくしたてた。
「たいがいにしてちょうだい。皇王になったアイルなんて、アイルじゃないわ。それに、アイルがいなくなったら、わたくしの木苺の紅茶を誰が淹れてくれるというの? 皇王様にお茶をつがせるわけにいかないでしょう。メリルが入れた紅茶なんて、濃すぎてとても飲めたものではないのよ」
 アイルは声を立てて笑った。失礼きわまりないと、リンコレッタはそっぽを向いた。
「……ごめん、ごめんってば。大丈夫だよ、僕は皇王なんかにならないから。ヒュルストーの件は、アーレインにまかせることにする。皇王どうこうなんて、もう考えないから」
 立ち上がって歩み寄っても、彼女は振り向こうとしなかった。すねたままのリンコレッタの正面にまわりこんで、アイルは赤い額にキスをした。
「君が言うように、僕はヘーデンのアイルだものね」


 アーレインはライナスに連れられて、宿のある通りまで戻ってきた。そのまま帰るのかと思いきや、ライナスが足を向けたのは、宿の斜向かいに門をかまえる、蜜色の酒と葉巻の香りがくゆる店だった。
 地方からやってきた身なりの良い郷士、羽飾りの帽子をかぶった淑女などが、仄暗さと絶妙な間仕切りに守られて、思い思いに楽しんでいる。周囲を見まわしても、リンコレッタの愛らしい金の巻き毛や、彼女のおしゃべりにつきあわされているアイルの姿は見当たらない。
「リンコレッタは? アイルは?」
「宿にいる。先に夕食をすませておくように言っておいた」
「私たちは戻らないの?」
「あいつらに話を聞かれたくないから、わざわざここに来たんだ」
「……そう」
 もっとも奥まったテーブル席にライナスが腰かけ、アーレインは彼のとなりに腰を下ろした。フロア中央の舞台では、弾き手がすばらしい装飾のハープを抱えるようにして奏でている。その演奏と酒精に気分良く酔う客たちとは対照的に、ライナスの蜜酒色の瞳は冴え冴えとしていた。
「城兵に顔を覚えられていないだろうな? アルソレイムに入れないどころか、もっと厄介な事態になりかねない」
「さっきライナスが倒したあの人だけは、私の顔を覚えたと思う。だけどあの分では、しばらく口を利くことだってままならないでしょう?」
「――どうして、あんなことをした?」
「あんなことって?」
「城兵に斬りかかられたんだ。原因を作ったのはおまえなんだろう?」
 口を開きかけたところで急に冷静になり、アーレインは声を飲みこんだ。これは、ライナスに突っかかるところではない。
「……アルソレイムの城兵にね、男の子が囲まれていたのよ」
 目を閉じると、まぶたの裏に少年の姿が映る。
「その子、城兵にたてつく態度をとっていたから、もう少しで斬りかかられるところだったの。黙って見ていられなくって」
 賢しげな目をした少年だった。不意にその少年と、姿を消した弟の面影とが重なったのだ。
『姉さん?』
 彼が言ったように聞こえたのは、弟と重ねてしまっていたからで、空耳だったのかもしれない。
「おまえは、厄介ごとに首を突っこみたがる癖があるようだな」
 アーレインはライナスをにらんだ。
「その癖がなかったら、あんたは今頃クロナガヘビの毒にやられて死んでるでしょう」
「そのクロナガヘビの毒だが」
 ライナスはふところからガラスの小瓶を取り出した。無色透明の液体が入っているらしい。香水だろうかとも思ったが、栓を開けてみても何の香りもしなかった。
「あつかいに気をつけるんだな。それがクロナガヘビの毒だ」
 仰天したアーレインは瓶を取り落とすところだった。
「どうしてそんなものを持ってるの」
「あの日、捕まえて毒をとろうとして、噛まれたんだ」
 毒に苦しんだことを思い出したらしく、ライナスは苦々しく言った。
「クロナガヘビは頬骨の位置を両側からおさえると毒を吐き出す。充分な量を採取できたんだが、手をはなした途端に食いつかれた」
「あたりまえよ。こんなものを採取して、何するつもりだったの」
 復讐に使うに決まっているだろう――ライナスは声を出さなかったが、唇の動きだけでアーレインには伝わった。リンコレッタやアイルに聞かれたくない話の意味が、ようやくわかった。
「本気なの?」
「俺がやらなくて、誰がやるというんだ」
「そういう問題じゃなくて」
 アーレインは両手のひらで額をおさえた。
「本気で毒を盛るの? 卑怯じゃないの」
「俺の父も母も兄も、みんな卑怯なやり方で殺されたんだ」
「相手が卑怯だったからって、自分も卑怯なことをしていいはずがないじゃない」
「おまえは、弟をさらった人間とまみえたとしたら、相手を憎いとは思わないのか? 見つけ出したら殺してやろうと思ったことはないのか?」
「相手が憎いよりも、私は、自分のせいで弟がさらわれたことが許せないの」
 ――だから、きっと見つけ出したとしても、殺したいとは思わない。
「私とライ……ヒュルストーでは、全然違うわ」
「全然違うのなら、おまえにとやかく言える筋合いはないだろう」
「筋合いはないかもしれない。でも私は」
「……何だ?」
「私は、復讐することでヒュルストーが幸せになれるとは、思えない」
 嗤いがもれた。
「そんなこと。おれの幸せなんぞ、それこそ問題ではない」
 ――自分の幸せすら、「そんなこと」? 
 アーレインは言葉を継ぐことができなかった。それほどに彼の瞳は冷たく、鋼鉄のように揺るぎなかった。
 甘いハープの音色がやわらかに耳朶をくすぐる。その音色の場違いさにアーレインはくらくらしたが、すぐに場違いなのは自分たちのほうなのだと思い出した。
 客はたいてい楽しげに談笑しているか、愛をささやきあっているか、静かに見つめあっているかのいずれかだ。ぎすぎすと錆びた刃物を研ぐような空気は、自分たちのテーブルだけなのだった。
「アーレインは、術で姿を変えて見せるように、消えたように見せかけることもできるのだったな」
 ライナスは運ばれてきたライム水を手に取ったが、アーレインは毒の小瓶が置かれた同じテーブルで口にする気にはなれなかった。
「……できるけれど」
「この毒を料理に入れるとき、俺の姿を消すことだってわけないな?」
 彼女は無言のままうなずいた。
「信用しているぞ」
 アーレインは目を伏せ、小さくため息をついた。信頼ではなく、信用でしかないことが、ライナスと自分との距離なのだ。
 そのまま、バイスン暗殺計画の相談は深夜までおよんだ。
 宮殿の内部構造の確認、皇王と王太子の位置、料理が王族用のボードに運ばれる経路――しかし何を聞いても、アーレインが乗り気になれるものではなかった。この分では信頼されるはずもない。
 信頼されていない人間の言葉が聞き入れられるわけがないのだと、彼女はそっと嘆息した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み