第26話 蘇芳と怜

文字数 3,235文字

「君に呪われた赤津の話をしようと思って」
怜は言った。
蘇芳は笑った。
「何?呪われたって」
色々と呪われているのさ。
彼は答えた。

「彼等は苦戦を強いられた。・・・彼等とは征服者たちだ。
前の続きだよ。山の民と為政者達の戦いだ。

何故なら娘には龍が付いていたから。あの龍は水龍だ。
水を操る。雨を降らせて風を呼ぶ。


いくら殺しても南からの兵士はやってきた。その数は尽きる事が無かった。
蝦夷の部族はじりじりと後退して行った。
族長はとうとうここまで逃げて来た。残党を連れてこの山に立て籠もったのだ。

伝説ではあの娘には兄がいた。族長の長子だ。それが敵方に捕らえた。その長子の命と引き換えに、敵は娘を要求した。あの巫女を。

娘は兄を助ける為にその身を差し出した。
そして殺され焼かれた。
それを両親は見ていた。縄を打たれ殺されるその場面を。
彼等一族の呪詛はこの大地に深く沁み込んだことだろう。

龍はそれを見る事は無かった。
娘は死ぬ前に龍を淵に封じたから。
もう誰にも成す術は無かった。

娘には分かっていたのだ。遠くない未来に自分達は滅びると。
終末を予感していたのだ。
幾ら抗ってもそれからは逃れられない。世の中の大きな理の様なものだと。
自分達は淘汰される運命にあるのだと。
それなら何故自分達は存在したのか?
滅びる為か?
無残に殺される為か?
娘はその理由を知りたいと思った。


娘が死ぬと龍は地に潜った。深い深い地の底のまたその下の層に。

結局全て殺されてしまって・・・あの池は累々たる屍が浮かんだ。
その血が池を赤く染めて・・だからここは「血根の池」と呼ばれたのだ。
水は腐った。
清浄な湧き水は腐った肉と汚物にまみれた。この水は長い間飲む事も出来なかった。腐臭が漂い、濁り、それが下の村に流れて行った。恨みをたっぷりと含んだ水が。神聖だったこの場所は血で汚された。


長子だけが命を繋いだ。
何故なら彼は妹にその命を貰ったから。
彼は山に潜んで、そして逃げた。
独り生き残った彼の辛さが分かるだろうか・・・?

あの娘は・・あれは人間の腹を借りて生まれて来た大地の落とし子なんだ。太古には稀にそんな事も起きたのだろう。自然の『気』が横溢していたからね。大地には未分化で混沌としたエナジィに満ち溢れていたから。その一部が人の形を成して、人の腹を借りて生まれたとしても何ら不思議はない。
彼女は半神なんだよ。

彼らは『神殺し』をしたのだ。
行く先々で。
次から次へと。
自分達こそ『神の軍』だと思っていたのだ。
人々が多様な様に『神』もまた多様だったのだろう。
いずれにしろ、それは数多あった血腥い戦の一場面に過ぎない。


無残に殺されたそれは、荒魂となって様々な所で祟った。
ここは特殊な場所となった。強すぎる荒魂の所為だろうか。
それともこの池の底は元々異界と通じていたのだろうか。

あれは神様なのに『鬼』にされてしまった。
よく言うだろう。昔話で。鬼を鎮めたとか。鬼を成敗したとか。あれは為政者に反逆した者達の末路なんだ。彼等は自分達の家族や仲間や土地を守るために戦ったのだが、それらは世の中に災いをもたらす『鬼』にされて仕舞ったのだ。
成敗されるべき悪い鬼に。
歴史は勝利者が作るからね。

そう思うと、滅んで行く鬼は『混沌(カオス)』そのものなのかも知れない。
事物はその性質を明らかにされ、分化し系統立てられ、そしてその過程で原始の生命力を徐々に失っていくのかも知れないな。秘密を暴かれ明らかにされてしまった時点で。

混沌状態の途轍もないエネルギーは消えてしまった。
この国では龍も鬼も神すらも全てが自然の混沌から生まれたのだろう。『気』と『物質』。
水と太陽と樹木と空気、そして大地。
いや・・全世界そうなのだろう。
それを伝える物語は違っても。
一体そのエナジィはどこへ?
人間が消費し尽したのか?


・・・それでその荒魂を鎮める為に熊野の小さな邑から巫女が呼ばれた。毒を以て毒を制すという所かな・・・・まあ、それがあの神社の縁起なんだ。
代々の巫覡(ふげき)はこの地を封じて祓う。
荒魂を小さな社に封じて。
だから赤津のルーツは熊野にあるんだ。熊野と吉野は・・・それこそご近所だな」
怜はそう言った。

蘇芳は真剣に男の話を聞いていた。
「・・という話は言い伝えを元に僕が作った」
彼は笑った。
「えっ?ちょっと、何それ!」
蘇芳が言った。
「本当の話かと思ったじゃないの・・・じゃあひとつ聞いていい?その長の息子はどうなったの?」
「ああ・・それの行方は知れない。もっと北に逃げたか、それとも結局行き倒れてしまったのか。殺されたのか。それとも生き延びて市井に紛れたか。
 だが、随分と時が過ぎて・・それこそ何代もの時が過ぎて、ここに一人の僧侶がやって来た。彼はここに寺を建てた。そしてこの地を鎮めた。
彼はここを目指してやって来たのだ。
それは例えばあの長子の子孫かも知れない。それとも転生を果たした長子自身かも知れない。

「千根」に「遠」の文字を付け加えたのは誰だったのだろう?
その僧だったのか、それとも後代の僧だったのか・・。

彼はここで何を弔ったのだろう。
僕は時々それを考える。

滅びた一族か?
それとも当たり前の様に命が消えて行くその日常か?
それとも誰もが大切な何かを失う、喪失の哀しみだろうか。
命は冥い場所から生れ、また冥い場所に戻る。
確かに生きる事は『苦』だ。
そこに哀しみ以外の何がある?
答えがあるのなら教えて欲しい。

『苦』を超越しろと経は説く。
煩悩にまみれた僕には難しい話だ。


そして幾つかの時代が過ぎて寺は廃寺となった。・・・残念なことに寺を守る人間が途絶えてしまったのだ。・・って所でどうだろうか?」
蘇芳は頷く。
「中々いい話ね」
怜は蘇芳を見る。

「君だってその位の物語はあるだろう。その身に狗神を隠し持っているのだから」
怜が言った。
「そうね。じゃあ今度お会いするまでに物語を作って置くわ。私の一族はこれを『アヌビス』と呼んでいるの」
蘇芳は言った。
「『アヌビス』?古代エジプト由来か。・・・またそれもえらく遠いな。冥王『オシリス』の息子だな。彼とネフティスの不倫の子供。ネフティスは生まれたアヌビスを叢に隠した。夫『セト』に見つからない様に。
彼は冥界の守護者だ。真っ黒い体とジャッカルの頭部・・ああ。成程、そう言われれば・・・・。面白い物語が作れそうだな」
怜は笑った。

「ところで」、怜はそう言うと蘇芳を見た。
「君が融の好きな人なの?」
「えっ?」
「融が言っていた。好きな人がいるって。」

「そうだと言いたいところだけれど、残念ながら違うの」
蘇芳は寂しそうに答えた。
怜はじっと蘇芳を見る。

「そうか。君はすごく素敵なのに。あいつは見る目がないな。利口そうに見えて、奴は結構馬鹿なんだ」
怜はそう言った。
蘇芳は声を上げて笑った。
怜は立ち上がった。
うんと伸びをする。

「じゃあ、小夜子を宜しく。君にはとても感謝している。だからお礼に秘密の話をした」
「作り話をね」
蘇芳は笑った。
「あなたの身体はどこにあるの?」

怜は答えた。
「・・・残念だがもう消えた。何処にも無い。それなのに『識』だけがある。果たして僕は存在しているのだろか・・・? これはただの幻なのか?‥・自分の存在すらも曖昧だ。

あの子に・・・あの少年に山の中で出逢えたのは万に一つの僥倖だった。
あれは・・月のエナジィが僕に姿を与えてくれたのだろう。神様が憐れんでくれたのかも知れないな・・」

「さようなら。もう会う事も無いだろう」
「私の話は?」
彼は視線を宙に泳がせる。
「ああ、そうか。・・じゃあ出来たら夜刀にでも伝えておいてくれ」
蘇芳は噴出した。
「あなたっていい加減ね」
「よく言われる」
怜は笑った。


 蘇芳ははっと目を覚ました。
暗い天井を見上げる。
夢か・・・。
 まだ夜明け前である。
蘇芳は目を閉じた。そしてふふと笑った。
面白い人だなと思った。









*読んでくださって有り難う御座います。
めちゃくちゃ長い連休でしたね。
疲れましたね。作者もぐったりです。



【六】に続きます。7月1日 スタートです。
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