第15話 正人の孤独

文字数 2,258文字

優和は自分の気持ちを落ち着かせた。
直接会って話さないと気が済まなかった。
そのために今度はどうすれば会ってくれるか考え、無理やり用事を作り、持ちかけた。




「正人の郵便物が届いたから、渡したい」




話している途中で、直接会う必要がない用事であることに気が付いた。
優和は、その自分の浅はかさを悔いた。
しかしその心配は必要なかった。



正人は優和と会いたかった。
誰でもいいわけではなかった。
その時、正人は優和と会いたかったのだった。
今の正人のこのどうしようもない孤独感が、優和と会うことで、どうにかなるような気がした。



正人は孤独を感じていた。
この孤独感は一生誰にも理解されることはないと思っていた。
そしてそれでいいと思っていた。
優和と出会った時、直感的に自分と同じ何かがあることを感じていた。
正人は今までそれが何か分からなかった。
しかし、正人はやっと理解したつもりでいた。
お互い孤独を感じていたことについては今まで一切話したことはなかった。
そんな必要はなかった。
正人は優和に自分を理解してもらいたいわけではなかった。
ただ同じ仲間と一緒にいると思えるだけでも気持ちが楽になると思った。



ただ正確に言うと正人の直感は間違っていた。
優和と正人ではそもそも孤独の種類が違った。
そして優和はもう孤独を感じていなかった。
優和の孤独の原因は愛を感じられることで、ほとんど解決できていた。
優和は十分愛で満たされていた。
それは優和の子どもである勇のおかげだった。


正人は違った。
正人の孤独の原因は過去にあった。
正人は中国で生まれた。
生後間もなく両親は仕事で日本に行ったため、5歳まで中国にある祖母の家で乳母に育てられた。
それから両親のいる日本に行ったが、両親とも仕事でほとんど家にいることはなかった。
だから自分の両親とは言えども、あまりに一緒にいる時間が少なくて、遠慮があった。
正人は兄弟もいなかったため、寝食共に常に一人だった。
反抗期なんてできるような環境ではなかった。
と言うのも、両親ともに中国人で日本語が十分に話せなかったため、言葉だけでなく生活の面でも、ある意味正人に依存していたからだった。
中学は全寮制で、高校から大学までイギリスに留学した。
その後、仕事をしたが、両親が会社の上司に当たるため、仕事をしている際は敬語を使った。
正人の両親は正人が子どもでいられるほど、時間も気持ちも余裕がなかった。
友達は常に外国人である自分を受け入れてくれるかどうかの関係で、対等に付き合える人はいなかった。
正人には気を許せる人がいなかったのである。





それは確かに愛されることで満たされる孤独であった。
しかし、正人の孤独はそれだけではなく、アイデンティティにもあった。
生まれたのは中国だし、両親ともに中国人だから、正人は中国人だと思いたかった。
そもそも日本に来たばかりの時に、中国人だということでひどくいじめられたのだ。
中国名を使わなければ、受けなかったであろう差別的待遇にも、中国人だからしょうがないと思っていた。


しかし、ある日突然、国籍を日本に変えた。
それは両親が長年望んだことだった。
正人の名前は日本名になった。
正人は、あまりにも簡単に正人になれたことに脱力した。
チンホという中国名のために、さんざん下ネタでからかわれ、嫌な思いをしてきたのだ。
自分はいったい何に苦しめられてきたのだろうか。
でも正人は、ずっと正人になりたかったわけではなかった。
そう思わされているような何かに抵抗すべきか分からなくなることはあった。
でも正人になることでしか解決できない何かによって、ついに正人は正人にならされてしまったのだ。
自分はいったい何者なのだ。
自分が自分であることに強いこだわりがあるわけではなかったが、そうであるばっかりにますます自分が何か分からなくなったのだった。


また正人の両親の態度はますます正人を混乱させた。
両親は中国人であることをあまり快く思っていなかった。
ある時は、観光に来ていた中国人の節度のない態度に「文化がない」と馬鹿にしていた。
またある時には、インド料理店で店員に「どこから来たんですか」という片言の日本語で質問をされ、「自分は日本人だ」と言い張った。
でも正人の家では、日本のお正月の後に、必ず中国のお正月もした。
誕生日には、長寿麺を食べた。
正人の両親は、ある時には中国人とは一線を画そうとしていたが、それでも中国人であることに愛着があった。
その両親の態度を見て、正人は自分が中国人であるというには思い入れがなさすぎることを知っていた。
中国人の両親がいて、生まれたのも中国で、中国で生活をしたことがあったとしても、中国のことを知らないし、もう中国語はあまり覚えていなかった。
でも、いくら日本で育ったとはいえ、周りからは中国人だと思われていたので、自分が日本人だとも思えなかった。



自分は一体何者か。



それが分からないまま、正人はイギリスに留学することになった。
それは元英語教師であった母親の影響であった。
そして正人の考えは、過激化した。




自分は何者でもない。
何者にもなれない。
結局、正人は分からないまま、この思いを封印することにした。
この自分の思いは、誰にも理解されることはない。
いつしか正人は自分で自分のことを孤独にしていた。

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